第19話 どう見てもこれは……いやどうだろう?

 灯護の持っていたチケットを使い、博物館内へと足を運ぶ。


 流方博物館は、外観こそ地味な長方形型の建物だが、その内装はしっかりとシックなものとなっている。木製の大きな扉を潜れば、二階へと続く大階段が広がっており、上品なデザインのシャンデリアが静かにぶら下がっている。


「湖月さんが芸術好きだったってのは意外だったな」


「まあ、そういうイメージは持たれづらいわよね私」


 自嘲的な笑みを浮かべる。これまで何度も同じ事を言われたことがあるらしい。


「魔術師の家柄だったせいかな。魔術に使う物って、一見よくわからない芸術品みたいなものって多いし、一二歳まで魔術とは関われなくて、外から見てるだけだったから、あこがれも合わさって、自然とこういうものにも興味を持ったわ」


 大階段の前で足を止める。


 左を見ればネヴィル・エヴァンスの特別展。右を見れば常設展だ。


 この博物館は、客の立ち入ることが出来る展示室が口の字型に配置される作りなようで、どちらから行っても一周する形で展示物を見れるので、どう行ってもそんなに変わらないのだが……。


「特別展示からでいいよね?」


 特別展にウキウキしている真莉の感情に共鳴し、灯護もまた特別展が楽しみなっていた。


「もちろん」


 二人は軽い足取りで大階段の左へ足を進めた。


 展示室内は薄暗く、橙色の間接照明が淡く室内を照らしている。


 室内に入ったとたん、ぎょっとして灯護の足が思わず止まった。そこには心が一瞬空白になるほどの異様な光景が広がっていた。


 まず目に飛び込んできたのは、全身が人の顔でできた人形だった。それは彫刻であるはずなのだが、人体の柔らかい質感すら完璧に表現しており、触れば弾力を感じられそうなほどリアルだ。そしてそれがゆえに、そんなリアルな人面が集合してできたその作品は不気味だった。


「こ、これは……」


 思わず一歩後ずさる。周囲を見回すと、ここにある作品はどれも同じように人体をかたどったものばかりであるようだった。


「相変わらずすごいインパクトねー」


「うん。びっくりした」


 改めて目の前の作品を見て、灯護はあることに気付く。


「不思議だな。この作品、怖いとは思うんだけど、なんか……グロテスクだとは思えない」


 真莉がなぜか自慢げに頷く。


「でしょう。作者は人体に敬意を払ってるの。人体がおかしなことになってる作品ばかり作る人だけど、決してその各部位に傷や切断面を表現していないの」


 言われてみれば、この頭でできた人型の各頭の接合面はまるではじめからその姿であったかのように滑らかだ。それがわかってみてみると、どこかこの作品にも神々しさを感じる。


 まじまじと彫刻を見る灯護に、真莉は満足そうに鼻を鳴らす。


「どう?そうやって見ると面白くない?」


「うん。面白い。実を言うと僕、結構こういう美術品とか、博物館に展示してあるものとか好きなんだよね。ほら、こういう作品見てると、作った人が込めた思いとかが伝わってきて、『ああ、こんな思いでこの作品を作ったんだ』とか思えるし」


「うん……うん?」


「博物館の展示とか、ああいう古い貴重な物も、いろんな人の思いが込められてて、面白いし……ってどうしたの?」


 話の途中から、真莉が変なものを食べかのようななんとも言えない表情をしていた。彼女はなおもモニュモニュと口を動かしたあと、ついには諦めたように口を開いた。


「あのね、普通の人は美術品や歴史資料を見てもそうは感じません」


「えっ⁉」


 仰天する灯護の反応に、真莉は『自覚なかったかー』と頭を抱える。


「あんた多分共鳴キャン色彩バスで、物に籠ってる『人の感情』に共鳴してるわよ」


「え、そう……なの?」


 また一つ、自分が無意識に能力に影響されている事実を知った灯護は、大きく肩を落とした。


「まあいいじゃない。それで楽しめてるなら。芸術の楽しみ方なんて人それぞれよ」


 灯護を慰めた、わけではないだろう。彼女はそんなことはしない。純粋に彼女自身がそう思っているのだろう。


「その互いに違うはずの価値観を比べたい、自分がいいと思った作品を周囲にもいいと思わせたいなんて無粋なことを思った輩が価値基準なんてものを作っただけよ。楽しみたいように楽しむ。それが芸術作品の見方よ」


