第31話  見覚えのあるスマホ

 そこはどこかの事務所のようだった。

 目の前では、五十代と思しき男女が険しい顔をしてこちらを見ている。

 二人に対して、千夏が目を借りているこの人物は声を荒げた。太い男性の声だった。

『話が違うじゃないか! 俺が、いつここを売るって言ったんだ!』

 それに対して、目の前の男がへらへらと笑いながら言う。

『兄さんは古いんだよ。ここが幾らになると思ってんだ? ここを売れば、もっと店を増やせる。本店なら別に移しゃいい。青山にいい物件みつけたんだ。なぁ、咲江さきえ

 隣で腕組をしている化粧の濃い五十代の女にそう言うと、咲江と呼ばれたその女はうなずいた。

『ええ。お兄さん。地価があがっている、いまのうちに売ったほうがいいんですよ』

 しかし、この人物は拳で目の前の机を強く叩く。

『ここは先祖から受け継いできた土地だ。なんでいまさら、他に移さなきゃならない。父さんの遺言を忘れたのか? 俺ら兄弟でここを守って、店を盛りあげてくことをあんなに望んでただろうが!』




 場面が移る。

 広い厨房のような場所にいた。そこで、料理の下ごしらえをしているようだった。

 その耳に、複数の声が聞こえてくる。厨房の外にある裏庭を、三人の人物が話しながら歩いているようだった。

 あの弟と咲江という女。それにもう一人若い男性の声が聞こえてきた。

 それを聞きながら、この人物の心の中は怒りで煮えくり返りそうになっていた。

 若い男の声が「今日は、お忙しい中、ご協力いただきありがとうございました。またご連絡します」というのが聞こえる。彼の足音はそのままどこかへ去っていった。

 彼がいなくなったのを確認してから厨房を出ると、池の前で鯉に餌をやっている咲江の姿が目に入った。今日は、しとやかな和服姿だ。

 彼女に何か激しく言葉を浴びせながら迫る。咲江は怯えた目をしていた。

 そのとき、突然、後頭部に激しい痛みを感じてうずくまった。痛みに耐えながら振り向くと、花瓶を手に持った無表情の弟がいた。弟はその花瓶を振り上げ、そこで視界が真っ暗になる。

「やばい。見られた。アイツだ」

 弟の焦った声とバタバタという足音が、暗闇の中で遠ざかった。





 しばらくして、再び弟の声が聞こえた。冷たい響きの声だった。

「じたばたすんな。山にでも、うめときゃバレやしないさ」

 そこで意識は途切れた。



 …………。


 バチン、と再び頭の中に静電気が走るような衝撃があって、千夏は我に返った。

 気が付くと元気の足に絡みついていた、あの霊はいなくなっていた。

 はぁっと千夏は安堵の息を漏らす。


「お前、大丈夫か?」


 晴高が気遣う声をかけてくる。千夏は、自分の手のひらを閉じたり握ったりしたあと、こくんと頷いた。


「なんとも、ないみたいです」


「……ったく。容易に同調すんなって言っただろう。命、もってかれたいのか?」


 若干怒気をはらみながら、晴高が言い吐く。


「すみません、つい、うっかりしていました」


 まだ同調するつもりは全然なかったのだが、こちらにそういう意思はなくても、幽霊に触れている元気に触わると自動的にシンクロが始まってしまうようだ。気をつけなきゃ。


「あの霊は、まだ完全に悪霊になりきっちゃいなかったが、いつなってもおかしくないくらい怨念をため込んでいるようだった。今回、なんともなかったのは単に運が良かったからだ。アレとは絶対に同調するなよ」


