第3話 いつもの裏通り
「この町
夜に半分ほど呑まれた教室にて、少女・
腰まで届く長い黒髪。鋭いつり目。背中まで達するポニーテールが薄暮に揺らめいている。明らかに不機嫌を漂わせている彼女は、見るものにどこか荒海のようなイメージを持たせる。
その両腕は長そでの制服越しにもわかるくらいに薄く赤い光を放っている。よく見れば、その光は筋を成して、制服下の彼女の腕に幾何学的な模様を描いている。
二階にある三年二組の教室内は嵐が通ったような有様だった。机や椅子は散乱するに飽き足らず、足はひしゃげ、木板が割れてるものもある。壁を見れば、机ともに押しやられた重症の生徒が二名、口から血を流し痛みに呻いている。
そして教室の中心には、その惨状を引き起こした存在がうずくまっている。
それは、一見にしてわかる異形。体長二メートルはあろう巨大な人影。
薄暗くなった中でもその体表が赤い岩のような皮膚に覆われていることがわかる。頭部から覗く日本の角や爛々と燃える赤い瞳はまさに鬼そのもの。いや、これがこの学校の生徒の一人の姿だった。
そんな異形の存在が今、一人の少女の前に崩れ去っている。
少女は赤色が引いていく空を見て、小さく舌打ちをした。
「ったく今日はまだ半月じゃない。鬼の血もそんなに騒がないはずでしょうが」
その言葉への反応は、猛々しい唸り声であった。
うずくまっていた鬼は床を砕いて起き上がると、怒りの眼で真莉へと正対する。
天井に頭が付きそうなほどの巨体。立ち上がったことでその巨大さが威圧感となって放たれる。
間は一瞬。赤い異形は信じられない速度で、真莉へと襲い掛かった。
ふり降ろされた異鬼の腕は一人の少女の爆散に十分な一撃。その様はまさに赤い影。
怒りに任せた一撃は、情け容赦なく少女に叩き込まれた。
地を揺るがすほどの轟音が響き渡った。
「痛ったいわね」
しかし、異形が相対した結果もまた異常。飛び散った肉片はおろか血の一滴もない。彼の半分もない矮躯の少女は、振り下ろされた暴力の塊を、自らの両腕を交差させ、しっかりと防ぎきっていた。
異形に瞠目の時間はなかった。
少女が身を翻した次の瞬間、鬼の腹に深々と拳が撃ち込まれていた。
岩のような肌は砕け、そして次の瞬間には少女の腕が光ると同時に、異形の全身に爆撃にあったがごとき凄まじい衝撃が襲い掛かった。
巨体は拳の振り抜かれるままに吹き飛ばされ、床を転げまわって反対側の壁に激突した。
今度こそ、鬼は動きをとめた。僅かな身じろぎは、ただの痙攣。
それを認めた真莉は、怪我を負っている生徒に駆け寄った。
二人とも意識はある。治療は必要だが、大事には至っていないようだ。少女は小さく息を漏らす。それは少年たちの無事を見てというよりは、面倒ごとにならなかったことへの安堵であることが表情から伺える。
ひとまず彼らを教室の開けた場所まで移動させた。
「とりあえず応急処置しとくか。……
言葉とともに彼女の体自体が赤い薄光に包まれる。
この世の理へ干渉する者たちの総称。中でも彼女は、積み上げられた英知によって理を歪める者。かつての時代、魔術師とも呼ばれた存在。
皮膚に浮き上がるのは、刻まれた無数の魔術式。彼女が命令さえすれば、これらはいつでも理を歪める。
「
本来魔術を使うにはそれなりの触媒や道具が必要となるが、湖月家の魔術にそれは必要ない。いや、正確に言うならそれはすでに持っている。
湖月家の魔術は、人柱魔術。使うのは、自身の血肉である。
「……っ」
真莉の表情が歪む。彼女の左手に浮き出ていた青い文様がそのまま傷口へと変貌し、赤へと色を変えたかと思えば、そこからドロリと血が流れ出る。とめどなく溢れた血は、意志があるかのように床を伝い、怪我人二人を納める形で魔法陣を描いていった。
自らの傷と血が引き換えの魔術。しかし、彼女の手に刻まれた傷は、必要な分の血を流したのちに、ひとりでに再生していった。
二人の生徒の体の一部が赤や青に灯る。光の色が出血や骨折などの怪我の種類を示してくれる。
手の再生を確認し、続いて彼女は新たな
「
さきほどの魔術を構成していた魔法陣が組み変わり、今度は一人を対象に新たな魔法陣を展開する。
発動した魔術は、他人の怪我を自身へと移し替えるもの。ひと際強く魔法陣が光ると同時に、男子生徒の怪我を示していた光がゆっくり消え、真莉の額に脂汗が浮かぶ。
だがそれも一瞬。彼女の体が光ると同時に彼女の表情も和らぐ。
こうして同じ手順を繰り返し、もう一人の生徒の怪我も直す。
そして、魔術を使い終わったそのとき、彼女は「それ」の存在を感じた。
暗くなってきた教室へ差し込む、夕の光から感じる気配。それは神秘をつけ狙う修正の足音。理を歪めたものへの報復者。
真莉一睨みだけして「それ」を無視した。
ガラリ、と教室の扉が開いた。
「遅い!」
間髪入れずに真莉の叱咤が飛ぶ。入ってきた人影は二つ。
「すみませんでしたー!」
と謝る気があるのかないのかよくわからない元気な声を上げるのは、この学年の一年生、
「やー悪い。これでも急いで来たんだけどな……」
