第14話 ところがやっぱり
とはいえ、灯護の生活はこれまでと対して変わらなかった。
あれから一週間。いつも通り登校し、学校生活を送り、下校する。前と違うのは、行きと帰りに真莉が必ずついてくることと、放課後の助っ人が生徒会の活動のみになったことくらいだ。生徒会のメンバーは、真莉以外はよくしてくれたし、その真莉も灯護に当たりが強いというだけで、毎日自分を守ってくれていることには感謝している。
奇妙な感覚だった。
きっと後者だ、と灯護は思う。
生徒会の活動として、神秘の力を悪用する生徒や、暴走した生徒を治めることがある。灯護が手伝いをしている期間もその活動をする機会は何度か訪れていた。しかし、メンバーが灯護をそれに関わらせることは一度も無かった。真莉がそれを許さなかったからだ。
彼女は灯護に、歪理者側の事にはなるべく関わらせたくないようであった。
『今回の件が関係することで、あなた日常が侵害されるのなら、それも含めて私の責任よ』と、一週間前に彼女はそう言った。彼女は灯護の日常を変えないことが、彼女のとるべき責任だと思っている。
それはとてもありがたいことだ。
(だけど……なんか、寂しいな……)
知ってしまった以上は戻れない。今までと同じ生活を送ろうが、その裏に溶け込んだ歪理者たちがなくなったわけではないし、それを意識しないこともできない。
真莉の気づかいは感謝すべきことだとは頭ではわかっているし、実際感謝している。けれど、なぜだろうこの感覚は。
いうなれば疎外感。しかし、どうしてほしいのかも、どうすればいいかの代案も思いつかない。ただ漠然としたやるせなさが灯護の心に灰のように薄く募った。
それでも日常は時間とともにただ進んでいく。
今日も灯護は放課後に、アルバイトにいそしんでいた。
彼のアルバイト先は引っ越し業者である。アルバイト禁止の高校に通いながらも、いかにしてアルバイトをしようかと迷っていたところに、祖母が知り合いのつてを使いこのアルバイト先を紹介してくれたのだ。営業主が祖母の知り合いということもあり、栄方高校生ということも織り込み済みで雇ってもらえてるし、シフトもだいぶ融通を聞かせてもらっている。
今日の仕事は、荷物の積み込み。整然と段ボールが並べられた倉庫から、灯護は次々と段ボールをトラックへ載せていく。これがなかなかの重労働で、腕が震えるほどの重さのものを運ぶのも珍しくない。そんなものがあるなかで、何度も倉庫とトラックを急いで往復するのだから、汗も噴き出す。
「ふぅー……」
一通り荷物を積み終え、灯護は袖で汗を拭いながら一息ついた。
晩春の空気は包むように温かく、穏やかに吹く風が倉庫内の埃っぽい空気は攫っていく。
その風に僅かな癒しを覚えつつも、灯護はこれから暑くなってくる季節を思い、その心にどんよりとした雲がかかる。夏の肉体労働は過酷だ。日にさらされることが少ないアルバイトとはいえ、逆をいえば室内で風の恩恵を預かれないアルバイトでもある。
熱中症になった去年のアルバイトのことを思い出し、灯護は自虐的な笑みを浮かべた。
今日の仕事は終わり、と言い渡され、他従業員たちは倉庫から引き揚げた。従業員たちは事務所へと向かっていき、灯護たちアルバイト生たちは、更衣室へと向かう。
更衣室は金属の簡易的なロッカーが並んでいるだけのシンプルな作りだが、その分広く使い勝手はよかった。
「いやー日ノ崎くん。今日もお疲れ様」
話しかけてきたのは、保坂という大学生のアルバイトだ。物腰柔らかな物言いとは裏腹に、その体格は格闘家もかくやというほどに立派である。この筋骨隆の偉丈夫でありながら、アカペラサークルに所属しているというのだから驚きだ。
「あ、お疲れ様です。今日は結構重い積み荷ばっかりでしたね」
「まあな。大変だけど、そのぶん鍛えがいがあるってもんよ」
力こぶを作り、ニカッと歯を見せる保坂。運動部には所属していない彼だが、しかし無類の筋肉好きではあるのだ。この肉体は副産物ではなく、全て自前である。
「日ノ崎くんもそろそろ一年経つけど、結構筋肉ついてきたね」
「そうですねぇ、従業員さんとか、他のアルバイトの方と比べるとまだまだ全然腕とか細いですけど。それでも、まえよりはずっと体力も筋力もついてきてますね」
