第4章 第3話 彼女の選択 その3

「見張りはいないようね」

 地下の隠し通路から安全を確認した深月は、地上に身を乗り出して後続のうてなに合図を送る。

 隠し通路の出口は、倉庫の奥にある暗がりの地面にあった。

 精巧に作られたその地面は、内側から操作することで開くように作られている。くのりから受け取ったデータの中には、倉庫側から出入り口を開閉するための装置がある場所も記されていた。脱出の際は、これを使用すれば問題ない。

「予定より少し遅れたわね」

 時計で時間を確認した深月は、周囲を警戒しつつそう呟く。

「あんな入口、あるって言われても見落とすでしょ」

 遅れて地上に出たうてなは、髪に着いた蜘蛛の巣を払いながらぼやく。

「だからこそ、非常用の脱出路として使えるのよ」

「そりゃあそうでしょうけどね」

 当たり前すぎる正論にげんなりしつつ、うてなは物陰から顔を覗かせて倉庫の中を見渡す。

 とは言っても、非常灯一つない倉庫の様子などわかりようもなかった。月明かりすら期待できない今日の天気では、なおさらだ。

 暗視ゴーグルを装着すれば問題は解決するが、どうせすぐ外に出る。

 幸いにも、外へと続くドアはすぐ近くにある事が確認できた。今はまだ暗視ゴーグルを装着する必要はないだろうと、二人は頷き合う。

 深月が先行するかたちでドアへと近づき、脇に吊るしてあるホルスターから電気銃を引き抜いて外の様子を窺う。

「見張りはいないようね。それと、奥の建物に明かりが見える」

 それがおそらくは目的のC棟だろうと、深月は端末の図面と見比べて頷く。

「見張りがいないなら、一気にそっちまで行く?」

「あなた一人ならそれで行けるでしょうけど、私には無理よ」

「なら、作戦通り中を突っ切る感じか」

 さすがにリスクがあると理解しているのか、うてなは一人で先行するとは言わなかった。

 夏の時とは状況が違う。あの時は深月と別行動を取り、うてなが龍二の救出に向かった。

 だが今回は、相手の規模も装備も、助け出す人数も違う。

 不要なリスクを冒す気には、到底なれなかった。

 再度見張りがいない事を確認し、二人が外へ出ようとしたところで、くのりから通信が入る。

 警戒を怠る事無く、二人は耳の通信機に手を当てる。

『正面の見張りを二人制圧した。このまま高い位置にいるやつらを排除しに行くところだけど、そっちは?』

「少し遅れたけど、倉庫には辿り着いたわ。今からA棟に移動する」

『りょーかい。たぶん、こっちはあと数分で気づかれると思う』

「わかったわ。ここから見る限り、A棟付近に見張りはいないようだけど、そっちで把握できる位置に見張りはいそう?」

『それがさ、どうにもヘンな感じがする。いてもよさそうなところにいないんだよね』

 通信機越しにも、くのりが訝しんでいるのがわかる。

「敵の戦力が予想よりも少ない?」

『その可能性もあるけど、なんか嫌な感じがする。だからまぁ、一応気を付けて』

 そう告げたくのりは、通信を切った。

「気を付けて、だってさ」

 くのりの気遣う言葉がむず痒いのか、うてなは顔をしかめていた。

「でも、手際の良さはさすがと言ったところね」

「まぁ、確かにね」

 当たり前のように正面の見張りを制圧したと言っていたが、それらしい音は聞こえてこなかった。

 相手に気づかれる事無く、そして反撃する時間すら与えずに制圧したという事になる。

 ある程度の訓練を受けた兵士を相手に、危なげもなくそれをやって見せる手腕は、やはりさすがとしか言いようがない。

 それにしても、と深月はドアの隙間から様子を窺いつつ、思案する。

 くのりも言っていたが、確かに警備が想定していたよりも薄い。

 C棟に集中しているという可能性もあるが、手慣れた部隊が取る選択とは考えにくい。

 倉庫内に侵入しても警報の類が鳴らない事から、警備システムはダウンしたままなのだろう。

 だとすれば、要所要所に見張りを配置していてもおかしくはないが、その気配がないのだ。

 だが、奥に見えるC棟以外にもところどころに明かりは見える。

