第30話 雷光が作る影
夢を見ていた。
なかなか家に帰ってこない父と母、妹の春奈と祖父と祖母。そして、兄の悠斗。家族で楽しく食卓を囲んでいる。みんな現在の姿なのに、悠斗だけは亡くなる直前の姿。現実にはなかった光景。そしてこれからもこの光景を見ることはない。
そうかこれは夢なのか。そう思ったとき、頬を伝う涙の感覚ともに灯護は幸せな世界から引き戻された。
最初に感じたのは埃の匂い。
不思議に体全体が重く、目を開けるのもやっとのこと。それでもようやく開いた目が見たのは、汚れた床と放棄された機械の亡骸たち。彼は見知らぬ廃工場の床に横たえられていた。彼の周囲には黒煙のような
空間を漂うディザルマは、灯護の頭上に浮かぶ青黒い球体に終結していっている。
体も動かない。思考もまとまらない。僅かに動く意識も混乱と困惑に押されて役に立たない。
生暖かい風が流れた。
気配を感じてほとんど動かない目を動かすと、そこには闇に溶けるようにして目深にフードを被ったローブ姿の人影が立っていた。その体格からかろうじて男であることが読み取れる。
(この……
遅まきながらに自分の身が危険に晒されていることを理解する。泥に浸かっているかのような頭では恐怖すらもどこか遠い。
「……」
人影は何も言わない。ただ灯護を見下ろしている。フードの奥に人間の姿などなく、ただ虚ろかそれとも人でない何かがあるだけなのかと思えてくる。だが、心に沁み込んでくる感情は確かに人間のものだ。
思考を巡らそうとするが、うまく頭が働かない。
何度かの雷鳴が廃工場内に轟いたころ、頭上の球体がひときわ強く輝いた。
人影が腕を振るった。すると、灯護の周囲の魔方陣も光る。呼応するように球体から勢いよく暗い煙が噴出し、灯護の体へと殺到した。
「ぐっがはがああ!」
凄まじい勢いで黒煙が灯護の体内に侵入していく。黒煙は激しい苦痛を強いながら、灯護の魂を食らっていく。
身動きのとれないままの灯護の体が、激しく震えて大きくのけぞる。苦痛の嵐の中で彼は、自分の自我が得体のしれない意思に飲み込まれていくのを感じた。
灯護の意識が途切れ、廃墟から叫び声が消えたそのときだった。
数発の銃声が鳴り響いた。
放たれた銃弾が青黒い球体を貫く。球体は形を歪めて動きを止め、灯護への黒煙の流入が止まる。
ローブの男が振り替える。ほとんど光源のない中で、正確に銃弾が飛んできた方角を知覚していた。
廃工場の端にある金属製の足場の上に、乱入者の影がひとつ。
「ったく、見てらんねーよ」
吐き捨てるように新井は言う。黒い武骨なライダースーツのようなSILLENTの戦闘装具に身を包み、用心深くローブの男に銃を向けている。被っているヘッドギアからは、半透明のディスプレイが延びて片目にかかっている。
ローブの男は何も言わず新井に視線を向けている。
「どうしてここまでこれたかってか?」
確かにここには強力な結界が張られていた。並みの魔術師では侵入はおろか探知も不可能なほどのものだ。だが、
「科学舐めんな」
ヘッドギアから伸びたディスプレイを親指で指して言い放つ。彼は床に横たわる灯護を見る。
本当はもっと早く助けることはできた。ただ彼を囮にすれば、内通者を突き止めることができるかもしれないと思い、静観するにとどまっていたのだ。結果として内通者は現れず、さりとてこれ以上灯護を放置することもできず、こうしてでてきてしまったわけだが。
灯護の頭上にある魔方陣中央の球体は、いまのところ動きを止めている。が、魔術を完全に止められたわけでは無さそうだ。
彼がさっき撃った銃弾は、シルバーブレッドと呼ばれるディザルマの籠った銃弾だ。飛び道具でディザルマに干渉できるという点では優秀だが、一方で弾丸というごく小さいものでは大した量のディザルマを込められず、それゆえにディザルマに与える影響も小さい。
