第4章 第3話 彼女の選択 その4

 物陰から麻酔銃を構えたくのりは、正確に相手の首筋へと特製のダーツを撃ち込む。

 首筋に突き刺さったダーツは、即座に相手の筋肉を弛緩させ、意識を奪う。

「また強力になってるし。ホント、頭おかしいわ」

 冗談のような即効性に半ば呆れつつ、くのりは麻酔銃をホルスターに戻して気絶した兵士に近づく。

 A棟の屋上にいた見張りは、これで最後だ。入口からA棟まで、目視で確認できる見張りは全て倒した事になる。

「手薄すぎる」

 正面入口に二人、壁沿いの高台に二人、そして今倒したのが五人目だ。

 もう少し正面付近に数を配置していると、くのりは予想していた。

 限られた人数しかいない相手は、この敷地の全てをカバーするつもりはないはずだ。

 ならば監禁場所であるC棟と、唯一の出入り口である正面に多く配置すると思っていたのだ。

 倉庫側の隠し通路に見張りがいなかった事から、その存在を彼らが知らないのは間違いない。

 だというのに、正面の見張りが手薄に感じる。

 なにより、最初の二人を倒してからすでに五分が経過しているにも関わらず、潜入に気づいた様子がない。

 人数が少ないのであれば、それだけ定期的に連絡を取り合っているはずだ。

 数名と連絡が取れなくなっている事に、少なくとも指示を出しているリーダー格の男は気づいていてもおかしくない。

 いや、気付いていないはずがない。

 しかし、見張りが警戒を強めた様子すらなかった。

「そこまでぼんくらだとは思えないんだけど」

 そうぼやきながら、くのりは倒れた男の装備を取り外して選別し、使えそうな物は遠慮なく貰っておく。

「さて、どうしたものか」

 囮としてはそろそろ気づいて欲しいところだが、無駄に気取られる必要があるかと言われると、判断が難しい。

 気づかれないまま深月たちが二人を救出できるのなら、それが最善だ。

 だからくのりはスタングローブではなく、麻酔銃を使用していた。

 この暗さでは、スタングローブを使用した際の光で遠くからでも気取られる可能性があったからだ。

 だが、ここまで気付かれないのは想定外すぎた。

 見張りが手薄なのも気がかりだ。

「嫌な感じ」

 施設全体に漂っている空気が、実際の気温よりも低く感じる。

 くのりは身を低く屈めつつ、B棟側の屋上をスコープで観察する。

 見張りの姿は、ない。

 それを確認したくのりは、B棟へと続く廊下の屋根へ飛び降り、一気に駆け抜ける。

 ガントレットのワイヤーをB棟の屋上へと撃ち込み、そのまま駆け上がった。

 ここにも、人の気配は感じられない。

 くのりは警戒したまま、屋上をクリアリングしていく。

 そして、見つけた。

 本来、B棟の屋上で見張りをしていたであろう、兵士の死体を。

「……そうくるか」

 嫌な予感は、確信へと変わりつつあった。

 自分たち以外の、別の勢力がこの施設にいる可能性を、くのりはずっと警戒していた。

 深月たちがこれをやったとは思えない。あの二人に、人は殺せない。

 つまり、人を殺せる何者かが、この施設にいるという証明だった。

「救出して終わり、とはやっぱりいかないか」

 確かめるまでもなく絶命している兵士を見下ろし、くのりはため息を吐く。

 兵士の死体は仰向けに倒れているが、その表情は見えない。

 月明かりすらない夜だ。なにかの影が重なっていれば、見えなくとも不自然ではない。

 が、この死体は違う。目立った外傷も、血だまりもない。

 それでも確実に死んでいると、一目でわかる。

 身体は仰向けになっているが、その顔は夜空を見ていない。地面を舐めるように、身体とは真逆の方を向いていた。

 きっとその表情は、驚愕に彩られているだろう。

 漂ってくるはずのない血の匂いに、くのりは目を細めた。

 足元に横たわる死の気配が、嫌な記憶を思い起こさせる。

 血だまりの幻覚が見え、そこに見知った姿が重なる。

「奏さん……」

 思い出したくもない記憶が、したくもない想像を掻き立てる。

 すぐそこにある死が、安藤奏の死を連想させた。

 彼女とは龍二を通じて、少なからず親交があった。

 くのりにとっては龍二以外の、唯一と言ってもいい関わりのある人物だ。

 自分から親交を深めようと思ったわけではなかったが、自然とそうなっていた。

 ほとんどは電話やメール、メッセージアプリを介してのものだったが、何度かは直接会って、出かけた事もある。当然、龍二を含めた三人でも。

 だから、なのだろうか。

 彼女を助けたいという感情が、確かに存在していた。

 安藤龍二が大切に想っている家族だから、というだけではない。

 それが一番の理由ではあるが、逢沢くのりとしても、彼女を無事に助け出したいという感情がある。

 くのりはその事に、僅かながら驚いていた。

 いつの間にか、大切だと感じるものが増えている。

 エージェントとしては不要な感情、足枷にしかならない。

「甘くなったかな……」

