第31話 贖罪の希望

 恭佳が駆けていくその間も真莉はずっと灯護から視線を離さない。ゆっくりと起き上がった灯護の表情は剣呑だ。決して彼がしないような表情で真莉に敵意を向けている現状に、彼女の胸に痛みが走る。同時にこんなことをした敵と自分の不甲斐なさに憤った。


 明らかに何者かに意識を支配されようとしている。いや、こうして真莉に攻撃してきた以上もう七割近くは支配されている。


 魔方陣中央に浮かぶ球体に目を向ける。灯護の体へ黒煙を送り続けている青黒い球体は、真莉が来たときよりも小さくなっており、いまやソフトボール程度の大きさになっている。あれが全て灯護の体内へ流れ込んだとき、灯護も完全に支配される。


(そんなことさせるか!)


 誓いとともに剣を構える。


 灯護が右手を上に掲げると、周囲に残っていた人形たちから青黒い煙が抜け出し、彼の手に収束する。人形たちはたちどころにガラクタへと還る。続いて腰から真っ赤なナイフを引き抜く。それは兄の形見。クリゾアムでできた対歪理装具。


 灯護の右手に集まったディザルマが床に流れ落ち、瞬時に魔方陣へと変貌する。


「お前を、殺す」


 強い殺意が真莉を突き刺す。それは敵の言葉なのか、それとも引き出された彼の本音なのか。いずれにしてもその顔、その声でそう言われるのは、真莉の心を強く抉る。


 多くの記憶と思いが駆け抜ける。それらが心から溢れそうになって、彼女は一瞬だけ目を閉じた。


「皮肉ね。あなたにそう言われるなんて」


 囁くようにそう言って彼女は構える。右手に赤い幾何学模様が浮かび上がり、魔術の余波に建物がきしむ。


我、犠牲を纏わんブラダ・ファズマ


 胸に流月を突き立てる。血が吹き出し犠牲の衣が彼女を覆っていく。


 灯護も動いた。真莉の準備が整う前にと、斬りかかってくる。その動きは音のない風のようで、あまりに素早く、そして洗練されている。剣を受け止める真莉の目が思わず見開かれた。


 だが驚きはこれに収まらない。


 たった二、三度剣を結んだ後に、灯護のナイフが、まだ犠牲の衣を覆っていない真莉の右腿を斬り裂いたのだ。さらに追撃の蹴りが腹に深々と突き刺さる。


 真莉は吹き飛び、背後の機材に叩きつけられる。肺から空気が叩きだされた。


(こいつ……強い!)


 ただの近接戦闘の技量なら圧倒的に真莉より上だ。しかも灯護支配率がたった七割程度、かつ支配したばかりでここまで動けるとは。


(いや……だからこそ彼を狙ってたのか)


 彼には共鳴キャン能力バスがある。そのせいで元より他人に染まりやすい彼の肉体なんて、絶好の触媒ではないか。これほど人為的支配に適した人間もいない。


 蹴りの叩き込まれた腹に触れる。ダメージは大きい。思えば今は灯護に半分の力を渡している。真莉の肉体強度、身体能力などは半減し、一方灯護のほうはそれらが向上している。とんだハンディキャップだが、解除するわけにもいかない。なぜなら、灯護の能力を上げている腕輪は彼が支配されるのに抵抗する働きもしている。あれがなければとっくに灯護は何者かの意志に乗っ取られているだろう。残念ながら機能が無効化されているペンダントに代わって、あのブレスレッドがなんとか彼を守ってくれているのだ。


 腿の切り傷も治り、犠牲の衣も完全に真莉の身を包む。その間に灯護は攻めてこない。ただ冷たい目で真莉を見下ろしている。


 当然だ。相手からすれば時間さえ稼ぎ切れば、灯護を完全に支配できる。そうなれば魔法陣からも出て逃走できるのだから。


 地を蹴って飛び出す。濡れた髪から水滴が散る。狙うは青黒い球体。


 真莉と球体の間に灯護が割って入ってくる。両者の剣が再び交わる。灯護の剣に迷いはない。憎悪とも悪意ともとれる負の感情で容赦なく剣を振るってくる。対して真莉の動きは鈍い。彼女は灯護を傷つけるわけにもいかず、その上で球体を狙わなければならないからだ。


