第5章 第2話 坂を転がるような生き方で その4
ノックする音に気付いた奏は、すぐに立ち上がる。
向かう先はドアではなく、ベランダに面している窓だ。
鍵を外して静かに窓を開け、寒そうにしている少女を招き入れる。
「こんな時間にすみません」
「ううん、大丈夫」
靴を脱いで入って来た少女――神無城うてなに奏は笑いかけ、予め用意しておいたポットを使って紅茶を淹れる。
促されるままカーペットに腰を下ろしたうてなの前に、温かい紅茶とお菓子が差し出された。
入って来たのが窓からでなければ、親しい友人同士のお茶会に見えただろう。
時刻はすでに深夜と言って差し支えない頃合いだ。
奏もそろそろ眠ろうとしていたので、パジャマ姿にカーディガンを羽織っている。
十分ほど前にうてなから連絡があり、紅茶とお菓子を用意して待っていたのだ。
紅茶に口をつけたうてなは、冬の夜風に冷えた身体が温まる感覚にほっと一息つく。
うてながカップを置くまで、奏は静かに待っていた。
「それで、私に相談したいことって……龍君の話?」
「はい。あいつと直接話して、決めました」
組織の本部に捕らわれている龍二を見つけた事と、忍び込んでどんな話をしたのかを簡単に説明する。
奏が心配していたと聞いた龍二が安堵し、喜んでいた事も伝える。
その言葉がどれほど奏の救いになったのかは、うてなにはわからない。
奏は静かに頷き、手首につけたシュシュに触れる。破れていた箇所は補修され、汚れも綺麗に落とされていた。
「私はあいつを助け出します。ついでに、逢沢くのりも」
逢沢くのりが組織の関係者、エージェントである事はもう隠せない。
ただ、これまでになにをしたのかは伏せておいた。
龍二もそれを伝える事は、望んでいないだろうと思ったからだ。
「少なくとも、逢沢くのりはあいつの味方です。それだけは間違いないから、心配しなくても大丈夫」
「そっか。ちゃんと両想いになれたって感じなのかな」
「まぁ、そんなとこです」
手放しで喜ぶ事はできないが、奏は優しく目を細めていた。僅かな寂しさも感じるが、龍二の恋が実って良かったと微笑む。
「教えてくれてありがとう。でも、神無城さん一人でするつもりなの?」
「実は、そのことで相談したくて。父親……安藤聡さんと話をさせて欲しいんです」
思いがけない相談に、奏は目を見開く。が、すぐに思い至って表情を引き締めた。
「お父さんなら、なにか役に立つ情報を知ってるかもしれない」
「はい。できればスマートな方法で脱出までさせたいと思って」
「でも、内部のことなら神無城さんのほうが詳しいんじゃないの?」
「立場的にはまぁ、そうなんですけど……」
研究で多少関わりのある聡よりも、フリーランス的な立ち位置とは言え、本部に出入りもできるうてなの方が詳しいのは確かだ。
だが、致命的な要因があるのだと、うてなは頬を掻く。
「正直、私が思いつく手段だと、暴れて強引に突破して連れ出す、とかしか浮かばなくて」
自分で言いながら恥ずかしいのか、うてなの頬が僅かに赤らむ。
その様子に奏は苦笑しつつ、なんとなく納得していた。
つまり、うてなだけではスマートな救出ができないという事だろう。
「あ、一応言っておきますけど、あいつ一人なら私だけでなんとかできるとは思ってるんです。それこそ力業で」
ただしそこに、別の条件が加わるとなると話は別になる、とうてなは肩を竦めてため息を吐く。
まるで拗ねているような表情に、奏はまた苦笑した。
「あいつが、逢沢くのりも一緒に、とか言い出さなければもっと単純なんですよ」
「龍君は、そうして欲しいってお願いしたのね」
「はい。というか、自分よりもあの女を助け出すほうが優先って気がしなくもない」
バカみたいでしょう、と言いたげなうてなに対し、奏は小さく首を振って頬を緩める。
「龍君はそれだけ、くのりちゃんが大切なのね」
