第6話 世界の歪みに隠れる者たち

 翌朝。金曜日。


 晴れの最終平日である。


 まどろみ去りかけて朝日に目を瞬かせながら、『ああ昨日のことは夢だったのか』と思えたのはほんの一瞬。


「ちょっといつまで寝てんのよ。だらしないわね。起きなさいよ!」


「……」


 彼の部屋にて仁王立ちするは湖月真莉その人。彼女は灯護を蹴飛ばさん勢いで立腹していた。彼女は自分がしっかりしている分だらしない人間は許せない質らしく、伝わってくる不機嫌さは本物だ。


 昨日のが夢だというのなら、今日のこれはなんなのか。いや、この光景もまた夢なのか。


 真莉に布団を引っぺがされながら、昨日あの後の出来事を思い出した。


 


 


「じゃあ……どうぞ」


 自信なさげに灯護が真莉を通した先は、彼の部屋であった。


 話せる場所、といっても時間も時間で、気の利いた喫茶店など近くになく、結局灯護の部屋で話をすることになったのだ。


 祖母、妹ともに、こんな時間に女子を連れ込む灯護を大いに訝しんだが、真面目そうな見た目の真莉が丁寧に「明日の課題のことについて云々」と説明することで、一応は納得したようだった。


 まあ、それでもまだ妹のほうは妙な勘ぐりをまだしていることを感じていたが、それはもう無視することにした。灯護としてはこれで祖母の怒りがうやむやになってくれたのは大きい。


「なんか、ごちゃごちゃしてるわね」


 真莉の感想はこれ。やはり辛辣である。


 灯護の部屋は決して散らかってはいない。むしろ片付いているほうだ。本棚は本に収まっているし、机の上に出しっぱなしのものもない。しかし、いかんせんものが多い。しかも、そこに統一感はなく、有名ロックバンドのポスターが壁に貼っていると思えばそのバンドのCDは数枚程度しか持っておらず、一方で一昔前に女子の間で流行った小物入れとアクセサリーが棚の上に並べられているような雑多っぷり。まるで複数の人間が好きなものを持ち寄ってできた部屋のようであった。


「いやあ、まあ」


 適当な返しをしつつ、ローテーブルの前に座布団を敷く。真莉はそこに姿勢よく正座した。


「さて、じゃあ根本的なことから話していきましょうか」


 互いに対面する形で灯護が腰を下ろすと、早速真莉が口を開いた。


 が、


「ちょっと待って」


「?」


 灯護は、無言で立ち上がると、勢いよく部屋の扉を開けた。


「ぐえっ」


 とたん、部屋の中に彼の妹、春奈が倒れ込んできた。長い三つ編みをぴょこぴょこ跳ねさせている灯護と三歳差のこの妹は、おそらく盗み聞きを画策していたのだろう。彼女はくりくりとした目を細め、二人の冷ややかな視線を受けて、「たはは」と笑って見せる。


 灯護は眉を下げてため息をつく。彼は壁越しでも感情の共鳴で人の有無がわかるのだ。


「春奈。盗み聞きはしちゃだめでしょ」


「いやいや違うって!ほらっ お茶お茶!」


 と言ってドア前に置いてあったグラスを乗せたお盆を差し出してくる。


「……。そう、ありがとう。じゃあもう用事はないよね?」


「アイアイサー」


 敬礼とともに春奈は部屋を出ていき、今度こそ部屋の外に気配は消える。


 その様子を見ていた真莉は、少し笑みを浮かべていた。ここに来て初めての険しくない表情であった。四六時中というわけではないが、険しい表情をしている印象の強い彼女の笑みは、思っていたよりずっと柔らかく見える。


 灯護は、空気を和らげてくれたことは、妹に感謝した。


「妹さん?かわいいじゃない」


「ちょっとおてんばだけどね」


「兄妹仲がいいのはいいことよ」


 と言って彼女は渡されたお茶を一口啜ると、いよいよ本題に入った。


「で、説明に入りましょうか。まず、根本的なところ。この世界には魔術師とか妖怪とか、超能力者とか、そういう神秘の存在がいるってのは、いいわよね?なんせあなた自身もそうなんだから」


