第4章 第1話 おかえりなさいが聞こえない その1

「肉まんウマー」

 学校からの帰り道、神無城うてなは駅前のコンビニで買った肉まんを、上機嫌に頬張る。

 あまり寒さに耐性がないらしく、学校指定の制服の内側にカーディガンを着込み、マフラーと黒いタイツまで完備していた。

 初めて見た時、意外と女子力がアップするものだと感心した龍二は、無言で脇腹を打ち抜かれて悶絶した。

「やっぱ、寒い日はこれだよね、これ」

 うてなはそう言うと、抱えた袋の中からもう一つ中華まんを取り出してかぶりつく。その手にした袋の中には、他にも数種類の中華まんが残っている。

 コンビニで販売されている物を全て購入しそうな勢いだったが、帰宅後に夕飯を食べるのだからほどほどにしろと釘を刺され、断念した。

 しぶしぶながら全種類を一つずつ購入する事で良しとしたうてなの姿に、龍二は苦笑するしかなかった。

 夕飯について釘を刺したもう一人の少女――久良屋深月は呆れたと言いたげな視線を送っていたが、神無城うてなという少女はそれを気にするような性格ではない。

「ピザまんウマー」

 二つ目を平らげたうてなは、即座に三つ目を取り出す。

 その様子を横目に見ながら、龍二も一つだけ購入した肉まんに口をつける。

 うてなと違い、人並程度の量しか食べない龍二にとって、夕飯前の間食はこの程度が丁度いい。

「ん? なに? もしかして久良屋、今更欲しくなった?」

 龍二を挟むようにして向けられていた視線に気づいたうてなが、楽しげに目を細める。

 反対側から冷たい視線を送っていた深月は、小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

「まさか。いっそ、全部買わせてしまえば良かったと思っていただけよ」

「え、いいの? ならちょっと行ってくる」

「その代わり、夕飯はそれで終わりよ」

 目を輝かせて踵を返そうとしたうてなは、深月の言葉に踏み止まり、結局一回転して元の体勢に戻る。

「いやいや、なんでそうなるわけ? 割に合わないでしょ」

「割に合わないのはあなたの食費よ。燃費が悪いにもほどがある」

「仕方ないじゃん。久良屋と同じ量じゃ物足りないんだからさ」

「少しは我慢を覚えたら? 将来、反動で太るかもしれないわよ?」

「その時はその時に考える。不確かな明日を心配してお腹を鳴らすなんて、まっぴらごめんです」

 なぜか得意げに言いながら、うてなは伊達眼鏡を中指で押し上げ、笑みを浮かべる。

 その動作が癪に障ったのか、深月は双眸の温度を更に一段下げ、いっそ豚になれとでも言いたげに鼻を鳴らした。

 ちなみに深月は、うてなのように防寒対策はしていない。寒さに耐える訓練があるからと言われた龍二は、驚きつつも頷くしかなかった。

 険悪なようでいて、実際にはそれほど険悪ではない二人の間に立つ龍二は、今更この程度の会話で慌てたりはしない。

 もう、慣れた。

 彼女たちと知り合い、こうして行動を共にするようになって、そろそろ五ヶ月になるのだから、当然だった。

 無関係な龍二を間に挟んだまま、今日の夕飯について二人は熱く語り合う。

 そんな二人の様子を我関せずと眺めつつ、龍二は穏やかな気持ちで歩いていた。

 こうしていると、二人は普通の女子高生に見える。

 どこにでもいる普通の、と言うには二人とも、目立ちすぎる。

 とは言え、この二人を見てエージェントだと見抜ける人間はそうそういないだろう。

 良く言えば日常に溶け込む偽装に長けている、という事になる。

 彼女たちの裏の顔も良く知り、普段から行動を共にしている龍二から見れば、危うい部分もちらりほらりと見受けられるのだが、些細な事だ。

 彼女たちのおかげで、龍二はこうして穏やかに過ごす事ができているのだから。

「私はここで」

 夕飯について結論が出ると同時に、深月が龍二にそう声を掛ける。これも、いつもの事だ。

「うん。今日もありがとう」

 何度不要と言われても繰り返す恒例のお礼に、深月は困ったような笑みを浮かべて頷く。

 任務だからお礼はいらない、という理論で納得してくれない龍二にもどかしさを感じるが、それは決して嫌な響きの言葉ではなかった。

 むしろ、心地良く聞こえる。

「寄り道をせず戻りなさいよ」

「ラジャー」

 一転して厳しい視線と言葉を贈られたうてなは、これ以上ないほどに満面の笑みを浮かべて親指を立てる。

 もはや挑発しているのではないかと、龍二が心配するほどだ。

 いい加減慣れている深月は、小さなため息を吐く労力すら惜しみ、龍二に再び視線を戻す。

「それじゃあ、気をつけて」

「久良屋さんも」

 変わらない龍二の呼び方に深月は目を閉じ、そして僅かに顎を引いて、手を振りながら路地を曲がった。

 その先には、深月とうてなが作戦基地として使用している一軒家がある。

 ここから安藤家まで龍二を送り届けるのは、もっぱらうてなの担当だった。

