第16話 それこそが本当の

 駆け足で道路に面した出口へと向かうと、そこには石門に背を預ける少女の姿があった。


「お疲れ様」


 一つ結びの長い髪を揺らし、淡泊にそう言い放つ魔術師。今日も今日とて灯護のバイト終わりに合わせて彼を迎えに来ていた。


 ベタベタの姿で。


「えーっ!」


「あー、えーとこれはね……ちょっと川に入ってね」


「川にっ?どうして?」


「まあほら、私水を主とした魔法使いだし、たまにこう濡れとかないといけないのよ」


「えぇ?不便過ぎない?」


 あからさまな嘘である。しかし、わざわざ追及するのもはばかられる。


 とりあえず灯護は納得したことにする。


「ま、いいじゃない。行きましょ」


 彼女は帰路へ足を進める。それに合わせて灯護も横に並んだ。


 灯護は静かに歩く真莉を、横目に見る。


 彼女を遊びに誘うなら今だろうか。


 問題はこの真莉が遊びに誘ってウンと言うか、ということにある。親睦を深めるための誘いではあるが、そもそも彼女は灯護に良感情を抱いておらず、まずその親睦を深めようとする行為自体に難色を示すかもしれない。


 どう切り出せばいいだろう、と灯護は何度も口を開きかけては閉じる。


 灯護が共鳴することで読み取れるのは、相手の今の感情のみ。相手の思考や、未来の感情を読むことはできない。それでも常人からすればずっと相手の感情に合わせた言動がとれるのだが、しかし真莉に対してはそれが逆効果になることが多い。彼女が灯護の本質、他人の感情に自身も流されてしまうということを見抜いているがゆえだ。


 あれこれ悩む灯護。が、ことここに至って策は無駄だと彼は悟る。もはやダメ元。意を決して彼が口を開きかけたそのとき――


「それにしても、引っ越し業者のバイトしてたなんてねぇ、納得いったわ」


「えっ、な、なにが?」


 出鼻をくじかれた。


「いや、特に部活動とかやってないあんたが、どうして運動部の助っ人に出られるほど体力と筋力があるのか、って思ってたのよ。バイトのおかげだったのね」


「ああ、うん。そうだよ」


 完全にタイミングを逸してしまった。


 それだけで挫けてしまい、話に乗ってしまう。


「それに僕、中学校の時は野球部だったし」


「へぇ、どこ中だっけ?」


「羽北中」


「羽北ってちょっと強いとこじゃない。なんでやめたのよ」


「ほら、それは共鳴キャン色彩バスのせい。それなりにうまくできたから楽しかったんだけど、でも、やっぱり相手の感情がわかるってちょっとズルしてるような気がしてきて、続けられなかった。……今思えば、上手だったのも能力でみんなの経験を吸収してたせいだから、なおさら続けなくてよかったなって」


 真莉は方眉を上げる。きっと彼はもう積極的にスポーツをやることはないのだろう。


 真莉から神妙な感情が流れ込んできたのを感じ、灯護は無理やり話題を変えた。


「まあそれはそれとして。あのーほら、そういえばさ、この生活っていつまで続くの?もし、侵入者に逃げられたりとかしたらさ、今後ずっと僕って命が脅かされたまま生活することとかになる……?」


 ゾッとしない話だが歪理者の世界では十分にあり得そうで怖い。


 しかし真莉は首を振る。


「そうね。仮に逃げられたとして……逃がさないけど、まあそうだったとしても長くて一か月でこんな生活は終わりよ」


「え?どうして?」


「まあ簡単に言うなら、目撃者を消して『その歪理事象が観測されてなかった』ことにするには、期限みたいなものがあるのよ。観測されてしまったことそのものが世界に記録されるとか、いろいろ言われてるけど、要は一か月位経ってから目撃者を消しても、意味がなくなるの。だから、今後一生怯えることになるとかはないから安心しなさい」


「一か月……」


 一生と比べればずっと短いが、それでも最長その間は真莉と共同生活をしたり、命を心配をする必要があると思うと、ずっと先は長く感じる。


「まだ、その侵入者の足取りはつかめてないの?」


「……」


 真莉の感情がやや冷める。


 あまり話したくないようではあったが、真莉は口を開いた。


「全然」


「目的もわからないの?」


「それはちょっとわかってる。この町で何かやろうとしてるみたい。なかなかない例だわ」


「そうなの?」


「ええ。よくあるのはこの町での研究や人を奪いに来るやつとかだから」


「よくあることなんだ……」


「この町に限らず、魔術師が他人の魔術を求めた争いは後を絶たないわ。魔術には、知られるほど修正のリスクがあるから、基本的に魔術師は自身の魔術を秘匿し、一部の人間にしか教えない。それでも欲しいのなら、奪うしかないし、奪われるほうは抵抗する。……それこそ、死ぬ気で、ね」


 灯護にその感覚はわからない。そこまでして奪う理由も、守る理由も。


「ねえ、どうしてそこまでして求めるの? 魔術師ってどういう存在なの?」


「アハハッ」


 灯護の至極まっとうな疑問に、真莉は心底おかしそうに笑った。


「まあそうよね。そう思うわよね」


 それは灯護を馬鹿にしているというより、どこか自虐的な笑いだった。


「質問に質問で返すようで悪いんだけど、じゃあ、あなたは自分の能力を消したいと思わないの?」


「え?」


「方法ならあるわよ。前にも言ったと思うけど、人前で能力を使い続ければ、修正者イーターがあなたを修正しに来る。そうすれば、晴れてあなたは普通の人間よ」


 言われてみれば、今まで自身の能力に悩むことが幾度とあったにも関わらず、共鳴能力も、兄の能力も消したいと思ったことは無かった。


 むしろ、いざ消せるとわかると、なぜか腹の底から言いしれない恐怖がこみあげてくる。これは、修正者イーターを前にしたときと同じ感覚だ。


「消したいとは、思わない、ね」


「でしょうね。魔術師も同じなのよ」


「どういうこと?」


 真莉の何を見ているかわからない目が空を見上げる。夜と同じ色をした瞳に、晩春の空に散りばめられた星々が映った。


「魔術師に限らずね、私たちヴァニタス側の存在が、存続しようとする理由はね、のよ」


「は?」


「まあ、個人個人で見れば、それぞれ理由を持っている人もいるでしょうけど、それでもこっち側の人間のほとんどが、歪理者側の存在でい続ける合理的な理由はないのよ。あなたのようにね」


 真莉が視線を上げる。その先には夜を照らす街灯と、そこに意味もなく群がる羽虫たちの姿がある。


「ディザルマによって世界の理を歪める力を持つ私たちはね、ディザルマに魅かれているのよ」


「魅かれて……?」


「ええ。だから、本能的にその力を失いたくないと思ってしまうし、失うことを恐れる。そしてディザルマによる力を行使するほど、もっとディザルマに魅かれていく……」


 だから魔術師はさらなる魔術の深奥を求めるのだ。ディザルマに魅かれるがゆえにディザルマを求め、それがゆえにさらにディザルマに魅かれていく。たとえその身が滅びようとも……。


「ふうん」


 返事は軽い。自身の思考が知らず知らずのうちに得体の知れないものに魅かれていたという事実を知ったはずなのに。


 それは、その事実に対してなんとも思っていない真莉に共鳴しているからなのか、それとも彼もやはりディザルマに魅かれるものであるがゆえなのか。


 真莉はこの話をしたことを後悔した。

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