 それは、その通りである。未だに今日見たものは信じられないが、しかし、何を隠そう自分がその神秘の存在の一つ、超能力者であるのだから、魔法使いや幽霊がいても何も不思議ではない。こんなにも身近に、しかもジャンルの違う神秘が存在しているというのは、驚いたが。


「そういう理を歪める力を持った存在を、私たちは歪理者ヴァニタスと呼んでいるわ」


「そうなんだ……。ていうか、僕がそのヴァニタス? って知ってたんだね」


「まあ、私は今日まで知らなかったけど、ノアリーのほうは、当然知っているわね」


「ノアリーって、あのノアリー?電化製品の……」


 そんな大財閥の名前がこのタイミングで出てくる意味が分からない。


「そうよ。そのノアリー。あの財団、ただの財団じゃないわよ。設立者は魔術師で、裏ではがっつり私たち歪理者側に関わってるしね」


「えぇ⁉」


 身近な存在の思わぬ裏の姿。しかも、ノアリーは世界的な大財閥ではないか。


「で、そのノアリーが進めているプロジェクトの一つが、『歪理者の保護・管理』よ。世界各地の歪理者を見つけて、本人が望めば各地にある保護管理用の町に住まわせている」


「じゃあ、まさかこの町って……」


「ご明察。この町はノアリーの箱庭。主に日本の歪理者がこの町に集められて保護されているわ。あなたのようにね」


 なんということだ。だが確かに灯護は八年前にこの町に引っ越してきている。あれにはこういう理由があったのだ。


「でも、僕そんなこと知らなかった」


「珍しい例だと思うわ。普通ここに来る異能者はみんなそれを知らされているから。あなたの場合、お兄さんが幼かったあなたに教えないことにしたんでしょうね」


「……」


「ちなみにお兄さんは、ノアリーのそういった歪理者ヴァニタス側の仕事をこなす特殊部隊『SILENT』のエージェントだったわ」


「特殊部隊って、兄さんが……⁉」


「ええ。だから、私や同じくノアリー職員の新井先生もあなたの兄のことを知っていたのよ」


 真莉たちが知る灯護が知らない兄の姿。あの優しかった兄の隠していた姿。


 灯護は目を伏せた。


「……知らなかった」


「そりゃあ、隠してたからでしょ。まあ、そんなわけで、この町にはいろんな歪理者が集められていて、ノアリーがそれを保護してるのよ」


「でも、なんのために?」


 真莉は肩を竦めた。


「さあね。一応設立者のノア・バンクロフトは、『神秘の道を閉ざさぬため』とか言ってるけど」


「どういう意味?」


 真莉は言葉を探すように「んーと……」と宙に目を彷徨わせる。


「短くまとめるなら、将来の魔術とその可能性を守るため、って意味ね」


「んん……?」


 真莉が指先で軽く頭をかく。


「そうねぇ……ここからは、ちょっとこの世界の仕組みについて説明するわ。そこがわかればこの言葉の意味も分かるから」


 と言って、彼女はもう一口お茶を口にする。


「まず、さっきこの世界にはいろんな神秘が存在していると言ったけれど、じゃあなぜその神秘の存在が公にならないと思う?」


「それは……隠しているからじゃないの?」


「それは二次的な理由でしょ。なぜ隠されているのか、っていうことよ。だって、普通だったらそんな珍しい存在や超常的な技術なんて真っ先に話題になって広まると思わない?」


「確かに……」


「でもそれはね、できないのよ。正確に言うなら、できたとしても、すぐにできなくなる」


「……?」


「魔術にしろ、妖怪にしろ、異能力にしろ、これらの本質は同じなの。世界の理、科学の枠から外れた存在よ。手から火を出したり、質量保存の法則を無視したり、世界の理を無視している。理からすればこれは重大なルール違反。世界はこのルール違反を許さない。だから世界は『修正』するのよ」


