第8話 開かれていく扉

 それ以降はいつもの学校生活だ。いつも通り授業を受け、友達と他愛もないことを談笑する普段と変わりない時間がここにある。


 変わったとすれば、灯護の認識だった。


 真莉に昨日聞いた話。この町が歪理者たちの保護区であるということ。それなら、この高校にもきっと自分のような歪理者がたくさんいるということになる。そんなことは気付きもしなかったし、思いもよらなかった。そう考えると、灯護にはこの何気ない日常の光景が全く別世界といっていいほどに違うように思える。こうして笑いあっている友達がもしかしたら歪理者ヴァニタスなのかもしれないし、昨日のような魔術師同士の諍いが実は今校内で起きているかもしれないのだ。視点を世界へ広げれば、もっとその可能性は高いだろう。


 一夜にして自分の持っていた常識が作り替えられてしまった。


 窓の外に視線を下せば、そこには晩春の日差しが降り注ぐ校庭が広がっている。そしてその端には灰色のシートに覆われた体育倉庫の姿がある。先日老朽化で壊れたとのことで、現在修復工事中という体育倉庫であったが、真莉の話を聞いた後では、あの体育倉庫も誰か歪理者が起こした事故か何かで壊れたのではないかと勘ぐってしまう。思えばあの体育倉庫は勝手に壊れるほど古かったようにはみえなかった。


 日常に紛れている神秘の世界。


 それはどこか遠い場所にではなく、日常と重なって常に存在していたのだ。


「なにボーっとしてんだ?」


 と、声をかけてきたのは、今日も上機嫌そうな春日だ。


 気付けば昼休みの時間になっており、灯護の席の周りには春日と三城が集まってきている。


「え、あ、何?」


「何って、だから、今朝そんな面白いことがあったんなら俺も見たかったって話だよ」


「あ、ああ。それね」


 上の空な灯護の返事。二人の友人は顔を見合わせた。


「なんか、今日灯護ずっとそんな感じだね。疲れてる?」


「いやぁ、そりゃあの副会長と一緒に登校だろ?そりゃ疲れるぜ。俺だったら即逃げ」


 よく問題を起こす学は、何度か真莉の逆鱗に触れているせいで身震いしながらそう言った。


 遠慮ない言葉に、思わず灯護は隣の席を見るが、そこに真莉の姿はない。生徒会室だろうか。「もー。それひどいよ。まーりんは、別に普通の子だって。学がいつもダメなことばっかりするから怒られるんでしょ」


 『まーりん』というのは、三城が勝手につけた真莉のあだ名である。普及率は0.1%ほど。すなわち三城しか使っていない。あの副会長をあだ名で呼ぶなどという恐れ知らずなことができるのは三城くらいだ。


「灯護はまーりんに怒られることなんてないし、それとは別の事でしょ」


「ま、まあね」


 嫌われてはいるみたいだけど……、と灯護は内心自嘲しつつそう答える。


 灯護は内心困ってしまう。自分のように共鳴能力がないにも関わらず、友達が僅かな変化を読み取ってくれたことはうれしいことだが、しかし本当のことを言うわけにもいかない。


「ほら、昨日夜ふかししちゃってさ。普通に眠いんだ」


 これは本当。といってもなぜ眠れなかったかといえば、結局昨日の出来事が衝撃的過ぎたからなのだが……。しかし、幸いそこは追及されなかった。


「ははぁ、また助っ人関係だな?」


「やっぱりそうなの?もー灯護、ほんとにいろんな人助けたすぎだよー」


「ハハ……まあ、努力するよ。うん。それより学食行こうよ。お腹ペコペコ」


 笑って灯護は席を立った。


 と、こんなふうに、一日がいつも通り何気なく過ぎていった。下手をすれば朝以外は昨日と入れ替えても気付かないくらいのいつも通りの学校生活。しかし、そんないつもどおりは、放課後にて終了した。


 ホームルームが終わり、迎えた放課後。いつも通り、灯護に助っ人を求める生徒が集まり始め、いつも通り灯護がその頼みを断りあぐねているたそのとき、思わぬ人物が声を上げたのだ。