 キッパリとそう言い放つ。


 そんな真莉の姿と自分を比べ、灯護は大きくため息をついた。自分の意志を強く持っている彼女に灯護は羨望の眼差しを送った。


 なにはともあれ、二人は作品を見て周る。並べられた作品は、どれも人体を模したものであり、畏怖とも呼ぶべき不気味さと神々しさの同居が胸を打つ。


 ある程度作品を見て周ったところで、真莉がいたずらっぽい笑みを灯護に送ってきた。


「ね、タイトル当てゲームしない?作品のタイトルを見る前に二人でタイトルを言い合って、近かったほうが勝ち」


 真莉の感情にながされ、『いいね』と返事してしまいそうになりつつも、灯護の理性が別の言葉を吐く。


「え、でもそんなのダメじゃない?」


「言ったでしょ。楽しみたいように楽しめばいいって。やるわよ」


 笑みを浮かべたまま真莉が先へと進んでいく。もちろん灯護は流された。


 最初の作品は、翼が生えた人の像である。よく見ると、翼を構成する羽は人の手だ。


(『人体は心を表現するための場所に過ぎない』だったっけ)


 昨日真莉が言っていた言葉を思い出し、ならばこれらの作品は感情や心の情動に関するタイトルであるはずだとあたりをつける……が、そうわかったところで想像もつかない。


「えっと、喜びの天使……とかかな?」


「……手助け、とかじゃないかしら」


 台座に貼られた札を見る。タイトルは「Salvation」。日本語にして「救済」の意である。


「すごい、湖月さんのほうが近いね。どうしてわかったの?」


「別に……翼ってどこかへ連れて行ってくれるものじゃない?それが人の手によってできているし、表情が安心しているみたいだったから、なんとなくそう思っただけ」


「へぇ……」


 それだけのことを短い間に読み取っていたのかと感心する。タイトルと知った後のせいもあるだろうが、そう言われれば各部の造形はそのような意味を持っているような気がする。灯護もまた思いがけずその造形の意味を深く考えてしまう。


 人を救っているのが、神ではなく数多の人の手である。これは、人を救うのは神ではなく周囲の人間であるということを示しているのだろうか。そして、自分を救っているものは、救われているものには見えない。翼を自分で見ることができないように……。


 救われている人は、自分を救っているものの正体を知っているのだろうか。そんなことまで考えさせられてしまう、不思議な作品である。


 灯護は、真莉を見る。


 真莉はこの作品から少なからず「救い」の要素を読み取っていた。これはすなわち彼女もまた『人は数多の見えない人によって救われている』という考えを持っているということなのだろうか。誰の助けも求めず、自ら孤高の道を進んでいるように見える彼女が。


 優れた芸術作品は人の心を映す。どこかで聞いたそんな言葉を彼は思い出した。


 以降もタイトル当てゲームは続く。


 次は台座から二本の手が伸びた像。その腕は関節がいくつもあり、それを取り巻くように蓮華の花が巻き付いている。


「生きづらい……みたいな?」


「幸福への執念、とかかしら?」


 正解は『ビターな大人へ』。


「?」


「たぶんこれは――」


 


 全身に穴が開いた人の像。よく見ると体に空いた穴は目の形をしている。


「『見られすぎ」?」


「もうちょっとタイトルっぽくしなさいよ……。『他人の目』」


 正解は『視線』。


 


 体のあちこちからカラフルな耳や腕が生えている人の像。


「……『自分を見て』?」


「さっぱりね。『破壊衝動』とかかしら」


 正解は『臆病なハイドと赤いジャーニーは目立ちたがりと言わざるえない』。


「「わかるかっ!」」


 と、このように二人のタイトル当てゲームはいささか騒がしくはあったが和やかに進んだ。


 灯護は他の客の迷惑ではないかと心配していたが、幸い展示会場にはほとんど人はいなかった。真莉は、有名な芸術家だと語ったが、やはりこの展示を見に来る人間はそういないようだ。


 先まで進むとこの特別展は二階まであるようで、二人は一階の博物館のほうは後回しにして、二階へと上がり、なおもタイトル当てゲームを続ける。


 芸術とこの作者の作品に理解があるだけあって、真莉のほうがタイトルに近い答えを言う率が高かった。しかし、真莉は灯護の正解率が急速に上がっていることに気付いていた。


 次の作品は水面から這い出してきている人の像である。水面には無数の瞳が浮かんでいる。真莉でもタイトルの想像がつかない。


 しかし灯護は、目を細めながらなにやらブツブツ呟いたあと……、


「嫌気……?いや、重たい?……これは『期待されるから苦しい』……かな」


 正解は『Expectation is the root of all headache』。期待は全ての苦悩のもと、という意味だ。ほとんど正解である。


 驚き半分憤慨半分に眉を吊り上げる。


「あなたっ、作品に込められた思いディザルマに共鳴して答えてるわね!」


「え、あ、うん。……ダメかな?」


 ダメとは思わない。しかし、それをやられるとほとんど勝負にならないのも事実だ。


「くっ、私もあと五年もすれば同じことできるし……」


 ディザルマに触れ続け、その深みに嵌っていくほどディザルマに敏感になっていく。それゆえ熟練の魔術師は人の心すら読む。


 真莉は、思いがけずここでも自身の未熟さを思い知らされることになり、奇妙な悔しさに襲われた。

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