「……こっちが胸やけするくらいに」
眩しそうに微笑む奏につられて、うてなも口元を綻ばせた。
付き合わされるこっちの身にもなって欲しいと言いながらも、うてなが心底面倒くさがっているようには見えない。
どこか羨んでさえいるように、奏の目には映っていた。
まるでそう、自分と同じように。
「神無城さんは、どうしてそこまでしてくれるの? 龍君を守る任務は、もう終わったんでしょ?」
だから、それを訊いてみたかった。
うてなにとって、なにかしらメリットのある事とは思えないのに、なぜなのかを。
なぜなのかと問われたうてなは、顎に手を当てて僅かに考える。
やり方が気に食わないから。
このままじゃ寝覚めが悪いから。
すぐに浮かぶのはその二つだが、なぜという問いに対する答えとしては、違う気がする。
「あいつは、数少ない友達なんで」
奏が訊きたがっている理由に対する答えはこれだろうと、うてなは自信を持つ。
「そんなやつが困ってて、自分が手を伸ばせば助けられるなら……やっぱ、助けたいじゃないですか」
メリットやデメリットを考えるよりも先に、そう思ってしまったのだから仕方がないと、うてなは肩を竦めてみせる。
その根幹にあるのは、憧れた物語の主人公のように強くなりたいと思う、うてなの生き方だ。
どうやって助けるのか、などというものは後で考える。
まずはどうしたいのかを決める。
それが神無城うてなの生き方だった。
「龍君は、いい友達を持ってるのね」
「おまけに、いいお姉さんも。あいつ、恵まれすぎです」
うてなの軽口に、奏は嬉しそうに頷く。
龍二の味方になってくれる人が、自分以外にもいる。
その事が、心強い。
なら自分も決断しなくてはならないと、奏は立ち上がる。
「わかった。私も協力する」
そう言って時間を確かめ、頷く。
「お父さんはまだ起きてると思うから、ちょっと待っててくれる?」
「はい、お願いします」
部屋を出て行く奏を見送り、うてなは我慢していたお菓子に手を付けた。
「……なるほど、話は理解できたよ」
奏の部屋に連れて来られた聡は、うてなの説明に何度も頷く。
うてなの姿を見て最初は驚いていたが、話を聞くにつれて、彼の顔には理解の色が広がっていった。
奏の部屋で話す事にしたのは、先日の事件以来、少し体調を崩し気味の安藤静恵を気遣ったからだ。彼女はすでに眠っている。
「一つ、確認してもいいかい?」
「はい」
「神無城うてなという名前……もしかして君が、噂に聞く異邦人なのか?」
「噂になってます?」
「あぁすまない。噂というほどではないんだが……研究の性質上、どうしても耳に入ってくる情報もあってね」
改めて視線を向けてくる聡に、うてなは肯定の意味を込めて頷く。
異邦人という言葉を知っているのであれば、うてながもたらした魔力に関する情報も知っているのだろう。
肯定するという事は、罪を告白するも同然だった。
ただ一人、奏だけがその意味を理解できず、首を傾げていた。
「やっぱり、異邦人は信じられませんか?」
黙ったまま考え込む聡に、うてなは自ら話しかけた。
「いや、本当にすまない。悪い癖だな。つい考え込んでしまう」
申し訳なさそうに髪を掻き上げ、聡は思考を切り替えるように目を閉じて、開く。
「君が何者であろうと、関係はないよ。こうして会えて、良かったとすら思う」
そう言って聡は、崩していた足を揃えて正座し、背筋を伸ばす。
「まだ言っていなかった。奏を……奏と龍二君を助けてくれて、ありがとう」
「いやその、まぁ……好きでやったことなので」
自分の父親とそう年齢の変わらない大人に頭を下げられ、うてなは恐縮してしまう。
このタイミングで感謝されるとは思っていなかった。
「それならなおさらだ。任務ではなく、好意で助けてくれたのなら」
エージェントがどういった存在なのかをある程度知っているからこそ、聡はうてなに感謝する。
