第2話 いつもの表通り
結局すべて引き受けた。
右肩にかけた青い通学カバンの反対側の左手には、朝にはなかった紙袋が握られている。手芸部でやるべきことを家に帰ってやるという形で引き受けた結果だった。他にも明日、明後日と後日に引き受けたことはたくさんある。
トホホと肩を落とす帰り道。下駄箱を後にするとすでに日は暮れ、振り返れば校舎の背景には紫の空が広がっている。日の落ちたグラウンドで野球部がとんぼ掛けをしている。
つまるところ、彼は異能者なのだ。
物心ついたときから、彼は「他者の感情に共感する」ことができた。
他人に共感することは普通の人にもあれど、彼の場合は、近くにいる人間なら言葉を交わすことはおろか、視界に入れずともその感情に共感してしまうのだ。しかも単なる感情移入程度ではない、もはや他人の感情が自分の感情と混ざり、他人の感情が自分のものとして感じてしまうのだ。
彼の心は常に誰の色にでも染まり、描かれる。真っ白な画布のように。
そんな能力を持っているがゆえに、彼は困っていたり悲しんでいたりする人を放っておくことができない。困ったり悲しんだりいるひとのその感情が自身のものとしてわかりすぎるほどわかってしまうからだ。だからこそ彼は頼みごとを断れず、また頼まれもしなくとも、困っている人に親身に手を差し伸べてしまう。……たとえそれで自分に不利益が被っても。
不快感すらも感じ取ってしまうゆえに、彼は常に人を害さず、また人の期待に副えるように生きようとし、能力がまたそれを可能にした。
そうして彼は人並み以上に他人に影響されて生きてきた。
よく言えば人畜無害。悪く言えば主体性なく、日和見主義な人生。
星が現れ始めた空を見上げ、彼は思う。これでいいのだろうかと。最近よく思うのだ。自分は能力に振り回されていると。
今日のような頼みごとを断れないこともそうだが、この能力のせいで人並み以上にひとの感情を気にしていることを彼は自覚していた。しかもこの能力は自身のかなり深いところにまで影響を及ぼす。
例えば……
「おーいっ、灯護ぉー」
「待ってくれー」
と、灯護を呼び止め玄関から出てきたのは、少年と少女。どちらも灯護の友達だ。彼らもたまたま今帰りらしい。
少年、
ショートボブが良く似合う中背の少女は、
一見チグハグな性格の三人だが、それぞれの性格が奇跡的にかみ合い、うまいことやれている。
「いやー、補習とかマジ最悪!つかまだ中間テストもまだなのに俺だけひどくね?」
「だったら、いい加減宿題をやってこようよー」
三城が特徴的な間延びした声で、(本人的には)厳しくツッコむ。灯護もそれに乗っかる。
「この時期補習してるのは、この学校できっと学だけだよ」
「えー。いやね。俺は思うわけですよ。俺たちに必要なのは、勉学よりも青春そのものだってねっ。だから一に遊び、二に恋愛、三四飛ばして五に遊びってね」
「一番目と五番目被ってるよー」
「あれ、そうか?じゃあ五つ全部遊びでいいか。ナハハッ」
「「……」」
頭を抱えたくなるような友人だが、彼との付き合いは小学校からと、高校で出会った三城より長い。偶然が重なった面も強いが、しかし灯護はこの恐ろしくアホな親友が好きった。
彼は常に前向きなのだ。その感情に負を抱いたことがない。……たとえテストで〇点をとっても。それはそれで問題だが、それはさておき、常に他人の感情に同調してしまう灯護にとって、常に上機嫌な彼はそばにいて気分がいい存在だ。
「あ、靴に履き替えるの忘れてた。ウハハ」
が、あまりにアホなのはどうにかしなければならない、と思っている。
「あ、そうそうこれ見てー」
春日が玄関へと戻っていくのを見向きもしないで、三城は別の話を展開していた。この友人の完全マイペースなところも灯護は好きだった。完全にマイペースであるがゆえに、ある意味精神的に自立している彼女の心は、非常に安定していている。それと共感してしまう灯護からすると、その安定感を持っている彼女と一緒にいるときはとても落ち着けるのだ。
彼女が取り出したのは、三人が好きなバンドのライブチケットであった。
