第4章 プロローグ
誰かにプレゼントを贈るという事の難しさに、安藤奏は頭を悩ませていた。
大学からの帰り道、通いなれたショッピングモールに立ち寄った奏は、男性用のファッション店を訪れた。
目的は安藤龍二への誕生日プレゼントを選ぶためだ。
彼の誕生日は一ヶ月以上先なので、考える時間はまだまだたっぷりとあるが、予想以上に難しく、焦りを感じ始めていた。
「龍君、お世辞にもオシャレに気を遣うタイプじゃないしなぁ」
それなりに有名なブランドの店舗から離れ、適当に歩きながら奏は呟く。
問題は、奏自身にもあった。
オシャレに無頓着という点では、奏もとやかく言える立場ではない。
奏自身はファッションの傾向に好みはあると思っているが、同年代の女性と比べればあんたのそれはあってないようなものだ、というのが親しい友人の意見だった。
そんな奏が大学でも人目を惹く存在でいられるのは、その親しい友人のおかげだ。
小学校時代からの友人である彼女は、幼い頃からファッションに興味を抱き、将来はその道に進もうとしている。
ファッションに無頓着な奏の普段着は、全てその友人が見繕ってくれたものだった。
彼女の見立てが間違っていない事は、周囲の評判が証明している。
龍二とも少なからず面識のある彼女に協力を仰げば、問題は一瞬で解決するだろう。
ここまで悩むとは奏も思っておらず、いっそそうしてしまおうかとも思うが、それではダメだと思いなおす。
今年の八月、奏の誕生日。
その時、龍二が誕生日プレゼントをくれた。
彼が居候としてやって来てから、奏の誕生日は今年で三度目。
誕生日に限らず、龍二がプレゼントをくれたのは、それが初めての事だった。
奏は口元を僅かに綻ばせ、手首につけているシュシュに触れる。
龍二がくれたプレゼントは、いつもこうして身に着けていた。
これを選ぶのに、凄く悩んでいた事は、なんとなくわかる。
六月から七月にかけ、彼はよく寄り道をしていた。
奏は当時、別の予想をしていたのだが、それは見当違いだった。
プレゼントを受け取った時に、わかったのだ。
一ヶ月以上の時間をかけて、自分への誕生日プレゼントを選んでくれていたのだと。
それを理解した時の嬉しさは、初めて味わう感覚だった。
両親や友人からプレゼントを貰った時とは、少し違う。
正直に言えば、龍二がそういった事をできるタイプだとは思っていなかった。
龍二が居候をするようになってから、彼の誕生日は二回あった。
過去二回とも、龍二への誕生日プレゼントは用意した。
どちらの時も奏は悩んでばかりで、最終的には静恵と共に選ぶ形だった。
今年もそうすればと考えていたが、奏は思い直した。
決して奏から欲しがったわけではないが、やはり嬉しいものは嬉しい。
使うのが勿体ないので、大切にしまっておこうと一度は考えたが、結局そうはしなかった。
勿体ないという気持ちはあったが、使うからこそ意味があると思ったからだ。
料理をする時や勉強に集中しようとする時、プレゼントのシュシュを使って髪を束ねるたびに、どんなに疲れていても、頑張ろうという気持ちが湧いてくる。
そんな気持ちを、彼に返したいと、強く思った。
だから今年は、自分一人で選ぶことにしたのだ。
理由は、もう一つある。
龍二が夏休みに入る頃、彼はひどく落ち込んでいた。
丁度、彼が通う学校で爆発事故があった頃だ。
夏休みに入った直後の彼は、思い出しただけで胸が苦しくなるほど、悲嘆にくれていたように思う。
奏の誕生日が来る頃には、いくらか笑顔を見せてくれるようにはなっていたが、それでも彼の表情にはどこか、哀しい色が見え隠れしていた。
なにがあったのかを知ったのは、誕生日の少し後。
気持ちの整理がついたような顔で、龍二が話してくれた。
彼にとって大切な友人でもあり、おそらくは恋をしていたであろう少女が、いなくなってしまった。
急な転校だけでなく、連絡先もわからなくなってしまったのだと、寂しげに言っていた。
彼女と連絡が取れなくなったのは、奏も知っていた。何度か顔を合わせた彼女とは連絡先を交換し合い、いくらかの交流もある間柄だ。
落ち込んでいる理由を彼女に訊いてみようとしたが、連絡が取れなかったからだ。
直接その事を龍二に訊いてみようかとも思ったが、できなかった。
悩みを聞いてあげたい、できるのなら元気づけてあげたいと思いながらも、奏は結局、なにもしなかった。
同じ屋根の下で暮らしながら、誰よりも寄り添える場所にいながら、待つ事を選んだ。
龍二が話したいと思うまで、その話題そのものを避け続けた。
今はそっとしておこう。
時間が経てば、きっと話してくれる。
彼がその気になった時に受け止めてあげればいい。
それらしい理由をあげようと思えば、いくらでもあげられる。
でも、どれもこれも違う。
奏はただ、怖かったのだ。
あの夏の夜、帰って来た龍二の顔を見た奏は、言葉が出てこなかった。
色を失った彼の顔が、今にも壊れてしまいそうで。
