第10話 日ノ崎 灯護という男は、

 学校を出て、真莉は徒歩、灯護は自転車を引きながら真莉の姉の元へ向かった。


 道中ふと考えこんだ真莉が、しばらくして声を漏らす。


「そっか……。だからあなた、なんでもそつなくこなしちゃうのね」


「え?どういうこと?」


「どうって、共鳴キャン色彩バスで魂に共鳴するっていうのは、要するにディ原子ザルマに……」


 と、真莉はまた用語の説明の必要性を感じたようで、小さく息をついた。


「あー、またこの世界の仕組みの話になるんだけど」


 と前置きした真莉は、近くの背の低い街路樹から葉を一枚千切った。生命力を感じる薄緑の若葉を指でクルクル回す。


「この世界の全ての形ある物質はね、原子やそのさらに小さい粒子に至るまで、『アルマ』っていう一つの根源要素で構成されているの。一方で、この世界に存在する全ての形ないものは、『ディザルマ』という根源要素でできているのよ」


「形のないもの?」


「そ。人の感情や意志、そして……経験や技術も含まれている。悠斗さんがあなたにわかりやすいように、これら体内にあるディザルマの集合を『魂』と説明したんだと思うわ。つまり、あなたの能力を、歪理者ヴァニタス側的に解釈すると、『他人のディザルマに共鳴する能力』って言い換えられるのよ。で、あなたの能力が、『ディザルマの共鳴』だとすると、あなたがなんでもこなせちゃうのも説明がつかない?」


「……!」


 突然吹いた風が、真莉の手から木の葉を攫った。


 確かに、灯護は物事の習得が早い。二年生となった未だにあらゆる部活から勧誘を受け、その助っ人をこなせているわけはそこにある。例えば運動部なら、そのスポーツをほとんどやったことなくてもすぐに経験者一歩手前ほどのレベルにまで技術を伴わせることができるのだ。そんな人材が惜しまれるのは当然だ。


 灯護はそれを単純に自身の一個人としての才能、実力の類だと思っていた。しかし、真莉は言った。経験、技術もまたディザルマという根源的要素で構成されているという。他者のディザルマ感情を感じることのできる能力を持つ彼が、同じくディザルマで構成されている経験、技術を感じることができても不思議ではない。いや、むしろそう考えるほうが自然だ。


「……」


 灯護は思う。なんて自分は能力に支配されているのだろう、と。運動神経の良さや習得の早さまでも、結局は共鳴キャン色彩バスによるものだった。能力によって人に流されやすくなっているだけでなく、自身の取り柄だと思っていたことすら能力のおかげだったとは。


 真莉も同じことを思ったようだ。


「にしても、あんたってほんと……」


 『弱いわね』と、流石の真莉もそこまでは口にしなかったが、しかし、噤んだその後の言葉は十分に伝わってきた。なぜなら、灯護の心に自分のものではないであろう嫌悪感が芽生えたのだから。


(湖月さん、しっかりと自分の意志で生きてるっぽいもんな……)


 そんな彼女から見たら、共鳴能力に翻弄され、結果いろんなものに流されるままな生き方の灯護はさぞ不快に見えたのだろう。


 伝播してきた嫌悪感が自身の心と混ざり、自分が真莉に嫌悪感を抱いているという錯覚を覚える。これこそまさに流されていると、灯護は必死に自身の嫌悪感を理性でなだめた。


 ある程度道を進んだとき、灯護は眉をあげる。この道は昨日の墓地へと向かう道だ。案の定しばらく歩くと、昨日真莉と出会った墓地にまで来ていた。墓地前には何台ものトラックが停まっており、ヘルメット被った作業員たちが酷い有様となった墓地の復旧をしている。


「車が突っ込んだってことで処理してるのよ。そう見えるように多少工作してね」


 その工作は、昨日残った新井が手配したものだ。


「ねえ、もしかして、昨日お姉さんのところに行くつもりだった?」


「あら、流石察しがいいわね。そうよ。行こうと思ったその途中でディザルマまりょくを感じて、襲われてるあんたを見つけたわけ」


 だから、またここを通ることになったのかと灯護は納得したようだった。しかし、新たな疑問が湧く。二人は墓地を過ぎ、先へと進んでいるが、この先は山あいの道となっており、民家は少ない。右手にも左手にも、うっそうと木が茂っており、もうすぐ夜になるということも手伝って、その先は暗い。いよいよ行き先に不安を覚える。


「結局、どこまで行くの?」


「すぐよ。ほらこっち」


 と言って、真莉は突然左手に見えていた森に足を踏み入れはじめた。


 一瞬戸惑った灯護であったが、しかし、彼女が踏み入った先にはちゃんと砂利が敷かれた道が続いていた。自転車を停めてから彼女に続く。


 真莉についていきながら、灯護は振り返る。砂利が敷かれた薄暗いこの脇道のむこうには、見慣れたアスファルトの道路が光を浴びている。まるで別世界に来てしまったかのようだ。そうした世界は、もっと遠くにあると思っていた。しかし違った。現実を超えた世界はいつも現実を隣り合っている。この道のように。