「うんうん。どうだろう。もっと筋肉がほしいのなら、僕のプロテイン試しに何日か飲んでみないかい?」
あからさまな筋肉ごり押しだが、しかし、保坂の筋肉大好きに共鳴してしまっている灯護の目の輝きは彼と同じものになり、本気で保坂の提案に関心してしまっている。
「おいおい、やめとけってぇ、どう見ても日ノ崎くんは細マッチョが似合うタイプだろー」
と、危うく筋肉ロードに踏み入りそうになった灯護を、他のアルバイト生が救い出し、更衣室中に笑い声が響き渡る。
「そんな色男に今日も彼女が待ってたぜ。はやく行ってやんなよ」
「そんなんじゃないですって!」
モテない筋肉たちから、嫉妬と悪戯心の混じった冷やかしを受けるが、まさか本当のことを言うわけにもいかず、さりとてなぜ毎回真莉が迎えに来てくれるのかをうまく方便で回避することもできず、曖昧な受け答えをせざるえない。それまた初々しい反応のようにうつり、男たちの冷やかし心を煽る。
一通り冷やかされたあと、満足した様子の保坂に詰め寄られる。
「まあ、まだ付き合っていないとしてもだよ?こうして迎えに来てくれるんだから、むこうは悪しからず思っているってことじゃないのかい?」
「いやぁ……いっつもイライラされてますよ」
「それは照れ隠しだよ絶対。かわいいなぁ」
「うーん……」
(隠すも何も、直接伝わってくる感情がそうなんだよな……)
目を閉じて唸る灯護を見て、保坂は切り口を変えてみる。
「まあ、あの子のことはともかくとしてさ、灯護くんはどうなのさ」
「僕ですか?うーん……」
そもそも前提として真莉が自分と行動を共にしているのは、灯護を守るためであって、そこに甘い理由は何もない。それを灯護もわかっているがゆえに、そこには恋愛的な感情など挟まる余地もない。しかし、だからといって何も思っていないというわけではなく、しいてそれを言葉にするのならば、
「そうですね、もっと……楽にしてくれたらいいのに、とは思ってます」
ため息を吐くように、灯護はそう漏らした。
真莉はいつも気を張っている。日常生活でもしかり。灯護を前にするときはなおさらである。確かに、彼女は殺伐とした世界に身をおいているし、彼女が手を抜けばすなわちそれは灯護を危機にさらすことにほかならないので、そんなことを彼女に言うのは激昂ものだが、しかしそれでも灯護はこう思わざるえないのだ。
自身を守るために真莉が自分の近くにいるたびに灯護は真莉から、強い責任感を感じるのだ。彼女は、灯護をただ責任感で守ろうとし、そしてそれ以上を求めていない。この一週間、彼女とともに登校し、生徒会の仕事をともにし、下校しているのに、彼女はいつも灯護に一線を引いている。言葉を交わしているのに、そこには壁があるようで、彼女と全く仲良くなれた気がしないのだ。そして彼女はそれに何の疑問も抱いていない。
これだけ同じ時間を過ごしているというのに、近づいておらず、相手もそれを疑問に思わないという不和。そのズレが今軋みをあげている。
灯護と彼女は友達ではない。護衛者と被護衛者の関係。しかし、その関係であるからといって、仲良くなってはいけないというわけではないはずだ。
灯護の言葉になにやら影を感じたのか、保坂がことさらに声を明るくする。
「なら、お互いもっと交流が必要だよ。うんうん」
「交流ですか?でも一緒にいるにはいるんですけど……」
「なら、いつもとは違うシチュエーションとかならどう? 二人で遊びにいったりしないの?」
「遊びに、ですか。……確かにそれはいいかもしれないですね」
考えてみれば真莉が灯護といるときは、当然護衛が必要と思われるときだけだ。いわば必要だからそうしているだけ。それでは機械的な関係になるのも当然かもしれない。そういうのとは全く関係なく、ただ遊びに行くというのはいいかもしれない。
灯護の前向きな返事に気を良くしたのか、保坂は上機嫌に頷いた。そして、何か思い出したようで、突然手を叩いた。
「あ、そうだそうだ。なら、ちょうどいいものがあるぞ」
といって、彼が自身の大きなリュックから、二枚の紙を取り出した。
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