第29話 嵐の足音
予感があったわけではなかった。
灯護と一緒に帰り、春奈の後に風呂から上がった後のこと。真莉は、長い髪から雫が垂れないように丁寧にタオルで拭きながら二階へと上がる。彼女の髪にはまだ水気が残っており、艶やかな光を放っている。彼女は顔を傾けて、髪を傷つけないように丁寧にタオルで長い髪を挟み込む。ドライヤーを使うのは、もう少し自然乾燥させてからだ。
真莉は面倒そうに片目を閉じる。
髪を乾かすだけでも毎日一五分近くかかる。正直言えば面倒だし、短くしたい。だが、そういうわけにもいかない。湖月の魔術は人体を触媒とするので、当然髪を使う魔術もあるのだ。長いにこしたことはない。
このように、真莉の体のあちこちは、魔術のために意味を持たされている。モデル顔負けのスタイルや美麗な顔立ちもそうだ。伝説などで、供物として美女の肉体が捧げられることがよくあるように、実際ある程度のスタイルと顔の美醜が関わる魔術も多い。湖月の魔術もその例外ではなく、真莉は後継者に任命されたときから、今のような肉体となるように父にあれこれ魔術を施された。
そのため、彼女自身は自分の体がそこまで積極的に好きにはなれない。もちろん、女性として魅力的な肉体を持つことはやぶさかではないが、それが純粋な自分の遺伝子によるものではないと思うと素直に誇れない。
(それに、美容のためにいろいろ手間なことするってのがそもそも性にあわないのよね)
なんてことを思いながら、あてがわれた悠斗の部屋へ向かう彼女だったが、その途中、灯護の部屋の前で彼女は足を止めた。
(そういえばあいつ宿題とかやってないんじゃない?)
しばらく悩んでいた彼女であったが、やがて髪を拭いていた手を止める。
(しょうがないわね。今回だけよ)
彼が意識不明の間に終わらせた宿題を写させることにして、灯護の部屋の扉をノックする。
返事はない。何度ノックしても同じだ。
寝ているのかと思い、彼女はゆっくり扉を開ける。しかし、彼女が見たのはもぬけの空になった部屋と、冷たい夜風を吐く全開になった窓だった。
寒気が走り全身の肌が粟立つ。電撃のように、彼女の中で様々な思考が駆け巡った。
(敵の狙いは初めから……!)
弾かれたように刃の仕込まれた指輪で中指の腹を斬り、血のにじんだ中指を耳にあてる。
「姉さん!」
声が脳内に響いた。
(灯護君に何かあったのね⁉)
「彼は今どこ⁉」
灯護を探すためにほんの数秒が、真莉には無限にも感じた。
だが、帰ってきたのは、恐れていた言葉だった。
(そんな……。見つけられない!この町のどこにも彼はいないわ!ペンダントの反応もない!こんなことって……)
ありえない。それは、真莉は今回の侵入者に対してもう何度も思ったことだ。だが、今回は、今までの比じゃない。
同じ家の中にいた真莉が気付けなかったことはともかく、この町に張ってある湖月の結界内でも全く魔術を感知させないなど、もはや真莉には方法の見当すらつかない。しかも、灯護には唯花の魔術がかけられたペンダントがあったはずだ。あれの防御と、真莉に危機を知らせる機能すら無効にしたというのか。
握る拳に力が入る。自分の馬鹿さに腹が立つ。
後の調査で何もなかったとされた墓地に敵は何しに来ていたのか。どうしてたかが目撃者を殺すだけのために、博物館であれだけの手間をかけたのか。ヒントはあちこちにあったのに。
どうして気付けなかったのか。敵の狙いは灯護だと。
「最後に観測できた場所はどこ⁉」
彼はまだこの町のどこかにいる。ペンダントにかけた魔術の継続は確認できる。すなわちペンダントはまだ破壊されておらず、この町の中にあるということ。それでも唯花がその位置を特定できないということは、灯護はペンダントごとこの町のどこかで存在を隠蔽されている可能性が高い。
と、唯花の返答が来る前に、彼女の携帯端末が震えた。急いで画面を見る。そこには、「新井」の二文字が無機質に表示されていた。
遠くから雷鳴と雨の足音が近づいてきていた。
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