 普段から、世界の境を何気なく目にしている。この道のように人気のある道からなぜが伸びている舗装もされていない道など、思い返せばいくらでもあった。「あれはなんの道なのだろう」となんとなく疑問に思っているだけで終わっていた道。そんな道の一つに今自分が足を踏み入れているのかと思うと、灯護は昨日という日からずいぶん自分が遠くに来たように感じた。


 しばらく森の中を進んでいくと、突然視界が開けた。薄暗い林の先には、夕日に赤く染められた広い湖が広がっていた。暗い場所から見る湖は、波立ちに光を幾重にも反射し、輝いて見えた。広くはあるがその水は澄んでおり、遠くに魚影も確認できる。チャプチャプと静かに打ち寄せる水音だけが木々に反響していた。


 その風景の透明さに、自身の意識まで溶けていきそうで灯護は少しの間言葉を失った。


 湖畔に沿って道を進んでいく。


 道中、灯護は自身に緊張と躊躇いが混ざった『感情』を感じていた。無意識に足取りが重くなっている。この現実から乖離したような空気にあてられている……だけではないことを灯護はわかっていた。確かに不安を覚えるような状況だが、しかし、いつも通り真莉が平静なら自分の心がここまで乱れるはずがない。これはきっと、真莉もまた緊張しているということだ。


 頭の中に重い水が流し込まれたかのような鈍い感覚。


 これから会う姉との間に何か事情があるのだろうか。


 そう思って真莉の背を見るも、口数が少なくなった彼女の思考まで読めるはずもない。灯護も黙って後に続いた。


 やがて大きな洞窟へと行きついた。


 暗く先の見えない穴が口を開けているのに、そこから感じるのは恐怖ではなく神聖さ、いうなれば畏怖に近いものだった。風と水音が重なり合い、洞窟がそれを自然の歌へと変えている。


 流れ出てくる空気は冷たい。雰囲気にのまれて思わず灯護は息をのんだ。


「……こんなところにお姉さんがいるの?」


「……まあね」


 やはり彼女の声は固い。しかし、彼女の足取りには微塵も乱れは見られなかった。ずんずんと彼女は洞窟の闇へと姿を隠していく。


 見失わないように灯護も足早に追いかける。


 洞窟は人二人が余裕で並んでいられる程度の幅があった。灯護は自然と彼女の隣に並ぶ。洞窟の中に光源は無かったが、足を進めているその奥から不思議な青い光が差している。一歩進むごとに太陽の光からは遠ざかり、同時に青い光の元へ近づいていく。


 どこからか聞こえてくる水滴の音が洞窟に何度も木霊していた。


 洞窟を抜けたとたん、灯護の開けた視界はいっぱいの青に染まった。


「うわぁ……」


 目を細め、同時に驚嘆の声を漏らす。


 そこは洞窟内にできた広い空間だった。その広さは相当なもので、高さは十メートルほど、幅と奥行きも三十メートルほどはある。鍾乳石だろうか、岩壁全体が白く、天井からはつららのように白い岩が垂れ下がっていた。そして、そんな空間に青く光る幾何学模様、魔法陣が壁から天井にまで刻まれている。魔術を成すのは魔法陣だけではないのだろう。魔法陣の各所に文字が書かれた札や短剣などが設置されている。よく見れば魔法陣を構成する線の一本一本が、灯護には読めない文字列でできている。


 一段と青い輝きを放っているのは床であった。床、といってもそこにあるのは岩肌ではなく、一切の傷もない冷たい氷である。さきほどから寒かったのはこのせいだったのだ。壁と同じように魔法陣が刻まれたそれは、冷気とともに神聖ささえ感じる美しさを放っていた。


 青が織りなす魔術の場。想像すら超えた幻想的な光景に、灯護の口からため息が漏れ、その息は白い。魔術はわからずとも、この場所で途方もない魔術が行使されていることを彼は肌で感じていた。


 真莉はためらいなく氷の床に足を踏み入れる。もちろん氷はびくともせず、魔法陣に乱れはない。灯護もそれに続いた。氷は固く、また滑りもしない。下を覗けば、魔法陣の間から覗く氷は驚くほど透きとおっており、今立っている場所がずっと湖底から高いことを教えてくれる。


 氷の湖の奥に、六つの剣を頂点とした魔法陣があった。不思議なことにその魔法陣の内側だけは氷が張っておらず、静かな水面が覗いている。そこへ近づくと、周囲六本の剣に青い光が灯り、中央の水面が揺らぎはじめた。


 やがて水が盛り上がり、灯護たちの目線ほどの高さにまで達する。さらにそれはみるみる形を成していき、ついには一人の長い髪の女性の姿をかたどった。


「また来たわ。姉さん」


 真莉がそう口にして、灯護は目を見張る。確かに、真莉と違って温和そうな目つきであるが、その顔立ちは似ていないこともない。しかし、この不可思議な水でできた存在が姉とは一体どういうことなのか。


 自身の感情に、新たな感情が混ざったことを感じる。すなわちそれは、この水にディザルマたましいがあるということを示している。


 真莉の姉が微笑みながら口を開く。


「待ってたわ真莉。それに灯護君も」

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