もう一人はこの学校の教師、
「言い訳無用。もう終わったわよ」
刺すような視線とともに言葉を飛ばし、彼女は教室の一角に視線を投げる。さっきまで赤い鬼がいた場所に、全裸で倒れ伏す男子生徒がいた。
「あーあ。なにがあったの?」
男子生徒に駆け寄り、自身の上着をかける新井。
真莉は、フンと鼻を鳴らして立ち上がる。
「鬼の力が暴走したみたいね。……事情は知らないけど」
鬼。これもまたこの世に存在する
この学園には、いや、この町にはほとんどが神秘の存在も知らない一般人が住んでいるが、一方でこうした歪理者も数え切れないほど住んでいる。もちろん偶然などではない。そうした存在を保護、管理するために、この町には彼らが集められているのだ。
彼女、湖月真莉もそのうちの一人。と言っても、湖月家は元々この土地に住んでおり、後からこの町ができた形となるが。
湖月家はその魔術を使い、この町の管理者となっている。この町全体に結界を張り、侵入者の排除や異変の察知などの役割をこなしている。
が、今その管理者として見過ごせない問題がこの町で起きている。
「侵入者とは関係なかったみたいだな」
「……そうね」
そう、先日より湖月の結界を通り抜け、その探査を今もかいくぐり続けている侵入者がいるのだ。別方面からの探知によりかろうじて侵入されたことはわかったのだが、しかし、以前としてその足取りはつかめていない。
「とんだ無駄足ね」
冷たく言い放った真莉を、近寄ってきていた恭佳がなだめる。
「まあまあ、この学校で暴走した
おー!と一人で掛け声をあげ、壊れていない机や椅子を並べなおす恭佳。それに習おうと真莉も足を向けたとき、鬼の少年からうめき声が聞こえてきた。どうやら意識が戻ったようだった。片づけは恭佳に任せ、彼の元へ向かう。
新井が彼を支え、ゆっくりと起こした。
「大丈夫か?」
「う……す、すみません」
彼は自身の力をコントロールできなかったことをしっかりと悔いているようだった。
「あんた。鬼の一族で唯一姿がまともだからここに通わせてもらってるんでしょ?家族に報いたいなら力の制御はしっかりしなさい。……さもないと」
差し込む夕日へと目を向ける。
そこには、うごめく気配。床へと落ちた光の中に、今度はハッキリ瞳のようなものが無数に見える。
「ひぃっ……」
響く少年の悲鳴。理を乱す者が感じる、
「くれぐれも力の制御に努めろよ。お前のためにも。友達のためにも」
そう新井が言って向けた視線の先には、彼の傷つけた友人たちが静かに寝息を立てている。
鬼の少年は、涙を流し一言「すみません」と言ったのだった。
ふう、と真莉は一息つく。とりあえずこれで一件落着。
何気なく視線を窓の外へ移す。そしてその視線の先に二人の少年を見つけた。
「あーっ、灯護先輩じゃないですか!」
同じく窓の外を見ていた恭佳がそう声を上げる。
真莉の眉がピクリと動く。
「何、あんたもあいつのファンなの」
「そりゃーもう!だってスポーツ万能、手先も器用だからいろんな部活の引っ張りだこで、しかも超優しい!しかも結構かっこいいし!あんな人反則ですって!そりゃファンにもなりますよー!」
キャーと両手を頬に当てる後輩に白けた視線を送る真莉。
「ていうか真莉先輩同じクラスじゃなかったですか?」
「そうね。もっと言えば隣の席よ」
「えーうらやましい!」
「どこがよ」
「んん?なんか、問題あるんですか?」
「大ありね。だって私、あいつ嫌いだし」
「えぇー!」
大げさに驚く恭佳であるが、机の片づけをしていた新井も少なからず驚いたようで、
「なんで?あいつ結構いいやつじゃないか?性格的にも、能力的にも。まあ、勉学のほうはそんなだけど」
「私、ああいう主体性のないやつ嫌いなの。生き方に軽蔑するわ。いっつもヘラヘラしてさ。ていうかそれだけならまだいいとして、あそこまでいいことずくめの人間って、逆に気持ち悪くて嫌。しかも周りが妙に持ち上げるからなおさら嫌」
「えぇ……」
理不尽すぎる理由であった。恭佳、新井ともに二の句を告げることもできない。
「だいたい今日だって、放課後用事あるとか言ってたのに、また助っ人断り切れなくて帰り遅くなってるし、なんなのあいつ。どれだけ自分がないのよ。あそこまで出来すぎてるとか、あいつも
と、そこまで言葉を続けると、新井が眉を上げた。
「あれ、もしかしてお前、知らない?」
「え、どういうことよ」
「……あいつの日ノ崎って、あの日ノ崎だぞ」
途端、真莉の纏う空気の温度が数度下がった。さっきの剣幕は失われ、代わりに石のような冷たさが彼女を覆う。
「あぁ……そう。そういうことだったの」
そうある名字ではないのに、どうしてそこに思い至らなかったのか。
窓に手を当て、瞳に映るのは友人と笑いあう灯護の姿。その瞳には、悲しみや、後悔、憂いが溶けていた。
「そう、なら、今日の用事は……お兄さんのお墓参りだったのね……」
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