 一つ一つを確認している時間的余裕は、ない。

「ヘンな感じ、か……」

「どうかしたの?」

 ため息のように呟くうてなを、深月は横目で見る。

「どうっていうか、なんだろうね……チリチリする」

 そう言ってうてなは、眉間にしわを寄せつつ首筋に触れる。

「なにかを感じるの?」

「よくわかんない。本当にそんな気がするだけで……緊張してるのかな?」

 自分でもよくわからない感覚だと、うてなは肩を竦める。

 違和感があるのは確かだが、その正体が掴めないようだった。

 くのりもヘンな感じがすると言っていたが、それとはまた違うものなのだろうと、深月は考える。

 彼女のそれがエージェントとして訓練されたものから来るのだとすれば、うてなのそれは魔力によるもののはずだ。

 技術や経験ではなく、直感の類になる。

 それがこの状況でなにを意味するのかは、うてなにしかわからない。

「今はとにかく、進みましょう」

「だね。悩んで立ち止まるのは性に合わないし」

 前向きなうてなの意見に深月は頷き、ドアの反対側へと回り込む。

「A棟の入り口、わかるわね?」

「ここから見えるとこ? それならわかるけど」

「念のため、あなたが先行して。隠密行動は得意でしょう?」

 周囲の安全を確認してから移動するのでは、時間がかかりすぎる。

 くのりが見つかるまで、もう数分とない。

 ならばここは、より隠密に長けたうてなに先行して貰うべきだと、深月は判断した。さすがにC棟までは先行させられないが、隣の棟へ移動するくらいなら、問題はない。

「んじゃ、行くよ」

 うてながそう言った次の瞬間、深月は彼女の姿を見失う。

 直前までそこにいたはずなのに、いつ移動したのかもわからなかった。

「……本当に、とんでもないわね」

 一人残された深月は、改めてうてなの特異性に舌を巻く。

 これが初めてではないが、忽然と姿を見失う感覚は、何度経験しても慣れるものではない。

 本来、世界に存在しないはずの人間。

 彼女がそうと望めば、世界中の誰にも認識されない。

 絶対の孤独。

 それは魔法でも魔術でもなく、神無城うてなが異邦人であるが故の特異性。

『……久良屋』

「どう?」

『大丈夫、と言いたいところだけど……』

「なにか問題でも?」

『とりあえず、来て。見張りは、いないから……』

「了解」

 歯切れの悪いうてなの通信に頷き、深月はドアからそっと出て、A棟へと全力で走る。

 ドアが半開きになったA棟の壁に背中から張り付き、周囲をざっと警戒する。

 うてなの言葉通り、見張りらしき影は見当たらなかった。

 それを確かめた深月は、静かに建物内へと身体を滑り込ませた。

 記憶した図面と建物の位置から、現在地を確認しつつ、建物全体のイメージを構成する。

 不規則に灯る廊下の蛍光灯は、壊れているかどうかの差なのだろう。

 暗視ゴーグルを使うには、光源が不規則すぎる。

「……どうしたの?」

 すぐ近くで壁に寄り掛かっているうてなに、深月は訝しむように声を掛ける。

 不快感に顔をしかめ、うてなは無言で入口のすぐそばにある部屋を顎で示す。見ればわかる、という事だろう。

 深月は電気銃を構えながら、ゆっくりと室内を確認する。

「……そういうこと」

 そしてすぐに理解し、納得した。

 明滅する蛍光灯が頼りなく照らしている部屋には、赤黒いなにかが広がっていた。

 屈みこんで確かめるまでもなくわかる。血だまりだ。

 軽い怪我や出血ではありえないほど大量の血が、暗い部屋を染め上げていた。

 その中心にあるのは、椅子に座ったまま、机に突っ伏している大きな影。

 深月は一度うてなに視線を向ける。うてなは小さく頷き、いつでも動けるように身構えた。

 最大限の警戒をしつつ、深月はその影へと近づき、軽く押す。

 一切の抵抗もなく、その影は椅子から転げ落ち、床に倒れ込んだ。

 わかりきっていた事ではあるが、その影はやはり人間だった。格好からして、誘拐犯の一人だろう。

 その男は間違いなく、絶命している。

「ナイフの類でやったようだけど……」

