第5話 歪理者

「湖月……さん……?」


灯護のその反応を目にした少女、湖月真莉もまた助けた少年が灯護であったことに驚いたようであった。


「あんた、こんな時間に墓参りとかなに考えてんのよ」


「え、いや、でも今日が兄の命日だったから……」


 灯護の冷静な反応に真莉は眉を上げる。


「あら、意外と落ち着いてるのね」


「そんなことないよ。なにがなんだかさっぱりだよ」


「だから、そういう態度とってられるのが、余裕ある証拠じゃない」


「それは……たぶん君が落ち着いてるから……」


「は?」


「あ、いや、なんでもない」


 苦笑いまで浮かべて手を振る灯護を見て、真莉は内心「やっぱ余裕あるじゃない。それとも鈍いのかなこいつ」とまで思っていた。実際彼は真莉の感情に流されているだけなのだが。


 わけの分からないことが多すぎるが、灯護にも一つだけわかることがある。


「とりあえず……助けてくれたんだよね?ありがとう」


 彼女は肩を竦めた。


「たまたまよ。私もあいつを追う理由があるしね。……逃げられたけど」


「えっと……それで、結局……えーと、これ、どういうこと?」


 いかにも僕然としすぎた質問であるが、しかしもはやどこから手をつければいいかわからないくらいの疑問の散らかり具合。これ以上の言葉はない。


「侵入者よ。今この町に歪理者ヴァニタスが入ってきてるの。多分魔術師。ここの結界に探知されないようにしてね。目的は不明。一体こんなところで何を――」


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 明らかになにか誤解がある気がする。具体的に言うならば、彼女は灯護が知っている前提で話を進めている気がする。


「なによ」


「いやその、そもそもヴァニタス?とか、結界とかって何?」


「なにってそりゃ……」


 と言いかけた真莉の目が見開かれる。


「まさかあんた、知らないの⁉ 」


「何を?」


「この町のこととか、歪理者ヴァニタスのこととか」


 全く心当たりがない。真莉の剣幕になぜかそれが悪いことのように感じ、灯護は肩を落としながら頷く。


 その様子を見て「そんなばかな」という表情を作る真莉であったが、しかし何かに思い当たったようで、その表情に陰が差す。


 灯護の心に彼女の切なさが去来する。思わず真莉を見返すと同時に、彼女はポツリとつぶやいた。


「そう……悠斗さんはあなたに何も教えなかったのね……」


「え……?」


 悠斗、その名は彼の兄の名前。


 思いがけない言葉の先を聞こうとしたとき、墓地に新たな足音が響いた。断続して続く音が走っていることを伝えてくる。


 二人に緊張が走る。しかし、同時に墓地入り口から、猛スピードで駆けてくる影が現れたとたん、真莉から緊張は消え去った。それに流され灯護の緊張も消えていく。


「大丈夫。味方よ」


 影は真莉を目にすると速度を落とし二人の前に歩いてきた。そしてまたも灯護の目は驚きに見開かれる。


「え⁉ 新井先生⁉」


「おお、日ノ崎」


 現れたのは、厳格そうな見た目に反しいつも調子の軽い英語の先生。猛然と駆けてきたにも関わらず、息一つ切らしていない。


「遅いっ!」


「いやいや、今回は湖月が早すぎでしょ。つか、なんでお前がここに?それに日ノ崎も」


「彼が襲われてて、私はたまたま通りがかったのよ」


「はあん。まさか敵の狙いは日ノ崎か?」


「そんなわけないとは思うけど。大方彼がかこの場所に何かあるかのどちらかじゃない?」


「まあ、だろうな。調べとくよ。そいつは俺らで保護しとくから」


「そのことなんだけど……」


 と、真莉の視線が蚊帳の外になっていた灯護へと向けられる。睨んでいるようで、その瞳の奥には意志の色が強く見える。


 灯護は自身に熱く硬い感情が芽生えるのを感じた。それはすなわち彼女の感情。


「彼の保護は、私がするわ」


 ハッキリと彼女はそう言い切った。


 新井はしばしその目を瞬かせたが、しかし、やがて口端を上げて頷いた。


「わかった。そう手配しとくよ。ついでに、この世界のこととか教えてやってくれ。そいつ、なにも知らないだろうから」


「みたいね。驚いたわ」


「それが悠斗の望んだことだからな……」


 またも出る兄の名前、ついに堪えきれなくて灯護は声をあげた。


「あのっ、二人とも兄を知っているんですか?いったい兄がどう関わっているんですか?」


「おいおい説明してくわよ。ひとまずは、落ち着いて話せる場所へ行かない?」


「あ、そうだね。でも……その前に、お墓参りだけさせてよ」


「ああ、そうだったわね。なら……私も行っていいかしら?」


 付け足された言葉は、普段の彼女らしくない迷いのある言い方だった。断る理由もない。


「え、うん」


「そ。ありがと。新井先生、あとはよろしく」


「ああ」


 簡単にそう答え、彼は携帯を取り出すと、どこかへ連絡をとりはじめた。


 真莉が、視線で灯護に案内を促す。


 灯護もその意を共鳴キャン色彩バスで完全にくみ取り、自然と先へと歩をすすめる。


 どうして真莉まで兄の墓参りに来るのか。それは疑問に思ったが、しかし口にすることは無かった。なぜなら、背後に感じる不思議な少女からは、沈殿した雲のような暗い感情、悔恨や悲しみの感情が伝わってきたのだから。


「「あ、」」


 が、結局二人が兄の墓に参ることはなかった。


 もしや、とは二人とも思っていた。


 そして、さもありなん。その場所には台座があるのみであった。


 きっと悠斗の墓石は、真莉が破壊しつくした残骸の仲間となってしまっているのだろう。

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