「修正?」


「そ。いわば魔術とかの神秘は、ゲームのバグみたいなもん。運営がそれを感知し次第、バグは修正される。つまり、世界の理が魔術の存在に気付けば、その魔術は修正され、二度と使えなくなるのよ。場合によっては、魔術の使用者まで修正、酷ければ抹殺される」


 真莉の声のトーンが落ちた。抹殺という意味は、きっと文字通りの意味だ。


「あなたも超能力を意識的に使ったときに感じたことは無い?光の中に『何か』の気配を」


「……! ある! あるよ!」


 長年不気味に感じていた気配。今日も下校中に感じていた。


 能力を使うとき、使った後に感じるなぜか恐怖を感じる存在。その正体は、彼のルール違反を正さんとする理の作用であったのだ。


「彼らは、修正者イーターと呼ばれているわ。そこまでは見たことないだろうけど、ちゃんと姿もある。無理に理に反し続ければ、彼らは現れ、あなたを正す」


 ゾクリと背筋に悪寒が走る。


「世界の理が修正対象を検知する基準は曖昧だけど、傾向はわかっているわ。それは、『人に認識されること』と『理を歪めすぎること』よ。人に広く知られた理の歪みほど、修正されやすくなる。そして、理を歪めすぎる魔術や歪理者もまた、たとえ人に知られている数が少なくても修正される」


「そっか。だから、魔術が世間に広まっていないんだね。広めた瞬間使えなくなる技術だから」


「そういうこと。世界中に魔術に関する資料がなかったり、あってもそこに記されてる魔法が使えない理由はこれよ。すでにその魔術は修正されているんだから、使えるわけないのよ。そして、そうならないよう、魔術師は自身の魔術をなるべく隠し、守る。ノアリーが歪理者を保護してる理由はこのあたりにあるわね」


「というと?」


「魔術も異能も結局は同じ、『この世の理に反する事象』なのよ。さっき理に反する事象は修正されるって話したじゃない。例えば一つの神秘が修正されたとして、その修正が他の神秘に影響を及ぼすこともあるのよ」


 真莉は机の上に指で線を引く。すると、指の後を辿って、青い光が細く伸びる。


 不思議な光景に灯護は目をむいた。


「そうね……イメージは、複雑に繋がりあってる川みたいなもんかしら。川が魔術や異能などの神秘。その川がせき止められるのが修正って感じで」


 真莉が何度も指を動かすたびに新たな光の線が描かれていく。その線は左から右へグラデーションが移り変わっており、何本も描かれたそれは、やがて交差や分岐を繰り返す川のようになった。


真莉が線の一つに指を置くと、その線に繋がっていた別の線が数本消える。


「一本の支流がせき止められると、その先の流れも同時にせき止められちゃうでしょ?それみたいな感じで、誰かの異能が修正されると、誰かの魔術が使えなくなる、なんてことも起きかねないのよ。まあ、よっぽどそんなことはないんだけど……。そうじゃなくても、今修正されたことが、将来作られるかもしれない魔術の可能性を狭めることにはなるわけよ。だから『神秘の道を閉ざさぬため』ってのは、そういう意味。別にボランティアで歪理者をかくまってるわけじゃないのよね」


「なるほど……」


 真莉が手の甲で机を掃うと瞬く間に光の川は立ち消えた。


「歪理者の中でも魔術師って、基本的に利己的で秘密主義なのよ。超能力者とか違って、技術で理を歪めてるからね。自分の魔術は極力人に知られないようにし、知ったものは必ず消す」


「消すって……」


「もちろん、殺すって意味よ」


 そうして魔術師は己の神秘性を保ち続ける。すなわち、


「じゃあ、つまり、僕がさっき襲われたのって、あの魔術師の魔術か何かを見たから?」


「そういうこと。もしくは、あの墓地事態に何か魔術の仕掛けがあったか。いずれにせよ、あなたを襲うにあたって魔術を見せてしまったから、向こうは確実にあなたを消したがってるでしょうね」