「はいはいそこまで。今回は生徒会が彼をもらうから」


 キッパリとそう告げたのは、湖月真莉その人。


「今朝からずっと言ってるでしょうが。あんたたちのほうから聞いてきたのにもう忘れたわけ?」


「なんだよ副会長。そんなこと言ったって決めるのは灯護だぜー?」


「そうそう。私らの部のほうが楽しいよー」


 口々に副会長の横暴へぶーたれる生徒たち。そんな彼らを真莉はキッと一睨みで黙らせ、視線で灯護に来いと促す。


 かくして事は決し、たった真莉の一睨みで灯護に降り注ぐはずだった全ての頼みごとがはじきとばされた。


 早足で廊下を歩く真莉の背を追いながら、灯護が口を開く。


「今朝言ってたこと、本当だったんだ」


「あったりまえよ。いくら学校が安全でも、あんたにあちこち助っ人行かれたら、見張るのも面倒でしょうが。その点、うちの手伝いさせれば、人手は増えるし、あんたの行動を把握できるし、一石二鳥よ」


「ははぁ」


 相変わらず隙が無い。今朝言ったことは、全くもってとっさに出した口から出まかせなどではなく、ここまで考えてのことだったのだ。


「生徒会のメンバーにはもう昼の間に話通してあるから」


 二階にある生徒会室に、真莉がノックしてから入り、灯護もそれに続く。


 生徒会室は、スッキリと整頓が行き届いている場所だった。左右の壁に並ぶ棚にキッチリ書類が詰められており、並べられた机の上に放置されている書類もない。テープ類やペン立ても位置が決められているかのようにしっかりと等間隔で机端に並べられていた。


 室内には一人の少女が座っていた。


 女子にしてはずいぶん短い髪の茶髪の少女は、灯護を見たとたん両拳を握って席を立った。


「おおーっ!ようこそいらっしゃいました灯護先輩!」


「うん。おじゃまします」


 早速場に適応し、ニッコリと笑みを浮かべる灯護。灯護のその笑みを見て、少女のテンションはさらに上がる。もし彼女に尻尾があったのなら、間違いなくものすごい勢いでそれを振っているだろう。


「私っ、武部恭佳って言います!キョーカって呼んでください!」


「よろしく」


 ストレートな好意で、灯護の心も同色に染まる。こういうプラスの気分ならいくらでも流されてもいいと彼は思う。


「事情は聞きましたよ。魔術師に狙われるなんて災難でしたね」


「え、あ、あれ?恭佳さんもそっち側の人なの?」


 恭佳は大きく頷く。


「はい!この学校にも歪理者はいっぱいるので、私たち生徒会は、彼らが起こす問題への対応もしているんです。もちろんそれができるメンバーでできてます。私は普通なんですけどー、書記の細波さんは、霊能力者ですし、生徒会長なんて体を槍にできる半訂者ウォーカーですし」


「そうだったんだ……」


 急に増えた手伝い要員を、生徒会の人たちにどう説明したのかと気になっていたが、ありのまま話しても問題ない人たちの集まりだったのだ。感心する灯護をよそに、真莉は腕を組んで恭佳へ向き直る。


「なにが『私は普通』よ。生身で獣人倒せる人間を普通とは言いません」


「あー、酷いですー!」


「会長たちは?」


「みなさん用事があるみたいですよ。今日は私たちだけです」


 真莉は軽い舌打ちを鳴らした。


「そ、ならさっさと始めましょうか。日ノ崎くんにも手伝ってもらうから」


「え、手伝うって、できることあるかな?」


 歪理者の知識もなければ、それにまつわる仕事の見当もつかない灯護は不安になるが、恭佳が笑って手を振った。


「仕事って言っても、事件が起きない限りは普通に生徒会の仕事ですよー」


「あ、そうなんだ」


「はい!それではしばらくの間よろしくお願いしますね」


 生徒会室を出ていった真莉に二人は続いた。

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