絶望を溜め込んだ彼を抱き締めたり、不用意な言葉を一つでもかけたりすれば、砕けてしまいそうな気がして。
彼の悲しみに、奏は踏み込めなかった。
「あの時は本当に驚いたなぁ」
人混みを避けるように歩きながら、奏はため息と共に呟く。
思い出すのは、奏の誕生日から数日後。
初めて見る女の子が、龍二を訪ねてやって来た。
龍二自身も驚いていたことから、それは予定外の訪問であり、予想外のお誘いだったのだろう。
その少女は悪びれる様子もなく、強引に龍二をデートに連れ出した。
あっという間の出来事に、奏はしばしその場を動けなかったほどだ。
改めて思い返してみても、嵐のような出来事だった。
だが、あれがきっかけになったのは間違いない。
実際、二人があの日、どんなデートをしたのか、詳細までは聞いていない。
けれど、あの日を境にして、龍二の中でなにかが変わったのだと思う。
以前と変わらない、とまでは言えないが、彼に笑顔が戻った。
完全に吹っ切れたわけではなくとも、どうにか自分の中で折り合いをつけて、感情を消化する事ができたのだろう。
後日、文化祭で改めて知り合う事になった、神無城うてなという女の子が、龍二を元気づけてくれた。
塞ぎ込んでいた理由を話してくれたのも、その翌日だった。
奏はただ静かに相槌を打ちながら、龍二の話を聞いた。
聞きながら、改めて彼が失ったものの大きさを目の当たりにした。
それでも彼は、俯いていた顔を上げたのだ。
前を向き、また歩き出すために。
その姿を見た奏は、憧れにも似た感情を抱いた。
同時に、悔しいという気持ちも、少なからず抱いてしまった。
彼が立ち直るきっかけを与えたのは自分ではなく、他の女の子だった事に。
彼女がどこまで事情を知っていたのかはわからないが、彼を励ますつもりで連れ出した事は間違いない。
彼女は――神無城うてなは、恐れずに踏み込んだのだ。
奏にはできなかった事を、やってみせた。
悔しくないはずがない。
相手の女の子が龍二にとって特別な子であれば、当然だと素直に納得できただろう。
だが彼女はどうにも、そういう対象ではなさそうだった。
どちらかと言えば、性別を超えた親しい友人。そんな立ち位置のように見えた。
もし自分が恐れず、彼の悲しみに踏み込めていたのならと、考えずにはいられなかった。
でも、いいのだ。
誰がとか、どうしてとか、なにがあったかなんて、些細なことだ。
彼がまた、少しずつでも以前のような笑顔を取り戻せたのなら。
とは言え悔しいものは悔しく、愚痴りたくもなってしまう。
そんな事があったと話す奏を、友人は遠慮なく笑い、そしてお決まりのセリフを口にした。
彼を――安藤龍二を、一人の男の子として好きなのではないか、と。
そう言われるのは、あれで何度目だっただろうか。
三年にも満たない期間で、度々言われている事だった。
奏はその度に同じ言葉を繰り返し、否定していた。
確かに、好きという感情はある。
でもそれは、いわゆる恋愛的な感情ではないと、奏は思っている。
淡くもなく、激しくもなく、かと言って冷めてもいない。
初めて会った時から、なぜか彼を放っておけないと感じてしまっているのだ。
男の子が居候する事になると父親から聞かされた時から、ずっと不安があった。
家族ではない、会った事もない男の子が同じ家で暮らすなんて、考えた事もなかったのだから、当然だ。
けど、そんな不安は彼に会った瞬間、見事に吹き飛んだ。
迷子のような彼の目を見て、守ってあげなければいけないと強く思った。
ある意味、ひとめぼれと言えるかもしれない。
奏は一瞬で彼を家族として受け入れ、姉となった。
そう。安藤龍二は出会ったその日から家族であり、弟なのだ。
今ではつい、彼が居候だという事を忘れてしまいそうになるほどに。
弟が欲しいと思った事はなかったが、今となってはもう、彼がいない生活を想像できないくらいになっている。
そんな彼が、一生懸命プレゼントを選んでくれたのだ。
そのお返しとも言えるプレゼントなのだから、奏は今まで以上に悩んでしまう。
進路にすら悩むことのなかった奏は、たった一つのプレゼントに、かつてないほど悩んでいる。
とても大変で難航しているが、それは楽しい時間だった。
悩んだ時間が多ければ多いほど、彼の喜ぶ顔を見る瞬間が楽しみで仕方がない。
「帰ったらもう一回、探りを入れてみようかな」
どうやって自然に探りを入れるかを考えつつ、奏はモールの外に出た。
空はあいにくの曇り空だが、奏の気分は晴れやかだった。
今日は母親が外に出ているから、夕飯の担当は奏になる。
龍二に食べたい物のリクエストを聞こうかと思ったが、やめておく。
なにを作ったら喜ぶかを考えるのも、料理をする醍醐味の一つだと、奏は頬を緩ませる。
巻きなおしたマフラーで緩んだ口元を隠しながら、奏は家路につく。
――安藤奏が誘拐されたのは、その数分後だった。
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