第34話 切れない鎖

「新井さんたち……。思ったより早かったわね……」


 結界を通じて知覚する。新井を含むノアリーのエージェントが近くに来ている。


 彼女は洞窟端にある大きな岩へと足を進め、階段状になっている岩場からその上部へと上る。五メートル四方はあるその岩は、上部が削られて盆のようになっており、そこには青い水が張られていた。水の中には白や赤など様々な色をした光の粒が小魚のように動き回っている。これはこの町のミニチュアのようなもの。この小さな湖の中では、この町の全ての今が映し出されている。


 唯花の視線は、その中でもまさにこの場所を示している中央付近の赤い宝石に注がれている。宝石の周囲には赤や緑の光が数個集まってきている。数は合計四。本当に即座に集められる人員だけで来たのだろう。


 唯花は水の上に手をかざす。手から黒い液体が滲み出して、次々と水面へと滴っていく。得体の知れない液体は小さな湖を汚して、先ほどの四つの光を覆っていく。


「その魔術……」


 一部始終を見ていた真莉から言葉が漏れる。


 真莉を拘束している黒氷の人形も、今の魔術も真莉の知らないものだ。あれはどう見ても湖月の魔術というよりは……。


「便利な魔術でしょう?あの影の魔術を使う彼が残していったものよ」


「……結局、あの魔術使いはなんだったの?」


「協力者よ。いくつかの条件と引き換えに協力してもらったの。……殺しちゃったけど。でも彼はよく働いてくれたわ。私が肉体を得るために必要なものを集めてきてくれたりね」


 岩場から降りてきた彼女は再び手のひらから黒い雫を垂らす。それらは蛇のように氷を伝い、みるみる真莉の体に巻き付いていく。


「この肉体を持たない体じゃ結界の管理人としての魔術以外は、ほとんどの魔術が使えないじゃない?こういうところは彼に頼るしかなかったの。死ぬ前にいろいろ残しておいてくれて助かっちゃった」


 黒氷の人形が離れ、代わりに黒い蛇がきつく彼女を拘束した。その間も真莉は抵抗の意志を全く示さない。彼女にはもう抵抗する意味も理由もない。


 氷床に新しく刻まれていた魔法陣が黒く光った。陣の中央には拳大の巨大なアメジスト。先日研究所から盗まれたものだ。


 アメジストが黒く染まると、そこから黒い水が触手のように何本も伸びて真莉を持ち上げる。真莉の体はアメジストと重なるように魔法陣中央へ運ばれ、磔にされる。水はそこで動きを止めず、みるみる天井に向かって伸びていく。やがて洞窟の端には一本のねじくれた黒氷の木が現れていた。真莉の体は、幹の中央で硬く拘束されている。


「この体にされて唯一よかったところは、こうして目的を達成するのに必要な人材を探し当てられたことね。彼もしかり、灯護君を見つけられたことも、ね」


 真莉の頭がピクリと動いた。再度悠斗の姿が心を掠める。


 灯護。悠斗が守りたかった彼の弟。


「……彼の体に姉さんのディザルマを植え付けるのね?」


「そうよ。稀有な存在よね。彼。高度な魔術が必要になるとはいえ、他人の魂が移せてしまうなんてあり得ないことができてしまうなんて……。感謝しないとね。彼にも。彼のおかげで私に新しい選択肢ができたのだから」


「……」


 真莉は何度か口を開きかけ、そして閉じることを繰り返していた。


 苛むのだ。先ほど蓋をしたはずの心が彼女を。それは悠斗の死を背負ってきた今までの自分。彼の持っていた優しさを、弱きを守る強さを継いだ自分。そして、今日まで灯護を守ってきた自分でもある。


 そんな自分が、さきほど落とした氷の蓋を砕いて真莉に燃える手を伸ばしている。熱い手が冷たく固まった彼女の背中を押して、その口から言葉を揺り落とさせんとしている。


 ふと、彼女の心にいつかの記憶が香る。


 そう、これはあの博物館の――


 


(――僕を見てよ)


 


「他に道は……ないの?」


 気付いたら言葉が漏れていた。


 それが自身の発した言葉だと気づいて、心が凍り付く。簒奪者が口にしていいはずもない言葉。口にしたその瞬間に、自責の念が自身を激しく糾弾する。


 唯花の怪訝な表情がそれだけで、真莉の心に激しい後悔を生む。


 けれど止まれない。もはや自分を欺ききれない。


 犠牲になった二人の人生を背負うためだけに生きると決めていた。それを翼として伸びた人生を飛んできた。けれどそうしようとするほどわかるのだ。その道を突き進もうとするほどに、他人の影響を受けずにはいられないことに。自分の翼がいつの間にか、多くの人の助け手でできているのだ。それを自覚できるのはごくわずか。そして、それがあるからこそ、今自分はここまでたどり着けている。


 まさにあの博物館での出来事がそうだ。


 あの場所で真莉は灯護を一人の人間として見た。だから、彼女を突き動かしたのは、悠斗への想いではない。


 一人の人としての彼を、見殺しにしたくない。


「何?やっぱり命が惜しくなったの?」


「違うわ。私は死んだっていい。でも……、でも彼を犠牲にしたくないの……。彼を犠牲にしなくても、他に方法があるはずよ。私も、私も一緒に探すから!」


「それまでまた私に地獄の中で待てと言うの?」


「それは……」


 ディザルマだけとなった存在が新たに肉体を得るなど、歪理者側の世界でも荒唐無稽な話だ。今のように疑似的な器を得るのとは話が違う。それこそ灯護の共鳴キャン色彩バスのような特異な条件があってこそ可能な話。真莉が手伝ったところで他の道など見つかる可能性は低い。


 唯花はため息をついた。


「変わったわね、あなた。悪い方向に。魔術師が魔術の貢献よりも人の命を慮るなんて。特に私たち湖月の魔術師が。笑い話にもならないわ」


「でも、姉さ――」


「――それにね」


 唯花が声を被せる。彼女の視線は、洞窟の入り口に向けられている。その奥から、足音が聞こえてきていた。


 足音は一人のもの。断続的に続く音は、その者が走っていることを示している。新井ではない。ノアリーのエージェントなら、こんな派手な足音を立てはしない。


「まさか……」


 全身を氷が覆っているにも関わらず、その氷が体内にまで入り込んできたような感覚が彼女を突き抜けた。


「もう遅いのよ」


 そうして、洞窟の広場に一つの影が差した。

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