 実際問題、灯護を重症レベルにまで斬りつけても問題はない。事が終わったあとに治癒魔術をかければいいだけだ。けれど、彼女の心が無意識にそれを許さない。


 守ると誓ったのだ。


 たとえあとで治せるとしてもこれ以上彼を傷つけたくはなかったのだ。


 上段蹴りが真莉の首に炸裂する。犠牲の衣が首もとまで覆っていたためにダメージはほとんどないが、それでも数メートル地を転がされる。


 やはり相手の方が上手。球体に近づかせてももらえない。隙を見て球体だけ斬るなど到底できない。


(ならまずは動きを止める!)


蒼氷華リズラ!」


 一気に距離を積め、空いている手を振るう。真っ赤な袖から灯護に向けて血が飛び散る。それらは、空中にて赤い魔方陣へと変貌する。


 灯護がそれを回避すると、着弾した床で蒼い花が咲く。蒼月華は、魔方陣が触れた対象を蒼い花と根が拘束する簡易的な魔術だ。


 真莉は接近戦を織り混ぜながら蒼月華を何度も放つ。相手が斬りつけてきたとき、こちらが体勢を崩したとき、隙を見つけては自らの血を彼に飛ばす。しかしことごとく回避され、ときにクリゾアムでできたナイフで切り裂かれる。


 真莉が魔術を打つのに合わせて、灯護が床を掬うように腕を振るう。すると床の魔方陣から影が伸び上がり蒼月華を防ぐ。それを目隠しに灯護が死角から真莉を斬りつけ蹴り飛ばす。それを防いだ真莉が再度蒼月華を撃つ。


 激しい攻防の中で、あたりに蒼い花だけが咲き乱れていく。


 彼と刃を交えながら彼女は思う。彼はなんと悲運な能力を持ってしまったのだろうと。その能力ゆえに、自分だけの意思を持つこともできず、そして今その能力が原因で存在まで脅かされている。


 博物館で彼は言った。流されてしまったことを後悔はしていないと。彼は能力に悩まされているが、しかしそれでも前を向こうとしている。


 ならば、あの能力を持って生まれたことを、悲運ではあっても――


(――悲劇にはさせない!)


蒼月華リズラ!」


 至近距離で左腕をふるう。だが反射に近い速度で灯護はそれを躱すと、真莉の胸にナイフを突き刺した。


 真莉の口から血が溢れる。彼女は流月で灯護の攻撃を防がなかった。いや、防げなかった。なぜなら、彼女の手にはもう流月が握られていないのだから。


 ガクンと灯護の動きが止まる。


 彼の背後では、魔方陣の中央にあった青黒い球体の中央に流月が突き刺さっていた。


 さっき真莉が左腕で蒼月華を放ったとき、彼女は流月も一緒に投げていたのだ。あのとき灯護と球体は一直線上にあった。彼は避けるべきではなかったのだ。


 流月がディザルマを食らっていき、やがて球体は全て流月に飲み込まれた。魔術の一部が破壊されたことで、魔方陣も霧散する。流月が床に落ち、灯護の体も真莉に倒れこむ。真莉は静かにそれを抱き止めた。


 いつの間にか雷鳴は聞こえなくなっており、雨足もいくぶんか弱まっている。


 真莉は自分に突き立てられたナイフを抜く。


 本当だったら、最後の一撃は彼女なら防げたはずだ。剣がなくとも腕使うなどして。それでも動けなかったのはきっと……。


「……ごめん」


 口から溢れたその言葉は、いくつもの色が溶けた深い色をしていた。

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