第40話 赤月の魔法・青煙の魔法
「
凛と放たれた理への宣戦布告。
犠牲の衣の
自らが犠牲にした人間の血液を使った衣。それは、犠牲の衣の本来の姿。
犠牲の衣を纏い終えたとき、唯花の体もまた黒い氷のドレスに包まれていた。
「場所を変えましょうか」
「そうね。どっちか勝つにしろここは傷つけたくないものね」
言葉を終えると同時に真莉が琉月で足元を突く。彼女を中心に氷上に魔法陣が光った次の瞬間、周囲の景色がガラスのように砕け散った。四方どころか床すら砕け、先に広がるは夜の闇と篠突く雨。二人は湖の真上に移動していた。重力に引っ張られ、二人は雨とともに落下する。突然の変化に二人は眉すら顰めない。
「こんなところに飛ばすなんて、私が結界の管理者だって忘れたのかしらっ?」
言葉とともに腕を振るうと、湖が淡く光り出して巨大な水塊がいくつも飛び出す。そのうちの一つに唯花の体が入り込む。
「そっちこそ、私が継承者って忘れてんじゃないの!」
真莉が空中にて自身の足を突き刺すと、そこを中心に血の魔法陣が広がる。できた魔法陣に着地すると同時に、陣が輝き周囲の雨が真っ赤な針となって唯花のいる水塊へと殺到する。
唯花が自分の指をへし折って、近くに浮く水塊に投げつける。水塊が瞬時に黒く染まると、真っ赤な雨はすべてそこへと向きを変えて吸収される。
唯花の呪文が響くと、浮遊していたいくつかの水球が巨大な黒氷に変化し、真莉とその足元の魔法陣を押しつぶさんと一斉に弾丸のごとく飛んでくる。
姿が霞むほどの速度で真莉は跳躍する。さきほどまで真莉がいた空間に氷塊が押し寄せ、展開していた魔法陣を砕く。
赤い雨の針が止む。跳んだ先で真莉が足を延ばせば再び彼女の足元に魔法陣の足場ができる。即座に長い髪を切り裂いて新たな魔法陣を紡ぎだす。
現実を壊し、理を歪め、姉妹は赤と黒の殺意をまき散らす。剣が煌めき、魔術が行き交い、血肉が散っても止まらない。真莉は宙を跳梁跋扈、唯花の水塊は堅牢堅固。雨の概念を歪め、重力さえ不確かなものへと変え姉妹は殺し合いを繰り広げる。
「
唯花の頭上にて赤い少女が叫ぶ。かざした腕から血の魔法陣が広がり、そこから無数の血の手が射出される。しかし、唯花が腕を振るうと、高速のそれは割り込んできた氷塊に阻まれる。
「……!」
突然闇の中にディザルマを感じた。瞬時に真莉は身を捻る。しかし次の瞬間、夜闇に隠れていた黒い槍が彼女の脇腹を貫いていた。
血が飛び散り動きが鈍る。貫かれた箇所から呪いが入り込み体が重くなる。そこに氷塊が襲い来る。間一髪それを躱し、すれ違いざまに琉月で切り裂く。ディザルマを食われた氷塊は、そのまま湖へと落下していく。それを見届ける暇なくいくつもの黒い氷塊が迫りくる。
真莉が勢いよく腕を振る。犠牲の衣から跳んだ血が氷塊に付着する。
「
自らの血が混ざっているものを対象とした魔術。真莉へとぶつかる寸前、氷塊はすべて爆散した。飛び散る黒い破片にわき目も降らず、唯花へ視線を飛ばす。
唯花が入っていた水球もまた爆散していた。さきほど黒い槍に刺された際、真莉の血が水球へ落ちていたのだ。
宙を蹴り、真莉は一気に急降下する。唯花が黒煙の翼を広げて態勢を立て直したその瞬間に、二人の刃が激突する。急降下の勢いに任せて刃を振るう真莉。しかし、難なく唯花はそれをいなす。黒い刃が湖からの光に煌めき、真莉の右腕を切断する。
