第21話 救済なき話
「え……?」
言っている言葉の意味が分からなかった。聞き間違いかとすら思った。しかし、彼を見つめる真莉の瞳の揺れが、そして、伝わってくる彼女の心の痛みが、聞き間違いではないことを示している。
「それは……どういう?」
「ええ、話すわ……。四年前のあの日。何が起こったのかを……」
真莉は周囲に人がいないか確認した後、ゆっくりと口を開いた。
「四年前のあの日、五月の一三日はね、この町の結界が更新される日だったの」
「更新?」
「龍を封じる結界を、司祭の命と引き換えに作った、ここにはそう書かれているでしょう?湖月家はね、人の肉体を触媒とした魔術を使うのよ。それで、あの結界はね、生贄になった人間の寿命分しか維持できない。だから、私たち湖月家はね、生贄になった人間の寿命が尽きる前に、新しい生贄を捧げて結界を維持してきたの。それが結界の更新よ。……そして私は、その結界の生贄として使われるために育てられた」
「は?」
灯護は耳を疑った。真莉は今何と言ったか。今の言葉をそのまま理解するならば、真莉は死ぬために生まれてきたということになる。
「言葉通りの意味よ。結界の生贄は湖月の血縁しか務まらない。湖月の魔術の継承者は姉さんに、後に生まれた私は生贄に。それぞれ生まれたときに役割が与えられて、そういう風に育てられた。それだけの話よ」
灯護は思わず顔を歪めた。
「同情しなくていいから。理解できないでしょうけど、こっちの世界ではこういうことはよくあることだし、私自身もそうやって育てられてきたから、特に悲観したりとかはしなかったわ」
それは、伝わってきている。彼女自身は自らの命が若くして終わることが決められていた事実に対して、なんとも思っていない。
でもこれは悲しむべきことだ。
しかし、彼女の気持ちに共鳴している灯護もまた、この事実にほとんど心が動いていない。彼は自らの唇を噛み、真莉の言葉を待った。
「悠斗さんは、ノアリーと湖月家のパイプ役兼護衛だったわ。今の新井先生の役職ね。そういうわけだから、悠斗さんとはよく会っていたわ。結界が更新されるはずだったあの日も、彼は私たちの護衛についてた」
「あの日は、ノアリーの職員含め、関係者はみんなピリピリしていたわ。結界が更新されるときは結界がかなり弱まるの。侵入者の探知、排除、要人の保護……。そのほとんどが最低限しか機能しなくなる。この町を狙う輩からすれば絶好の機械よね。だからノアリーは結界の更新にあたって、最大限の警戒を敷いていたの『SILLENT』が何人もこの町の要所に配置されたわ。……あなたと行ったあの祠があるでしょう?」
「うん」
唯花と出会ったあの青い洞窟を思い浮かべる。
「あそこで生贄の儀式は行われるの。私と父、姉はあそこで儀式を行い。悠斗さん含めノアリーのエージェントは外で待機したわ」
「儀式が始まって一時間くらい経ったころよ。結界が一番弱まったそのときに、私たちは襲撃を受けた。町のいたるところで戦闘が行われたらしいわ。私たちのところにも、フードを被った奴らが二人祠の結界を破ってきた。儀式は一端中断して、姉と父、後から追いついてきた悠斗さんとで応戦したわ」
真莉の拳が強く握られる。
「私はただ見ているだけだったわ。儀式の途中だったから動けなかったのもあるけど、後継者じゃない私はほとんど魔術を知らなかったの。たとえ動けても何もできなかった」
「凄まじい戦いだったわ。父も相当魔術の深奥へ近づいていた魔術師だったけど、相手も相当なものだった」
「実力は拮抗してた。でも、あることがきっかけで戦況が傾いた」
「あること?」
「……悠斗さんが、流れ弾から私を守ったの。それを見た敵が私に攻撃を集中させ始めて、悠斗さんは私を守るために防戦にならざる得なかった。……それでついに……相手の攻撃が、悠斗さんに直撃したの……」
「……っ」
灯護は自らの左胸に杭が撃ち込まれたような痛みを感じた。そしてなんとなく、そこと同じ場所に悠斗も攻撃の受けたのだろうと思う。真莉が、今まさに悠斗が攻撃を受けたシーンを思い出していることに、彼も共鳴しているのだった。
「それで兄さんは……」
「いいえ。その傷だけなら、まだ助かる余地はあったの」
真莉が少し声を荒げる。同時に灯護が感じる胸の痛みが強まった。
「その攻撃には、対象を操る効果があったの。彼が敵に回れば私たちが危ない。だから……私は……持っていた儀礼用の剣で……」
真莉が灯護を見据えた。今より灯護がから発されるすべてを受け止めようとする覚悟がそこには映っていた。
「あなたの兄を殺した」
ハッキリと真莉はそう言った。