 銃を下げた深月は、死体に近づきながらその傷口を確かめる。

 仰向けになった男の首は、辛うじて繋がっているが、喉を深く切り裂かれていた。もう少し力を加えてやれば、完全に胴体から切り離されるだろう。

 苦悶に満ちたその死に顔は、性質の悪い冗談にすら思えるほどだ。

 うてなは近づいて確認する気にはなれず、部屋の入口に寄り掛かる。

「手練れのようね」

 他に傷がない事を確認した深月は、立ち込める死の気配に顔をしかめつつそう呟く。

 うてなは声を出すのも嫌なのか、目を逸らして口元を押さえていた。

 戦う覚悟はしていたが、死を目の当たりにするつもりはなかった。

 夏休みの記憶が、血の匂いと共にうてなの脳裏に蘇る。

 顔を覆って目を閉じるうてなをちらりと見た深月は、死体の顔を端末で確認する。

 くのりの情報にあった兵士の一人で間違いない。

「見張りは、いたようね」

 本来であれば、彼がこの建物の入口を見張っていたのだろう。

 状態からして、死後一時間も経過していない。

 もしかしたら、深月たちが車で到着した時にはまだ生きていたかもしれない。

「どういうこと、これ?」

「わからないわ。でも……いえ、違うでしょうね」

 くのりがやったという可能性を、深月はすぐに否定する。

 彼女は今、別の場所で行動している。先にここの見張りを片付けるような時間もなかった。

 そもそも、この建物に深月たちが潜入するのはわかっているのだから、囮役の彼女がここに来るわけがない。

「仲間割れでもしたとか?」

「可能性としては考えられるわね」

 そう答えながらも、深月はその可能性は限りなく低いと考えていた。

 死体の男は銃を装備しているが、発砲した形跡はない。

 完全に不意をつかれて、喉を切り裂かれたのだろう。

 訓練された兵士だというのは、装備を見ればわかる。

 相当な腕がなければ、こうはいかない。

 だがしかし、そうなると気になる点が出てくる。

 それだけの腕があるのなら、わざわざナイフを使う必要などない。

 血痕が残っていなければ、死体を隠す事は容易になる。

 ならなぜ、ナイフを使って死体をそのままにしているのか。

 噛み合わない思考に混じるノイズに、深月は軽く頭を振る。

「…………」

 男の死体から離れ、小さく息を吐く。

 胸の奥から込み上げてくる、痺れるような吐き気に目を閉じる。

 死体を見るのは、別に初めてではない。

 血の匂いで気分が悪くなった事も、ない。

 だが、なぜだろうか。

 込み上げてくる吐き気と共に、思考の奥でなにかが疼いていた。

 それは、死体のせいではない。

 最初に感じたのは、施設の図面を見た時だった。

 ほんの一瞬、なにかが思考を掠めた。

 初めて見る施設の図面だったはずなのに、なにかが引っかかった。

 そしてその感覚は、ここに来てから強くなっている。

 非常用の地下通路でも、この建物に入った時も、廊下も、この部屋も。

 存在すら知らなかった施設のはずなのに、悉くが記憶のどこかを刺激して、疼かせる。

 合致する記憶など、僅かもないのに。

「さすがに久良屋もきつい?」

「……いえ、大丈夫よ」

 入口で苦笑しているうてなに、深月は軽く手を上げて応える。

 そう声を掛けてきたうてなこそ、無理をしているのが丸わかりだ。

 微かに頬を緩めてはいるが、顔色は良くない。

 おそらくは、自分もそうだろうと深月は呼吸を止める。

 ジワジワと込み上げてくる吐き気を、無理矢理忘れようとする。

 こんなところで、時間を浪費している場合ではないのだ。

 不可解な事は多いが、間違いのない事実として、人が死んでいる。

 龍二たちの身を案じるのなら、少しでも早く合流しなければならない。

 今は、余計な事に気を取られていられない。

 助け出す事に集中するのだと、自分に言い聞かせる。

「急ぎましょう」

「だね」

 血だまりを避けるように廊下に出た二人は、互いの顔色に改めて苦笑し、龍二が待つであろうC棟へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る