だが顔を引きつらせたのは唯花のほう。
(しまっ……)
「
真莉の声が響き渡ると同時に、爆発のごとき勢いで巨大な業火が現れた。
自らを痛めつけた人間を焼き尽くする怨念の炎。夜の闇に現れた小さな太陽が湖全体を照らし上げる。
なんとか翼で全身を守るも、たまらず唯花は炎に包まれたまま湖に落下する。
落ちた場所は浅瀬だった。全身から煙を上げて立ち上がりながら彼女は表情を歪める。
湖月の魔術師相手に中途半端な傷を負わすことは悪手だ。その魔術は、人体を触媒とする魔術。彼らに傷をつけるということは魔術の発動条件をむざむざ揃えさせることになる。さらに相手に傷つけられることで条件を満たす魔術まであるのだから、なおのことである。
湖上の空中に真莉が降り立つ。
淡く光る湖の光にあてられてもその姿は真っ赤で、降りしきる雨さえその血を洗い落とせない。油断なく姉を見下ろす姿は天からの断罪者を思わせる。
「フフ……」
唯花が笑い声を漏らす。それを生む彼女の顔に映っている色は、いつもの不敵な色ではなく、どこか自嘲的な色だった。
「やっぱり……こうなるわよね……」
当然の帰結。影の魔術師に分けてもらった魔術はそれほど強力なものではない。不意打ちと搦め手でようやく通用していたものなのだ。それに、真莉が湖月の継承者であるため、新井達に使っているような『対侵入者用』の魔術も使えない。いくら唯花が管理者でも、正当な継承者にその矛先を向けられるほどこの結界を自由にできるわけではない。
新井達ももう近い。残された影の魔術ももう少ない。
だが彼女の瞳からも光は消えない。彼女もまた自身の願いを見据えている。
「決着をつけましょうか……」
空いた左手をかざすと、森から黒煙が勢いよく集まってきて球と成す。これは新井達の迎撃に割いていたディザルマだ。これで新井達の足止めは結界の管理者としてのものだけになる。すぐにでもここに駆け付けられてしまうだろう。
だから、これが最後。
湖が一際強く輝く。唯花の手から黒い剣が滑り落ちて湖へ落ちる。瞬時に剣は水に溶け、青い光に黒が混じる。唯花を中心に青い線が湖面を走り、溶けた影と折り合わされて青と黒の魔方陣が展開されていく。
そうはさせじと真莉が動く。いかなる魔術も発動前に陣を琉月で切られれば無力。広がった魔法陣を琉月で切ろうと降下するが、湖面から幾本もの水柱が切り立ち、牢となって真莉を囲う。
「
掲げた手のひらに、犠牲の衣が血の魔方陣を展開する。それらが紅く光った瞬間、周囲の水は一瞬で真莉の手のひらに収束して握りつぶされる。だが、開けた視界に広がっていたのは、無数の青い光弾。水牢を目隠しに展開されていたそれは、一直線に真莉に直撃し、吹き飛んだ彼女は大きく湖面の魔法陣から引き離される。
空中で態勢を立て直す。
時間にして僅か数秒。しかし、その間に湖面に魔方陣は展開しきり、真莉の視線の先で湖の半分を覆っている。強力な魔術を使おうとしていることは明白だ。
即座に飛び出そうと姿勢を下げるが、そこで真莉の動きが止まる。
(タイミング的に間に合うか微妙……いや、近づけたとしても魔術で邪魔されて結局発動までこぎつけられる……!)
