第7話 情愛の糸とグダグダの朝

 ということがあったのが昨日。


 その後、灯護宅に宿泊するために祖母のところへ直行。厳格な祖母が絶対にこんな突然の宿泊など許すはずがないと思う灯護をよそに、


 『……というわけで、両親を亡くした私には、しばらく私は行く当てもなく、このままでは露頭に迷ってしまうのです。アー、シクシク』


 という、真莉の大根芝居が炸裂。


(えぇー⁉)と内心驚いた灯護であったが、しかし驚きの展開はこれに終わらず、『オオ、なんと可哀想な……。いいんじゃ。いつまでもうちにおるとええ』と祖母、妹ともに快諾が続いたとあっては、開いた口がふさがらなかった。あとでタネを聞いてみれば、ちょっとした暗示魔術で承諾に誘導させたということだったらしいが、それにしたってあの演技は酷い。


 あくびを噛み殺して食卓にて朝食を食べる。メニューは、みそ汁と漬物とご飯。日ノ崎家は祖母がキッチンに立つことがほとんどなため、いつも朝食はご飯である。最近春奈はたまにはパンがいいと言ってごねているが、灯護としてはご飯のほうが好きだった。


 灯護の家の内装は、絵に描いたような中流家庭の家だった。リビングとキッチン一体となったよくある造りに、冷蔵庫に貼られたチラシやポイントカード類が一層その感を強めている。流しっぱなしのテレビからは、ノアリー系列企業の新しい洗濯機のCMが流れている。そんな食卓にて、三人家族と一人の魔術師が食卓を囲む。


「さ、目玉焼きだよ。湖月ちゃんも食べな」


 と祖母が四つつながった目玉焼きを大皿に移してから四分割する。


「わぁ、とてもおいしそうですわ。ウフフ」


 と、キラキラとしたエフェクトが入りそうなわざとらしい所作に、(だからなんなのさその演技は……)と心の中でツッコむ灯護であった。


 朝食を終え、二人は学校へ。


 わざとらしい演技とともに玄関を出た真莉に半目を送りつつ、灯護は真莉と肩を並べる。真莉の背は高く、男子の平均的な身長の灯護と同じくらいであり、文字通り二人の肩は並んでいる。


 清々しい晴れの空は、流れる雲をアクセサリーに今日も青を深めている。背の低い街路樹から差す木漏れ日が、瑞々しい新葉たちの影を浮かび上がらせている。


 学校は灯護の家からバスで二〇分くらいの距離にある……のだが、灯護はその距離を自転車を使って通学している。通勤ラッシュの時間帯、いろんな種類の人間と過密に押し込められるあの空間では、尋常でないほどいろんな感情が自身に混ざりこんでしまい、とても耐えられたものではないからだ。


 ということを真莉に話すと、


「えぇ、マジ……? 私自転車持ってないし、じゃあ一時間くらい歩き?」


「いやあ、でも真莉さんだけでもバスで……」


「それじゃあんたを守れないでしょうが!」


 ごもっとも。


 彼女の怒気と自身の申し訳ない気持ちが混ざり、暑いような寒いような奇妙な感覚が彼を襲う。


 真莉は空を仰ぐ。


「まあ、昨日言ったみたいに、魔術師は修正を恐れて、人に魔術、それどころか自分の姿さえ見せないやつもざらだから、こんな人目のある真昼間に襲ってくることもないでしょうけど……それでも可能性は無視できないんだから……」


 油断はできない。流石に学校にまで入れば、人目が多すぎることに加え、ノアリーが学校に施した結界があるので大丈夫だろうが。


「じゃあ、二人乗りでも……」


「二人乗りは校則違反。あんた、生徒会副会長にそれやらせる気?」


「ああ……ごめん……」


 腕を組みそう噛みついてくるのは、まさに鉄の副会長そのものである。


 もはやどうしようもない。仕方なしに二人は歩き始めた。


「そういえば、あんた歪理者ヴァニタスなのよね?お兄さんと同じで超能力者だと思うけど、どんな能力なの?」


 いつまでも腐しているわけにもいかないと思ったのか、道すがらに真莉が口を開いた。


「ああ……僕は、人の感情を自分の感情みたいに感じることができるんだ。ただ、自分の感情に混ざる形で感じるから、どこまでが人の感情なのかよくわからなくなるんだけど……」


「へぇ、客観的じゃなくて、主観的に感じるタイプか……。珍しいじゃない。それってどれくらい制御できるの?」


「全然……。近くにいる人や、強い感情を持っている人ほど、その人の感情に染まりやすいんだけど、自分で共感する人を選ぶこともできないし、能力のオンオフもできないんだ。だからいつも自分の感情や考えが人に引っ張れないようにするのが大変だよ……」


「あんたの優柔不断な性格って、能力からきてるものだったのね」


「バッサリ言うなぁ。まあ、そうなんだけどね……」


 肩を落とす灯護であったが、それを気にする真莉ではない。


「それと、能力はもう一つ持ってるんだ。兄さんと同じ能力なんだけど……」


「二つも持ってるの⁉ しかも悠斗さんと同じって……」


 情愛の糸アンビバレンキネシス。彼の兄はそう呼んでいた。その能力は、いわば念力のようなもので、彼が長い間所持していたものや強く思いを込めたものに限り、手をふれていなくとも自由に動かすことができるというものであった。


