第11話 湖の魔女たち

「待ってたわ真莉。それに灯護君も」


「え……」


「私は真莉の姉の唯花よ。よろしくね」


「あ、はい」


 それにしても どうして僕の名前を、と灯護が言う前に真莉が続ける。


「姉さんは、この町の結界そのものなのよ。だから、この町のどこに、だれがいるのか手に取るようにわかるのよ」


「ああ、それで……」


 そして真莉は、その探査結果を逐一把握することができる。そうして彼女はこの町の管理人としての役割を果たしているのだ。


 しかし唯花は眉を下げる。


「でもそれがわからない侵入者が来て困っちゃってるんだけどね。……真莉、一応昨日結界の術式を一通り見直してみたけど、おかしなところは見つけられなかったわ」


「そう……。姉さんでわからないなら、私が見直しても無駄か……」


 渋い顔で顎を手でなでる真莉へ、唯花は続ける。


「あなたのほうは何かわかった?」


「いいえ。でも昨日、美阪のほうの墓地でそいつとひと悶着あったの」


「ああ、昨日あそこであなたが魔術を使ってたのはそういうわけだったの。それで、灯護君が見ちゃったから、特別警護させようというわけね」


「そういうことよ。お願い、姉さん」


「もちろん、あなたが、やれと言えばやるけど……。父さんはいいって言ったの?」


 その言葉を聞いた途端、灯護に伝わってくる真莉の感情が、氷よりもずっと冷たくなった。


「私の行動で、あの人の許可が必要なものなんて一つもないわ」


 妹の言葉に、唯花は困ったようなため息をついて、


「わかったわ。もう何もいいません。……じゃあ、灯護君。こっちきて」


 言われたとおりに灯護は唯花に歩み寄る。水で形どられた人という、未だかつて見たことがない神秘を前に、彼は内心感動していた。背後の岩壁が透けて見える水の塊から、人と同じディザルマ感情を感じる。改めて灯護は遠くまで来てしまったと思った。


 唯花が両手を包むように合わせる。すると、洞窟内が数度紫色に瞬き、ゆっくりと開かれたその手のひらには、紫色をした水が球状に形を保って浮いていた。


「なに?用意してあったの?」


 灯護を特別に守るためには、いくつかの魔術の書き換えと、灯護自身にも魔術を付与しなければならない。それらを行うには多少の時間がかかると踏んでいた真莉だったのだが、彼女の姉は、それらをすでに終わらせ、あとは灯護に付与するたけにしておいたようだ。


 唯花は得意そう顎を上げる。


「あなたがどうするかなんてお見通し。さ、灯護くん。これ飲んで」


「あ、はい」


 言われるがままに、差し出された水球へと唇をつける灯護。飲んでも大丈夫、という二人の感情に流され、得体の知れない水を飲むことへのためらいなどなかった。


 灯護が水球を飲み切ると同時に彼の体が数度淡い紫の光に瞬く。その様子を、灯護は手の平を何度も表に裏に返しながら見送る。点滅のたびに先ほど感じた痛みが走るが、それも顔を顰める程度で、体から発される光とともに数秒で収まった。


「……終わり?」


「ええ、終わりよ。これで前よりずっとあなたは守られるわ」


 手を合わせてそう微笑む唯花。よく微笑むその姿は、いつも眉間にしわを寄せている真莉とは対照的だ。


「なんか、特に変わった気はしないんですが……」


「フフフ、あなたの体をどうこうしたわけじゃないもの」


「なるほど。……ありがとうございます」


「フフ、お礼なら、真莉に言って」


 そう言われた灯護が真莉のほうを向く前に、彼女から釘が飛ぶ。


「もうもらったわよ」


「厳しいのね。それと、真莉。触媒持ってきてるでしょう? 彼が持ち歩けそうなもので」


「ええもちろん」


 と言って真莉は、ポケットからペンダントを取り出した。銀色のチェーンが眩しいそのペンダントのトップには、シンプルな装飾が施された親指の爪ほどの大きさの紫水晶が施されている。


「あら、ずいぶんといいものもってきたのね」


「プライドにかけてるんだから、手抜きはしないわ」


「フフ、あなたが何かに手を抜いたことなんてあるのかしら」


「いいからはやくやってよ」


「はいはい」


 唯花は真莉からペンダントを受け取ると、彼女の手から再度紫の光を帯びた水が湧き上がり、ペンダントを覆う。水は時間とともにペンダントに吸収されるかのようになくなり、全ての水がなくなったころには、ペンダントについていた紫水晶の色が、黒と見間違えるほどに濃い紫色となっていた。


 そのまま唯花は、ペンダントを灯護へ差し出す。


「さ、灯護君。これをつけて。そして事が終わるまでそれはずっとつけてなさい。どんなときも外しちゃだめよ」


「これは?」


「お守り。もちろん気休めじゃなくてちゃんと魔術が込められた、ね」


 言葉の最後にウインクを飛ばす唯花。見た目は大人っぽいが、その見た目からうかがえるより年齢は低いのかもしれないと灯護は思った。


「あなたに万が一のことがあってもこれが多少のことからなら守ってくれるわ。真莉がその場にいなくても時間くらいは稼いでくれるでしょう」


「ありがとうございます……」


 ペンダントが灯護の手にのせられる。金属部は氷のように冷たく、色の深まった紫水晶が強く灯護の視線を引き付けた。


 と、宝石を見つめる灯護に、真莉が声を挟む。


「ちなみにそれ五百万はくだらないものだから」


「ええっ!」


「当り前じゃない。本物の宝石、しかも魔術的にも意味を持たせたペンダントなんだから」


「そ、そんなものを……」


 ペンダントを持つ灯護の手がわななく。


「こら、あげたわけじゃないから。ちゃんとこの件が片付いたら返してもらうわ。で、そのときもしなくしたり、傷ついてたりしたら、弁償してもらうから」


「えぇ……」


 いろんな意味ですごいものを借り受けてしまった、と再度ペンダントを眺める灯護。ペンダントがさっきよりも重くなったように感じる。


「ちょっと、なにいじわるしてるの。そんな簡単に傷なんてつかないから大丈夫よ」


 と、灯護を気遣う唯花であったが……、


「あ、でもなくすのは知らないけど」


 と、付け加えた唯花の目には先ほどの真莉と同じような光が灯っていた。やはり姉妹というところだろうか。


「さて、じゃあ、ちょっと姉さんと話するから、外で待っててもらえる?」


 魔術師は修正を恐れ、自身の魔術が人に知られるのを嫌う。直接魔術仕組みに関することでなくとも、それを他人に知らたくはないものなのだ。


 灯護はそんな事情を知る由もないが、彼女たちのその気持ちがまさに自分の事のようにわかる彼は、素直にそれに頷いた。


「うん。じゃあ、外にいるよ」


 と言って彼は出口へと歩を進めながら、周囲に広がる神秘的な光景を名残惜し気に見回した。自身の理解はもちろん、言葉でも表しつくせない光景を前に、ただ圧倒され、心まで爽快な青さに染まってしまったかのようであった。


 出口に差し掛かる前に真莉たちのほうへ振り返る。そこには灯護に聞こえないよう小声で話す二人の姿がある。


 二人は特殊な点こそ多々あれ、その関係は特別仲の良くも悪くもない普通の姉妹のように見える。


 けれども、そうではないらしい。


 灯護は二人が対面したときから、両者から伝播してきていた思いを振り返りそう思う。その感情は冬の雨のように、冷たく触れ難い。


 二人はどうして、


(どうして、あんなに悲しそうなんだろう……)


 天井から滴った冷たい雫が、灯護の頬に落ちて伝った。

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