ならばと真莉は青い短剣を持ち替えると、そのまま自らの腕を鞘と見立てたように手の平に琉月を突き刺した。手から肘まで一直線に刀身が貫き、肘から青い剣先が飛び出す。
「
呪文に空気を震わせながら手を掲げる。すると、犠牲の衣の袖全体が変化し、彼女の腕を魔法陣がびっしり覆う。
琉月の柄から青い閃光が稲妻のように空に走る。真っすぐ天に刺さった閃光は分厚い雲を丸く押しのけ、雨雲に丸い穴をあける。そこからは、朝の訪れを匂わす淡い青の空と、 真っ白な満月が覗いている。
月光が湖を照らし上げ、湖の周囲だけ雨が止んだ。
「これをあんたの手向けにしてやる……!」
陣が光ると、血潮をまき散らして掲げた右腕が千切れる。真莉の右腕は琉月ごと湖面へ落ちる。水しぶきを上げて落ちた先は、湖面に映った月の中。
飛沫が収まるのを待たず、波に歪んだ月の周囲に真っ赤な色が広がった。湖面の月はさらに形を変え、広がった赤と折り合わさって、赤と黄の魔法陣となり、瞬時に唯花の魔法陣と同程度に広がる。
広大な湖が赤と黄の空間と青と黒の空間に分けられる。
激しく波は立ち空間が軋む。それは理の悲鳴でもある。
歪んだ現実が理を蹴落として顕現する。
青と黒の魔法陣が瞬く。湖面がうねりをあげて盛り上がり、赤と黄の魔法陣は渦巻いて沈んでいく。中心から大きく波紋が広がる。
唯花の魔法陣から現れたのは、巨大な竜の首だった。水でできたそれは、しかし表面に金属を思わせる硬い輝きを持っており、刺青のように黒い文様が刻まれている。竜は唯花を中に取り込んでなおも湖から伸びあがる。竜の中から唯花が真莉を見下ろす。
かつて湖月家の祖先がこの湖の奥底に封印した赤い竜。その圧倒的な存在の力を疑似的にかたどって再現した魔術。封じるものを守護神とさせる矛盾を孕んだ魔術。しかし魔術にとって概念的矛盾は強いつながりに他ならない。
対して真莉は湖面に降り立つ。目の前で広がる歪んだ現実に目もくれない。膝をついて、肘から先が切れた腕を魔法陣の中央に叩きつける。
湖面から一切の波が消える。再び陣が瞬くと、彼女の周囲に月の姿が浮かび上がる。金色に輝く湖面から彼女が腕を引き抜いていく。現れたのは新たな世界の歪み。月と同色の新たな腕。表面に刻まれるは複雑な赤い幾何学模様。
さらにそれで終わりではない。引き抜かれた腕は同じく金色の物体を握っている。それは剣の柄。鍔が、刀身が、剣先が現れ、ついに少女の身の丈ほどの長剣が姿を現す。
琉月・虚断。
月の光をそのまま放つ半透明なその剣は、琉月という剣が持つ一側面。琉月とは真莉の肉体と同化した鞘、カレドブルグから引き抜かれた剣の総称だ。湖月の魔術師は用途に分けて様々な琉月を生み出す。必要なのは本質だけ。その形は本質を表現した虚栄に過ぎない。
虚断は、いままで使っていた儀礼用の琉月と違い、汎用性はほとんどない。ただ一つ。この魔術のために生み出された。
湖面に立つ真莉の周囲に黄色い球体が七つ浮かぶ。人の頭ほどの大きさのそれは、まるで小さな月のよう。
青い竜が咆哮を上げる。城すら軽々と砕きそうな牙が月光に光る。森も空気も震え上がり、夜の闇さえ酷く慄く。ただ二人の姉妹だけが揺れない視線で互いを見ていた。
竜の鱗が無数に剥がれ、次の瞬間弾丸のごとき速度で八方から真莉に迫る。
対して真莉は浮遊する小さな月の一つを切り裂く。ただそれだけで、打ち出された鱗のすべてが突然現れた斬撃光に斬り散らされる。
魔術の一つの到達点。ただ歪めるだけに留まらず、概念を書き換えるにまで至った理への冒涜。彼女を前に、斬るという概念は崩れ、場所も数も強度も意味をなくした。
月光纏う真莉の腕に赤いひび割れが走るが即座に消える。
「それで勝ったつもりかしら!」