 最悪の想像を打ち消すように頭を振り、苦笑する。

 欲しいと願った感情ではないが、抱いてしまったのならば仕方がない。

 ただでさえ少ない荷物を捨ててしまう必要もないだろう。

 ――どうか、無事でいて。

 彼のためにも、そうあって欲しいとくのりは願う。

 次に向かうべき場所へと踏み出し、ふと気づいた。

 こんな風に誰かのために祈るのは、初めてだと。


「ホント、どうなってんのよ」

 点々と明かりが灯る廊下を進みながら、うてなは舌打ちする。

 敵と接触する事もなくC棟まで辿り着いた二人は、そこから別行動を取る事にした。

 リスクはもちろんあるが、敵の気配が全くと言っていいほどしない。

 総出で逢沢くのりを撃退に向かった可能性もあるが、そうではないと、二人の意見が一致した。

 なにかが起きているのは、間違いない。

 B棟の途中でも、そしてC棟の入口にも、死体があった。

 いずれも見張りをしていたと思われる兵士たちの死体だ。

 思い出しただけで込み上げてくる吐き気を、うてなは気合で飲み下す。

 気分が悪いなどというものではない。

 嫌な予感はすでに、これ以上にないほど膨れ上がっていた。

 ここまで潜入する間に、敵に気づかれた様子がない事から、二人は龍二たちが捕らわれている可能性のある部屋へ、手分けして向かう事にしたのだ。

 深月は監禁用と思われる特殊な部屋がある地下へ。

 そしてうてなは、全体を監視するためのコンピューターがある上階の部屋へ。

 どちらにも等しく捕らわれている可能性がある。

 うてなが上階を担当する理由は、コンピューターがあるからだ。

 くのりの情報によれば、敵はこの施設に残されているかもしれないデータも目的としている。

 つまり、上階の部屋には確実に敵がいる。

 分析をする者と警戒をする者、少なくとも二人以上はいると見ていい。

 ならば気配を消せるうてなの方が適任だろうという判断だった。

「信じてくれるのはいいけどさ……あいつも久良屋も、まったく」

 双肩にかかる信頼という言葉が、今は重く感じてしまう。

 それは嬉しくもあり、不思議と力の湧いてくる言葉だが、道中で見た死体の数だけ、重さが増していた。

 潜入してからずっと感じている、ひりつくような感覚は、今もまだそこにあり、ほんの少しずつだが強くなっている。

 死の気配とは別の、正体不明の悪寒。

 吐けるものなら吐きたいと思うほど、気分は最悪だった。

 体調が悪いわけではない。純粋にこれは、メンタルからくるものだ。

 つくづく自分は深月たちのような強さは持てないと、うてなはため息を吐く。

 それでも、やり遂げなければならない。

 立ち止まって休みたい衝動を抑え、うてなは廊下を進む。

 何事もなく、目的の部屋がある階まで、一気に駆け上がった。

「――ちっ」

 階段を上り切った先に、新しい血だまりを見つけて舌打ちをする。

 その死体は、今まで見たものの中で一番酷い。

 切断された頭部が、血だまりの向こうに転がっていた。

 頭部だけではなく、両腕も切断され、壁一面が血塗れだ。

 これまでの事務的な殺人とは、なにかが違う。

 まるでなにかを誇示するような、不快としか言いようのない悪意の残滓をうてなは感じていた。

 気が遠くなるような感覚に、うてなは自身の頬を叩く。

 エージェントとして訓練を受けていないうてなは、魔力による戦闘能力を除けば、年相応の少女でしかない。

 生い立ちが特殊であるとは言え、どこまでいっても、エージェントでもなければ兵士でもない。

 最初の死体を見た段階で卒倒していても、なんら不思議ではなかった。

 C棟まで辿り着けたのは、深月が一緒にいたからだ。

 だが今は、一人で他人の死と向き合っている。

 動けなくなって蹲ったとしても、深月は笑わないだろう。

 それでも、とうてなは再度頬を叩く。

 折れそうになる膝に魔力を込め、吐き気を呑み下して顔を上げる。

 こうしていられるのは、待っている人がいると知っているからだ。

 吐くのも泣くのも、あとでいくらでもできる。

 今はとにかく、龍二を助ける事だけを考えろと、うてなは自身を叱咤する。

 血だまりを飛び越え、目的の部屋まで止まらずに疾走する。

 半開きになっているドアから、なにかがはみ出していた。

 自動で開閉するドアが半開きなのは、その倒れ伏した死体が邪魔をしているからだと理解する。

 強く唇を噛み、ブラックアウトしそうな意識を痛みで繋ぎ止め、うてなは部屋へ駆け込む。

「――――っ」

 その光景に、声を失う。

 うてなは、助けるというただ一心で自身を奮い立たせていた。

 だからこそ、その光景をすぐには受け入れられず、理解もできなかった。

 ただ一つ、最初に認識できたものが、うてなを凍り付かせる。

 そこにあったのは、血塗れになった安藤龍二の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る