「嘘でしょ……」


 血の気が引いていく。さっきの恐怖が蘇ってくる。落ち着いている真莉が目の前にいるので、それに共感した灯護の感情もほとんど波立たずにいるが、きっと電話越しにでもこの事実が伝えられていたらパニックになっていただろう。


 そんな灯護を見て、対する真莉の視線は冷ややかだ。


「何怯えてんのよ。情けないわね」


「そ、そりゃあ、怯えるよ。あんな目にあったら」


「大丈夫よ。結界はなんとかすり抜けられたみたいだけど、それだけでなんとかできるほどこの町は甘くないわ。ノアリーは、歪理者の保護を謳ってるんだから、侵入者なんて絶対許さない。全力をあげて排除しようとするわ。それに私だって、このままうまいこと結界を抜けられたままにはしておかない。絶対に見つけ出す」


 真莉から感じる強い決意。その意志の強さに当てられて、灯護の恐怖は退いていった。しかし、真莉の話を聞くうちに別種の怖さを灯護は感じていた。


 さきほど彼女がこともなげに『殺す』と言ったことにはじまり、彼女の言葉の端々に、敵の命を奪うことへの躊躇いを感じなかった。


 生きている世界が違う。そう感じざる得ない。


 彼女が教えてくれた世界の真実。いや、これこそが世界の現実なのだが、その現実に生きている真莉はあまりにも自然に殺伐としている。


 きっと彼女にとってはこれが普通。しかし灯護にとってはそれは異常。その殺伐さを普通としている彼女を恐れるのは、無理からぬことだ。


 しかし、彼のその恐れすら、やがては虚空に溶けてしまうだろう。他人の色に自身が染まり、自身の『普通』を変えてしまう。それが彼の持つ能力なのだから。


「じゃあ、安心していいんだね?」


「私のプライドにかけてあなたを守るわ」


 その言葉は、自分自身への宣誓のようでもあった。


「具体的に言うと、これから私はなるべくあなたと一緒に行動するわ。学校に行ってるときとかの人目の多いところでは向こうも襲ってこないだろうから、それ以外の登下校時とかになるわね。あなたもなるべく人気のない場所に行かないようにしなさい」


「うん」


「あと私ここに泊まるから」


「うん。……うん?」


「あんたのおばあさんって結構そういうの厳しい人?まあだとしてもやりようはいくらでもあるけど」


「いやいやいや!待ってよ!泊まるってどういうこと⁉」


 灯護の反応に真莉も顔を顰める。


「そりゃそうでしょ。家にいるとき、しかも部屋にいるときなんて一番無防備で、一人でいるときじゃない。たとえ家族といたって家族ぐらい一緒に皆殺しにできるんだし。そこ守らないでどうすんのよ。私だって一緒に住むなんて嫌だっての」


「で、でもさ……」


 オンナノコガ……となおも続けようとする灯護に、真莉は漢らしく立ち上がると威圧感バッチリの視線で灯護を睨み付ける。


「それともなにっ? 私に外で毎日見張ってろって言うの?」


「いや、そういうわけでは……ないです……」


「よろしい」


 パッと浮かべるかわいらしい笑顔。しかしそれが感情とは裏腹であることは十分灯護に伝わっている。


 真莉は再び腰を下ろした。


「……とりあえず、大雑把な説明はこんなところかしら。まだいろいろ聞きたいことがあるでしょうけど、今日のところは一端頭の整理をしなさい」


「う、うん。ありがとう」


「あなた、明日放課後空いてる?」


「明日?明日は空いてるけど……」


「じゃあ出かけるから。勝手にどっか行かないでね」


「えぇ……」


 テキパキと自分のことが決められている。隙がなくいっそ清々しくもあるが、なんとも強引である。


「出かけるって、どこへ?」


 すると、灯護中にわずかに暗い影が差す。すなわちこれは真莉に差した感情。彼女が次に口にした言葉は、予想もつかない言葉だった。


「私の姉に会ってもらうわ」

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