「すごいでしょー、レイドロのライブ当たったんだよー」
「うわぁ。それはすごいよ。うらやましいなぁ」
「でしょー!」
彼女の喜びが伝播し、灯護もまたうれしくなる。
「RaIndroP」というこのバンドは、灯護も好きでよく聞いている。去年三城達と話しているうちに曲も知らないのに好きになってしまっていた。
そう、彼は他人の好みにまで共感してしまうのだ。
ある友人が好きなものに好印象を持ってしまい、嫌いな物には悪印象をもってしまう。自分の趣味嗜好すら、他人に影響されるのだ。
まさにこれが彼の悩みの一端。
「しかも場所がNDホールだよ。すごくない?」
「NDホールってちょっと前に汽崎のほうにできたやつだっけ。たしかノアリー出資の……」
日本で、いや世界でもノアリーといえば、世界的な有名財団、ノアリー財団のことだ。重電機製品をはじめ、様々な事業に手を出す巨大財閥。灯護が今使っているスマートフォンもノアリー財団系列の企業が製造したものだ。世界的な財団だが、特にこの町においてその影響力の大きさは計り知れない。この町にはノアリー系列の施設があちこちにあるうえ、灯護の通う学校ですらノアリーの出資を受けて設立されているほどだ。各地にあるこうしたノアリーの息がかかった施設だらけの町を『ノアリー国』と揶揄されることもある。
「そーそー。ほんと、ノアリーはなんでもやるねぇー。あそこにホールができてくれてほんとによかったー」
テンション高く語り始めた友人の声をどこか遠くに聞きながら、灯護はまたも考えに沈んでしまう。
自分がどこまで自分なのか。自分らしさとはなんなのか。
好意を寄せられた女子から告白されたことも何度かある。しかし、その度に断っている。自分の本当の気持ちがわからないからだ。自分に好意を寄せている人間に対面した途端、灯護もまた相手に好意を抱いてしまう。能力によって……。
自分というものがわからない。
友人たちは、灯護の能力のことを知らない。
こんな突拍子のないこと言えるわけもない。いくら友達とはいえ、真面目にとりあってくれるかどうか。
(それに、僕の能力は
と、何気なく近くの植木から差す木漏れ日へ視線をむけたとき、「それ」はいた。
「……っ」
まただ。と思うと同時に駆け巡る悪寒。
何かはわからない。姿は見えない。しかし、わかる。気配を感じる。
幾本もの光の筋の中「それ」は灯護を見ている。いや、本当に見ているのは――
「おーい。どした?ぼーっとして」
「え、いや……」
気付けば戻ってきていた春日に顔を覗き込まれていた。
再度植木に視線を向ける。そこにはもう何の気配も感じない。
「なんでもないよ」
「んじゃ帰ろうぜ」
そうして並んで帰路につく三人。六組の下駄箱は校門から遠い側なので、校舎を横切らなければならない。
「てかまたお前助っ人?お前、人良すぎだっての。今日用事あったんだろ?」
「うん。まあ、でも、みんな困ってたみたいだし……」
「もー。それいっつも言ってるー」
こういう流されてしまうことも、能力に振り回されているところだ。
「やっぱり断れな――」
ドォンッ!と爆発音のような低音が空気を震わせた。心なしか地面も少し揺れたような気がする。
思わず二人は足を止める。音は遠く、校舎のほうから響いてきた気がした。
「びっくりしたー」
「なんだなんだ?」
「なんだろ。なにか崩れた?」
「えー怖ぇ。前も老朽化とかで構造欠陥とかで体育倉庫壊れたよな。大丈夫かよここ。そのうち俺たちの校舎も爆発するんじゃね?ウハハ」
「さすがにそれはないと思うけど……」
まさか自分以外にも異能者がういて、彼らが何か起こしたのかも、なんて考えが軽く脳裏を掠める。が、
(まさか、そんな異能者があちこちにいるわけないよ)
心中で一笑に付し、再び灯護は帰路に足を動か……
「あ、上履き持ってきちまった」
「「もぉー!」」
灯護と三咲の声がシンクロした。
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