 しかし……。


 灯護は眉を下げると、ポケットから家の鍵を取り出した。そこには長いこと使われていることが伺える色あせた小鳥のキーホルダーが付けられている。昔、兄からもらったものだ。


「でも、兄さんよりずっと弱いんだ。ほら、」


 灯護が眉を寄せると、手のひらに乗せたキーホルダーがひとりでに動き始め、手のひらから飛び立つ。小鳥は鍵を引っ張り上げ、ついに灯護の手のひらから数センチ浮き上がる。が、その動きはひどく頼りなく、鍵も小鳥もプルプルと震えている。その後数秒ほどその場で静止した後、フッと小鳥は手のひらへ落ちた。


「操作できる時間も、操作力も全然……。兄さんは、僕の共感能力を『他人の魂に共鳴する能力』だって言ってた。だから、僕は人の感情が自分の事のようにわかるし、魂が似ている兄さんの能力もちょっとは使えるんじゃないかって……」


 灯護が幽霊を感じることができるのも、彼らが肉体を持たない魂だけの存在であるからというわけだ。


 真莉は青い空を仰ぐ。


「ふぅん。面白い仮説ね。まあ、そんな弱い能力じゃなんの役にも立たないでしょうけど」


 またもいささか厳しい反応。いくら灯護を嫌っているとはいえ、露骨すぎるともいえなくもないが、しかし彼女には気が立つ理由があった。そして灯護はそれ共鳴キャン色彩バスで感じるまでもなく、なんとなくわかっていた。


 それは――


「あれー⁉」


 響いた声は突然に。通りすがった人はもちろん、電線にとまったスズメたちまで、なにごとかと声の元へ振り返った。


 こんな往来で頓狂な声を上げたのは、灯護の友人、三城三咲だった。道角から現れた彼女は、左右確認のさなかに灯護たちを目に留めたのだろう、首だけが横をむいたままの姿勢でその大きな目をさらに広げていた。


 灯護の心が、真莉から流れてきた黒い雲に覆われる。


 やはり真莉が恐れていたことは、これだった。真莉を通じて、ドッと灯護に心労が伝わる。


「なんで、湖月さんと灯護が一緒にー?」


 目を丸くしてかわいらしく口も開けている。


 三城が真莉を知っているのは、ただクラスメイト、というだけではなく、真莉が校内で有名人だからだ。単純に容姿端麗で人の目を引くというだけでなく、そんな彼女が鋼の精神により数々の武勇伝を生み出しているので、校内で彼女の名を知らない者はない。誰が言ったか、曰く彼女のハートは鋼より硬いとか。


 そんな鋼鉄の副会長と灯護が肩を並べて登校していたら驚くのも無理はない。


 どう説明したものやら、と灯護が悩む間もなく、真莉が口を開く。


「彼、今度は生徒会を手伝ってくれるのよ。それでちょっと打ち合わせをしてたの」


 流れるように出てきた誤魔化しの言葉。きっと事前に考えておいたのだろう。もちろん、灯護はそんな話聞いていない。しかし、人に流されることなら彼の右出る者はいない。むしろ(そういえばそんな気がしてきた)くらいの感覚で、灯護は同意する。


「そうなんだよね。ほら、もうすぐ球技大会があるから、忙しいらしくて」


 三城は普通に納得していた。灯護が人の頼みごとを聞いている状況など珍しいことでもなんでもない。誤魔化し方としては妥当な線だ。


 しかし、三城は別のことで困ったように眉を下げていた。


「今度は生徒会?またそんなの引き受けて大丈夫なの?」


 またも灯護が答える前に、真莉が口を開く。


「大丈夫。むしろ生徒会の手伝いをしてもらっている間は、こっちにかかりきりになってもらうから。助っ人アテにしてる人には悪いけど、私のほうから何とか言って納得させるわ。それなら日ノ崎君の面子も立つだろうしね」


 納得「させる」というところに彼女の鉄の一面がにじみ出ている。その言葉から臭う不穏さに三城はただ苦笑いを浮かべるだけだった。


 という感じで、難なく三城の追及を逃れることはできたが、ここからが大変だった。


 なにせ鋼鉄の副会長は学校の有名人。武勇伝の一つに、無作法に言い寄ってきた男を殴り飛ばした(事実)というものもある彼女が、生徒会長でもない男子生徒と一緒に登校してきているのである。しかもその男子生徒も生徒で、日ノ崎灯護という真莉ほどではないが名の知れた生徒であるから、これはもう祭りである。


 学校に近づくにつれ、「あの組み合わせは何事か。今日は雪か、いや鉄が降る」というような視線が増え、恐れを知らぬものの冷やかしや、それなりに多い両者の知り合いが何事かと聞いてくることも増えていった。


 真莉が朝から苛立っていたのは、これを予期していたからだろう。


 学校にだいぶ近づくころには、灯護は冷や汗でいっぱいだった。というのも、今も一貫して表面上はキッパリと落ち着いた態度を見せている真莉だったが、その内心にフラストレーションが溜まっていることを彼は直に感じていたからだ。


 実際何度か爆発しそうになった真莉の感情を受け取り、その度に彼は長年培ってきた「人の間に立つトーク」で(困ったことに、そうした他人を気にしすぎる言動は、それはそれで真莉の反感を買ってしまうのだが)難を逃れていた。


 学校に近づき、人通りが多くなったところで、ついに真莉の不満が臨界点を超えた。


「ここまで人の目があれば大丈夫よ。じゃ、私先行ってるから」


 と、足早に行ってしまった。

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