第17話 チグハグちぐはぐ
「さ、もうこの話終わり。もっと楽しい話しましょ」
「……!」
楽しい話。そう聞いた灯護の頭に光が走る。今だ。今しかない、と。
「そのさ、遊びに行く……とか、どうかな?」
「は?」
訝しみマックスな視線と感情が灯護に投げられる。哀れ、柳のごとく風に流される灯護の心は、彼女の訝しみの感情に染まり、自分で自分が何を言っているのか訝しんでしまう。
が、彼もそこで心中で自身の尻を叩いた。ここで逃げの言葉を使うことなく、当初言おうとしていた言葉を続けた。
「いやその、ほら、ずっとこうして守ってもらっているから、そのお礼に」
「いいわよお礼とか。それに私、遊びとかそんなことしてる暇ないの」
取り付く島もない。が、ここで灯護も必死に自分の意志を守った。
「真莉さんも息抜きが必要だよ。結局僕が出かけるならついてこなきゃいけないんだし、それならせっかくだしどこかへ遊びに行こうよ」
「そんな暇ないって言ってるでしょ。それに、行くとしてどこ行くのよ」
「これ、さっき先輩からもらったんだけど」
灯護は博物館のチケットをカバンから取り出す。チケットには『流方博物館』とある。
流方博物館と言えば、この流方市においてなかなか有名な大きな博物館である。このあたりの小学生なら授業の一環で誰もが行ったことがある施設だ。まだ引っ越してきて間もない小学生のころ、そこへ行った幼いころの記憶が灯護の中にもぼんやりとある。
「ほら、流方博物。今特別展とかもやってる――」
みたいだし、と続けようとした灯護の声が止まる。なぜなら、博物館、と言ったとたん、明らかにもともとなかった真莉の行く気が完膚なきまでに失せたのだ。もはや共鳴するまでもない。だって表情にも出てるから。露骨に興味がなさそうな顔である。
「あ……、興味、ない?」
「…………うん」
「……」
試合終了。灯護の完全敗北である。おまけに真莉の行きたくない感情に流されて、彼自身ももう行く気が無くなったという完全試合である。彼は真莉に気遣わせないように平気なふりをしつつ、心の中で肩を落とした。
「……」
そんな灯護の様子を見て、流石の真莉も罪悪感を覚える。彼のような共感能力がなくても、真莉は最近彼の様子がおかしいことや、今だって明らかに落ち込んでいることくらいはわかる。
(……私が悪者みたいじゃない)
こういう素直な感情表現をするところも、彼女としては合わない。なまじ彼が他人の感情がわかる能力を持っていると知っているので、こうした行為も計算なんじゃないかと勘ぐってしまうくらいだ。決して彼はそんなことをしないとわかっていても。
「そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。ちなみに特別展示ってなんだったの?」
「え?ああ……確か有名な彫刻家の作品展だったかな」
ピクリ、と真莉の耳が動く。チケットを見返す灯護にそれは見えていない。
「えっと、ネヴィル・エヴァンスとかいう――」
「……‼」
「え?」
「なにかしら?」
灯護は戸惑う。真莉は完全に澄ました顔を貫いているが、彼に伝わってきている感情はどう考えても、
「行きたいの?」
「そ、そんなわけないでしょ。ちょっと知ってる彫刻家ってだけだから」
ちょっと知っているにしてはすごい行きたさ具合である。具体的に言うなら全くその彫刻家を知らない灯護が行きたくて仕方がなくなるほど。
「……。ちなみに、この人ってどんな人なの?」
「は?知らないの?超有名人じゃない。『人体は心を表現するための場所に過ぎない』って考え方による作品を作ってるイギリスの彫刻家よ。代表作の『鐘の天使』はイギリスの――」
と、そこまで言ってハッとする真莉。
「す、好きなんだね」
「そ、そんなことないわよ。教養よ。教養」
そういう彼女の耳は赤い。
「行きたいんだよね?」
「いい加減にして。そんな気はないって言ってるでしょっ」
語気強く、これ以上追及しようものなら本当に怒り出しそうな剣幕だ。ただし行きたいと思う心はそのまま。
かくなるうえは……。
「じゃあ、僕は、行くことにするよ。うん。行きたくなっちゃったしね」
「……」
しばらくの逡巡の後……。
「ま、しょうがないから私も行くわ。……護衛のために」
「うん。ありがとう」
「な、なに笑ってんのよ!」
「いやーなんでもないよ」
こうして今度の土曜。二人は博物館へ行くことが決まった。
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