ただ、彼女は言っていないことがある。彼女は最後まで悠斗を殺したくはなかった。しかし、あのとき、敵に乗っ取られそうだとわかった悠斗が彼女に懇願したのだ。自分を殺してくれと。
でもそれは言わない。
彼を殺したという強い罪悪感が、彼女にそれを言わせなかった。
「……」
灯護は何も言えなかった。真莉から目を逸らしさえした。
彼女の、全ての希望が塞がったかのような深く強い罪悪感と共鳴し、彼もまた罪悪感と悲しみの渦に呑まれていた。彼女は灯護に責めてもらいたがっている。自身の罪に罰を与える権利が灯護にあると。
しかし、こんな感情を抱いている相手を、とても責める気などなれない。
二人の間に無言の時間が流れる。そのわずかな時間に、すでにいない人たちへの数々の過ごした時間が圧縮されて心にあふれた。
灯護が口を開く。
「そのあとは……戦いは、どうなったの?」
「敵は突然引き上げていったわ。後で知ったことだけど、敵が私たちを襲ったのは陽動。本命は混乱に乗じてこの町で保管していた魔具をいくつか奪うことだったの」
「……最終的に、あの戦いで私の父は命を落とし、姉は魔術師として重大な欠陥を負うことになったわ」
「欠陥?」
「修正されたのよ。体の一部だけだけど」
修正。この世の理から外れた存在を正す理の力。
灯護の脳裏に、光の球体に唯花の手が飲み込まれるイメージが浮かぶ。
ゾクリと、言い知れぬ悪寒が走った。
「派手に魔術を使いすぎたの。
真莉は自分の胸に手を当てた。
自分代わりに姉が死ぬ。それも突然に。いや、これはそんな単純な話ではない。
その日までそれぞれが自分の道を生きていた。
真莉は自身が死ぬことを冷静に受け止めていた。覚悟もなにもない。そういう教育を受けたのだから、待ち受ける死への苦しみとは無縁だった。だが唯花は違う。彼女は継ぐために、生きるべくして生き続け、彼女自身もそのつもりで研鑽を積んできたのだ。
その道が絶たれた。
自分が生きられるという事実は、真莉に喜びを与えなかった。それよりも、姉の人生がふいになることに彼女は絶望した。
唯花は嘆かなかった。
生贄として任命されたその日から、生贄となる日まで、彼女は文句ひとつ言わなかった。「それが魔術を存続するためならば」と彼女は言った。それが彼女の本心であったのかはわからず、そして今も真莉はそれを訊けていない。
灯護も真莉と同じように胸に手を当てていた。
知った真実は想像もつかなかったほど、冷たく悲愴なものであった。あの日、兄が死んだ日にそれだけのことが起きていたのだ。
真莉が今何を思っているかはわからない。しかし、感情は伝わってくる。
同じだ。灯護が悠斗の死を思う際に湧き上がる感情と。痛いほどに冷たく、纏わりつくようにずっと残る。そんな深い紺色の感情。そして真莉にはそこに悠斗を殺したという強い罪悪感が混じっている。
灯護は思う。これが真莉の強さの理由なんだと。
生き急ぎすぎなほどに自分にも他人にも厳しく、妥協しない。それは彼女が背負っているからだ。自分が生きるための踏み台としてしまった人たちの亡骸を。本来あるはずのなかった、唯花のもののはずだったあの日以降の人生だから、彼女は必死に生きているのだろう。
彼女は強くあろうとし続けている。だから強いのだ。
知らずのうちに、灯護の頬を涙が伝っていた。展示物を見るふりをして真莉から顔を隠す。
真莉が悠斗を殺したことに一切の弁明も謝罪もなかったのは、許されるべきではないという彼女の心の表れか。
「……話してくれてありがとう」
心を落ち着かせてから、灯護はそう口にした。
一切の責めも怒りも見せない灯護に、真莉は釈然としない様子だったが、あえて無視した。
「ごめん。湿っぽくなっちゃったね。……今日はもう帰ろう」
今さらながら、この話は帰り際にでも訊くべき話だったと後悔する。もう互いに博物館を楽しむ雰囲気ではない。真莉も静かに同意した。
二人踵を返し、出口へと向かう。
と、そのとき、二人の目に奇妙なものが飛び込んできた。
それは、さっき見ていたネヴィル・エヴァンスの作品の一つ。人の手で織りなされた翼を持つ人をかたどった彫刻。タイトルは『
それが出口の前に置いてあるのだ。出口側からの日の光を受けたその像は、後光を受け、少し暗いこちらからは、光を放っているようにも見える。
もちろんさっきまでそんなものはなかった。
怪訝な顔をする二人。
次の瞬間、バチッという耳障りな音とともに空間が薄赤色に染め上がる。同時に真莉の足元に赤い円形の幾何学模様、魔法陣が浮かび上がる。
「がっああっ!」
電流が走ったかのように真莉が大きく体をのけぞらせ、叫び声とともに崩れ落ちた。
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