本来であれば、見捨てる選択肢すらあったはずなのだから。
微笑みながらありがとうという姿に、うてなは気恥ずかしさを覚えつつ、納得していた。
安藤龍二がああなったのは、彼の影響もあるのだろうと。
血の繋がりなどないのに、まるで実の親子のようだとすら思った。
「えっと、それで相談なんですけど」
「あぁ、助け出す方法について、だね」
「そうですけど……あの、協力してくれるんですか?」
「もちろんだ。どれだけ役に立てるかはわからないが、できる限りの協力はするつもりだよ」
「あ、ありがとうございます」
あまりにもあっさりと話が進んでしまった事に、さすがのうてなも戸惑いを隠せない。
いくら組織と関りがあるとは言え、安藤聡はほとんど一般人と変わらない。
いや、研究者であるのなら、組織に敵対するような行動は避けるのが当然だ。
組織が遂行するプロジェクトに関われるのは、ある意味研究者にとって名誉なのだから。
「助け出すのなら、私も同行しよう。派手なことはできないが、囮としてなにかしらできることがあるはずだ」
まずは作戦を立てなければ、と聡はすでにその気になっていた。
「それはありがたいですけど……いいんですか? 最終的にはたぶん、戦闘になります。どんな作戦を立てても、二人を助けるのならどこかで気づかれる。いくら囮だって言っても、危険はありますよ?」
「わかっているよ。でも、なにもしないわけにはいかないだろう」
うてなが想定する状況は、聡も話を聞きながら考えていた。
絶対に気づかれないまま脱出させるのは、まず不可能だろうと。
見つかったのなら当然、戦闘が起こる可能性も、理解している。
それらを理解した上で、聡は協力するともう一度頷いた。
「奏が連れ去られた時、龍二君は自ら捕まることで時間を稼いでくれたのだろう? なら、今度は私がそれに報いる番だ」
隣で不安げに聞いていた奏の手に、聡は手を重ねる。
龍二を助けて欲しいと思う一方で、聡に危険な事をして欲しくないとも思ってしまう。
どちらも大切に想うからこそ、奏は不安に駆られるのだ。
手を重ねた聡は、安心させるように奏を見る。
「それに、私にとっては本当の息子同然だからね」
助けに行くのは父親として当然だろうと、聡は笑って見せる。
不思議な事に、その目に迷いは見られなかった。
「恥ずかしながら、本当の息子ができたようで、嬉しかったんだ。龍二君とは小説の趣味なんかも合うからね。本当に……あぁ」
照れくさそうに頭を掻く父親の姿に、奏は胸が締め付けられる。
家族のようにすごした時間は、嘘などではなかったのだ。
龍二の味方は、他にもいたのだと思い、目が潤む。
うてなもまた、胸が熱くなり、力が湧いて来るような感覚に身を震わせていた。
「私も、一緒に連れて行って。きっとなにか――」
「それはダメだ」
奏の言葉を、うてなと聡の声が同時に遮る。
綺麗に重なった二人の声に怯みつつも、奏は食い下がった。
「で、でも、人数は多いほうが――」
「ダメです。守る人数が増えたら、手が足りなくなる」
それがどれだけ危険な事なのかは、十分すぎるほどわかっている。
だからうてなは、頑として認めるわけにはいかない。
「……でも、私だけなにもしないなんて」
足手まといにしかならないのは、奏だってわかっていた。
それでもなにかをしたいと、強く思う。
歯がゆさと無力感に肩を落とす奏の手を、聡がもう一度握る。
「お帰りなさいと言ってあげるのが、お前の仕事だよ」
それがいつの事かはわからないが、だからこそこの家で待っていなさいと、包み込むような声で奏に諭す。
小さく奏は頷き、笑みを浮かべる。
その様子にうてなは、ほとんど覚えていない家族の姿を重ねていた。
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