「よし、少し遠回りをしよう。この時間なら美味しいコロッケがジャストで店頭に並ぶ」

「却下だよ。なんで言われたばっかりなのにそうなるのさ」

 釘を刺された事などなかったかのようなうてなの提案を、龍二は即答で切り捨てた。

 隙あらば寄り道と買い食いをしようとするうてなを諫めるのも、慣れたものだった。

「できたてだよ? 絶対美味いよ? 食べたいでしょ?」

「そりゃあ興味はあるけど、また今度でいいだろ。今日は中華まんで満足しておきなよ」

 数にして八種類もの中華まんを食べたばかりとは思えない言動に、さすがの龍二も呆れてしまう。

「最近のトレンドはたくさん食べる系女子らしいよ?」

「知らないよ。っていうかなに、モテたいの?」

「いや別に」

「ならその話題、出す必要あった?」

「説得されてくれるかと思って」

「帰る」

 本人もダメだろうなと思ってはいたのか、断固たる態度で歩き出す龍二に、うてなも観念して並ぶ。

 提案するだけならタダだ、とでも思っていたのだろう。

 護衛対象である龍二が帰ると歩き出してしまえば、警護役のうてなはついて行くしかないのだ。

 どうしても食べたい場合でなければ、そうする事で解決すると龍二は学んでいた。

 うてながその気になっている場合は、なすすべなく引きずられて行くだけだというのが情けないところではあるが。

 深月と別れてから歩くこと五分、二人は無事安藤家に到着した。

「あれ、誰も帰ってないのかな」

 もうじき日が暮れるという頃合いにも関わらず、安藤家に電気は灯っていなかった。

 いつもなら少なくとも安藤家の母親である静恵がいるのだが、今日は違うようだ。

 姉でもある安藤奏も、まだ帰宅していないのだろう。

「たまにはあるでしょ」

 うてなの気楽な言葉に、龍二も頷く。珍しい事ではあるが、これまでにも何度かはあった。

 おそらく今回も、父親である安藤聡の下へ静恵が届け物かなにかで出向いているのだろう。

「待てよ。この流れならコロッケを買いに行くという選択肢も」

「それじゃあまた。一応気をつけて帰ってね。それとありがとう」

 パチンと指を鳴らすうてなに構わず、龍二は矢継ぎ早に別れの挨拶を済ませ、自宅の鍵を取り出す。

「はいはい。それじゃあね」

 素っ気なさすぎる龍二の態度に嫌な顔はせず、うてなは軽く手を振って踵を返す。

 振り返る事無く遠ざかるその背中を、龍二は苦笑して見送る。

 とりあえず要望だけは出しておくといううてなの強引さは、不思議な事にどこか居心地が良いと思えてしまう。

 強さと言うのは語弊があるが、少しだけその強引さが羨ましい。

 本人に面と向かって言うつもりはないが、それは紛れもない本心だった。

「ただいま」

 誰もいないとわかっていながら、龍二はそう言って家に入る。

 自動で点灯した玄関の明かりが、龍二を出迎えた。

 薄暗く、静まり返った家の空気は、すっかり冷え切っていた。

 いつもはその空気を、静恵や奏が暖めてくれているのだと改めて理解する。

 リビングの電気をつけた龍二は、そのまま椅子に腰かける。

 二人とも、じき帰ってくるはずだ。

 せっかくなのだから出迎えられるように、リビングで勉強をしながら待つ事にしようと考え、勉強道具を取り出す。

 ふと思い当たり、普段は使わない暖房を入れる。

 自分一人であればあまり気にならないが、この時間に外から帰ってくるのなら、部屋は暖かい方がいいはずだ。

 いつも帰る家は、暖かい。

 奏や静恵がそうしてくれているのだ。

「それにしても、静かだな」

 一人きりの広すぎる家は、こんなにも静かなのかと、龍二は少し驚く。

 部屋を暖めるエアコンの作動音も静かなはずなのに、やけに良く聞こえる。

 その静けさは、孤独と一緒に流れてくるようだった。

「そっか、これが一人ってことか」

 龍二はそう呟き、手の中でペンを弄ぶ。

 そんな風に感じるのは、居候としてこの家に来てから初めてだった。

 当たり前のように享受していたが、それはとても幸せな事だったのだろう。

 居候としてやって来たその日から、孤独なんて言葉を連想する必要のない空気に包まれていた。

 安藤家の人たちは、龍二を家族として受け入れてくれていたのだ。

 それがどれほど自分の救いになっていたのかを、龍二は改めて思い知る。

「彼女は……」

 脳裏に浮かんだのは、殺風景な部屋。

 この瞬間に思い出してしまったのは、仕方のない事だった。

 龍二は小さく頭を振り、息を吐く。

 奏や静恵から連絡がきていないだろうかと、携帯を見る。

 こちらから連絡してみようかとも思ったが、やめておいた。

 なんだかそれは、自分の寂しさを告白するようなものに感じてしまったからだ。

 二人が早く帰ってくる事を望みながら、龍二はノートに向かった。

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