シルバーブレッドに貫かれたあの球体も、ディザルマの乱れで一時的に機能停止しているだけだ。灯護を助けるには完全に破壊しなければならない。
新井が流麗な動きでナイフを抜き放つのと、ローブの男の手に黒煙を集合させてできた錫杖が握られたのは同時だった。杖から鈴の音が鳴り響くと、新井の周囲のコンクリートの床や機材が人型くりぬかれ動き出す。その数一〇体以上。川で戦った時の比ではない。しかも水木偶たちと違い、こいつらは一体一体が硬い素材でできている。
間を待たずして飛びかかってくる人形たち。
次の瞬間、廃工場に暴風が吹き荒れた。突如現れた暴力の嵐は、群がってきた人形どもを荒々しく粉微塵に変えた。破片が飛び散り、爆発のごとく新井の周囲へ飛散する。爆心地に立つ新井は、その手に一本の長い槍を携えていた。長さは彼の身長を少し超えるほど。持ち手はナイフと同様に赤く半透明な金属でできている。
雷光が彼を照らす。
突如として現れたその棒状の道具は、SILLENT汎用装具『サード』。基本機能は伸縮自在であるというだけの携帯用道具だ。収縮時には長めの缶コーヒー程度の大きさである。一見地味な装具だが、SILLENT達はこれを使って、また独自にカスタマイズして様々な用途に使う。新井のような武器としての使用もその用途の一つだ。
サードもまたディザルマを吸収・放出する性質を持つ金属、クリゾアムでできている。伸びたサード先端に今まで使っていたナイフを装着すれば、槍として使用できるうえ、単純に体積が増えたことで保有できるディザルマが増え、いままで以上に魔術を破壊しやすくなる。
それに、
「おらッ!」
雷光とは別の光が空間を切り裂く。その赤い光は一直線に近くの瓦礫人形を貫いた。それはサードの槍から放たれたもの。あまり連発はできないが、クリゾアムを使った装具はこうして蓄積したディザルマを放つことも可能なのだ。
数十の足音が再度新井を囲み、飛びかかってくる。新井はサードを振り回しその人形たちを蹴散らしていく。
突如、殺気を感じる。第六感を信じ彼は弾かれたように頭をのけぞらせる。すると、直後にさっきまで彼の頭があった空間そのものが黒い牙のような形となって虚空に噛みついていた。
(影を使う魔法使い……。夜は空間全体が影ってわけか!)
影のない夜のほうが弱いと踏んでいたが、とんでもない見込み違いだ。
ヘッドギアが伝えてくる感覚と経験で不可視の攻撃を回避していく。そうしている間に灯護の頭上の球体が動き始めた。再度黒煙が発生し始め、灯護へ流れ込んでいく。
サードの槍から光弾を繰り出すも、暗闇の咢がそれを防ぐ。だが新井は焦らない。
「到着しました!」
銃を乱射しながら同じく武装した恭佳が現れる。ここに来る前に呼んでおいた増援だ。続いて壁を切り裂き、流月を持ったずぶ濡れの真莉が飛び込んでくる。
真莉は無残な灯護の姿を目に留めると、烈火のごとく毛を逆立てた。
「灯護の上の玉を壊せ!あと空間からの直接攻撃に気をつけろ!」
「了解!」と恭佳の返事。対して真莉は新井のアドバイスが聞こえているのかいないのか、群がってくる人形も闇の咢もすべて流月で切り裂いて灯護のほうへと駆けていく。
ローブの男の判断は早かった。多勢に無勢と見るや大量の人形を生み出すだけ生み出して豪雨の中へと身を投げる。
「諦め良すぎだろ!」
悪態をつくも人形が邪魔だ。新たに放った赤い光弾で何体もの人形を串刺しにする。
「新井さん!恭佳!追って!」
灯護の元へたどりついた真莉がそう叫ぶ。彼女は流月を振りかざし、彼の頭上の球体へ跳躍しようとする。
しかし、その寸前。突然起き上がった灯護が真莉の腹を蹴り飛ばした。
「がっ⁉」
完全な不意打ちに数メートル床を転がる。
「真莉⁉」
「行って!」
足を止めそうになる恭佳にそう返す。二人は頷くと人形たちを残してローブの男を追っていった。
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