歯をむき出しに唯花が叫ぶ。それに合わせて再び竜が雄叫びを放ち、真莉へ目掛けて牙をむく。
体表の刺青が浮き出し、竜の周囲を黒煙が覆う。
空間を削り、空気を裂いて、真っ黒な暴虐の咢が迫りくる。巨大な質量がそのまま威圧の力となって真莉を圧す。
再度真莉が月を切り裂く。横一文字の黄金の一閃が黒竜を襲う。しかし、
「甘い!」
確かに竜の鼻頭に炸裂した斬撃は、纏う黒煙を切り裂いたものの竜の表面を浅く傷つけるに留まった。
唯花は知っている。この魔術、『斬月渡し』は月の光が届いている場所にしか効果を及ぼせない。すなわち、全身を黒煙の防御で覆っていれば理不尽な切断はある程度防げる。
「真莉っ!」
妹を食い殺さんと迫る咢。
容赦も躊躇いもそこにはない。
だが、それは真莉も同じ。むき出しの殺意を視線に込め、彼女は浮遊する小さな月を一つに纏めると、渾身の一閃をそこに放つ。
竜の正面に再度黄金の斬光が出現する。それはさきほどとは比べ物にならないほど大きく。竜の体の二倍は有り余る。
甲高い激突音が湖上に響き渡った。烈風が吹き荒れ湖面が荒れる。その中央には激突する斬撃と竜の姿。両者の力は拮抗し、竜の動きは止められ、されど切り裂かれもしていない。空気が軋んでいるような耳障りな高音を立てながら、竜も斬光も震えている。
「ぐうぅっ!」
呻く真莉の視線の先には両断しきれない光球の姿。歯を食いしばり力を籠めるも、刃が先に進まず、力を抜けば今にも弾き飛ばされそうなほど振動している。だがここで弾かれるわけにはいかない。ましてや離すなんてもってのほか。
この一撃が勝負を決める。虚断に両手を添え、全身全霊をそこに込める。
ビシィッと月色の右腕に亀裂が走る。もとよりこの魔術は生贄を切り裂くことで成立していた魔術。それを自らの体とリンクした月で代替し、さらにそれによって発生する傷を右腕に集約させて継続戦闘を可能としたものなのだ。本来球体を切りつけた後に来る想定の反作用が、両断に時間をかけているせいで今来てしまっている。
傷は深まり腕の力を籠められなくなっていく。それでも彼女は必死の形相で力を絞り出す。
唯花の防御も無限ではない。彼女も彼女で斬撃との接点に死力を注いで黒煙を送り続けている。それが尽きたとき竜は両断される。
殺意も、願いも、籠められるものは全て注いで、姉妹は互いの命を求めあう。視線はぶつかり、火花が散っても互いにそらすことはない。
真莉の頭に思考が挟まる。
姉のために生きてきた自分が、これでいいのかと囁く。
光球を斬る剣が押し戻される。
しかしその思いもすぐさま怒りに塗り潰された。この期に及んでまだ決別したはずの思いを捨てきれない自分への怒り。それが思いを焼き尽くし、彼女の炎をさらに猛らせる。
(私がしっかりしてたら、こんなことにはならなかった!)
唯花を意識を残すように父に頼まなければ、自分がもっと優秀だったら、もっと努力を惜しまなければ……。後悔がすべてそのまま怒りに変わっている。
全ての原因は自分。
「だから……!私が終わらせるッ!」
その責任が自分にはあると、その叫びは何よりも強い魔術となって彼女を動かす。
剣が小さな月に沈み込む。竜の咢に炸裂していた斬撃光が斬り進む。竜の体に亀裂が走る。
「ああぁぁッ!」
叫び一閃。黄金の剣は光球を斜めに両断した。
天を衝く轟音。金色の斬撃光が一気に斬り抜け、竜を粉々に破壊した。
飛沫舞い、黒煙と竜の残骸が散り、唯花の体も宙に投げ出される。黒煙に纏わりつかれたそれらは月光に煌めきを貰えもしない。
氷の体が砕け、力を絞りつくした体が暗い湖へと落ちていく。
唯一月光に照らされた唯花の口元が、それでも笑みを浮かべていた。
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