「……はい。ということは、やっぱ除霊ですか……?」


「そうせざるをえんだろうな」


 そこで、ここまで元気が全然会話に混ざってこないことに気づく。心配になって、晴高から懐中電灯を借りると元気を照らした。


「……元気?」


 元気は霊に足を絡みつかれたのがショックだったのか、いまだ地面に座り込んだまま茫然としていた。


「元気。どうしたの?」


 彼の目の前で手をひらひらさせてみると、彼はハッと我に返って千夏に目を向ける。しかし、その瞳はなんだかとても落ち着かなさそうだった。


「いや、なんでもない……。あ、そういえば。あの霊は?」


 差し出した千夏の手を支えに立ち上がると、元気はキョロキョロとあたりを見回した。


 そのときゴソゴソッという音が聞こえた。三人の視線がその音を追う。

 音がしたのは、この敷地の角だった。千夏がそちらに懐中電灯を向ける。


 懐中電灯の光に浮かび上がったのは、一本の腕。

 土と泥に塗れた肘から上の部分が、地面から生えていた。


 その腕は人差し指をたて、地面の一点を指さしている。三人がそれを見た瞬間、すーっと闇夜に溶け込むように消えてしまった。

 あの腕は、おそらく元気にしがみついてきたあの霊のものだろう。


 指さすようにして、わざわざ教えてくれた敷地内の場所。そこに行ってみるが、特段他と違う様子はなかった。


「特に何もないですね」


 そういう千夏に、元気がうーんと唸る。


「もしかして、ここを掘れとか言ってるんじゃないかな。何か掘れるようなものって持ってたっけ?」


「スコップみたいなもの、どっかで買ってくる?」


 そう提案してみたが、晴高は首を横に振った。


「ここは整地済の土地だ。もし何らかのものが埋まっているとしたら、相当深いはずなんだ。それこそ重機が必要かもしれないな。霊自身が掘れって言ってるんだから、邪魔されることもないだろう。ちょっと借りてみるか」


 一旦この日の調査はおしまいにして、後日、昼間に重機を持ってきてみることになった。


 その日は、家に帰った後も元気は口数が少なかった。何か考え込んでいるようなそんな素振りをするのだが、千夏が聞いても彼はただ笑って、なんでもないと言うだけだった。

 





 数日後。

 晴高が小型のショベルカーを借りてきた。もちろん、作業してくれる人も付きでだ。

 日の高いうちに現場へ行き、霊の腕が教えてくれた場所を掘ることになった。


 数日前に雨が降ったばかりだったので土壌は柔らかく、簡単に土が掻き出されていく。今回は霊による妨害などもまったくなかった。


 ショベルカーは一回土を掻くごとに、穴の横に掻きとった土をあけた。その小山になった土を、千夏と晴高とでスコップを使って慎重に再度掘る。

 中に何か埋まっていないかを確かめるためだ。埋まっているものが壊れやすいものである可能性もあるため、慎重に土を掻いた。


 そして、穴が一メートルほどになったときだった。

 晴高が調べていた土の山の中から、何か四角い金属の板のようなものが出てきた。

 土を払ってみると、それは一台の黒いスマホだった。


 画面は大きく割れ、フレームは歪んでいる。完全に壊れていそうだ。

 慎重に作業をしていたし掘るところも確認していたが、ショベルカーでついた傷ではないと思われた。

 おそらく、ここに埋められる以前に強く踏まれたか叩かれたかしたように思われる。


 もちろん電源は入るはずもない。裏をひっくり返すと、文字が印字されたシールが二枚張られている。一枚には、銀行名が書かれていた。


(あれ? これって)


 それは、千夏たちの働く八坂不動産管理水道橋視点が入っているテナントビルの下の階にある銀行名だったのだ。そして、元気が生前勤めていた銀行でもあった。

 もう一枚のシールは、『No.19』と番号が振られている。


「銀行の、社用スマホか? これ、確かお前がいた銀行だろ?」


 晴高が元気にスマホを見せる。しかし、元気の様子を見て晴高は怪訝そうに眉を寄せた。


 元気が、大きく目を見開いたまま、そのスマホを見つめていたからだ。

 そして、呟く。


「なんで、こんなとこに……。これ……俺の使ってたスマホだ」

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