第2章 第4話 デンジャラス・マジシャン・ガール その5

 静けさを取り戻した廃園に佇むうてなは、まだその身に魔力を纏っていた。

 勝敗は決した。

 だが、ヒジリはまだ、生きている。

 魔力の気配は尽き、銀色だった髪も痩せ細って白く成り果てているが、命は辛うじて繋ぎ止めていた。

 起き上がろうと腕を動かすが、そんな力も残されていない。

 無理だと悟ったヒジリは、身体を横に転がし、仰向けになる。

 見下ろすうてなの目に映ったのは、どこか満足げな微笑を浮かべた少女の顔だ。生々しさを残す血の涙で飾られてはいるが、魔力と共に憑き物が落ちたかのようだった。

 うてなはヒジリを一瞥すると、腰のポーチから携帯端末を取り出す。操作しようとして壊れている事に気づき、軽く舌打ちをした。

「仕方ない……龍二、ちょっと来て」

 視線はヒジリに向けたまま、うてなは龍二を呼び寄せる。

 やや警戒しながらも、龍二はすぐに駆け寄ってきた。

「ちょっと左腕出して」

「え? なに?」

「いいから」

 強引に龍二の腕を取り、その手首から腕時計を引きちぎる。

「ちょ! え、えぇ? いいの?」

 突然の暴挙に龍二はうろたえるが、うてなは平然と言い放つ。

「仕方ないでしょ。携帯壊れてて連絡できないし。こうすれば緊急アラームが本部にも届くから」

「……あ、その手があったか」

 深月のために応援を呼ぼうとして浮かばなかったアイディアに、龍二は思わず手を打った。が、すぐに気づく。

「引きちぎる必要はなかったんじゃ……」

「……久良屋を助けるときに壊れたってことで。いい?」

「……わかった」

 無駄に壊したと知られたらあとが面倒だと思ったのだろう。強い視線で睨み付けられた龍二は、素直に頷くしかなかった。これで共犯である。

「それじゃ、あっちで久良屋についててやって。私はこいつ、見張ってるから」

「わかった。えっと、気を付けて」

 誰に言っているんだとぞんざいに手を振り、龍二が戻っていく姿を見送る。

 小さく掠れた笑い声が漏れ出したのは、その直後だった。

 足元から聞こえてくるそれは、ヒジリの唇から漏れている。

「まだ元気、残ってるんだ」

 うてなは努めて平静を装いながら、近場に転がっていた丁度いい瓦礫に腰かける。

 まだ戦闘態勢を解いてはいないが、ヒジリにそんな力が残されていないのは明らかだった。

 彼女がそこに倒れてからそう時間は経っていないが、全身から流れ出した血が絶望的なほどに地面を染め上げている。

 話すだけで、精一杯だろう。

「なんか言い残すこと、ある?」

 自分に課せられた最後の義務だと、うてなは思う。

 救援が駆け付けるまで、おそらく数分。それまでヒジリの命がもつとは、思えない。

 仮に手当てが間に合ったとしても、無理だろう。

 彼女が扱った魔術の規模や魔力の量は、とても一人の魔術師が扱えるものではなかった。

 それだけの無茶をした反動は、戦いの最中にも表れていた。

 そしてなにより、目の前で見ていればわかる。

 彼女にはもう、ひと欠片ほどの命しか残されてはいない。

 彼女がそのひと欠片を使ってなにを残すのか。

 うてなはそれを見届けるつもりだった。

「おまえさえ……いなければ良かったのに……」

 焦点の合わない視線は、ぼんやりと浮かぶ月に注がれていた。

 ヒジリは唇の端を血で染めながら、呟く。

「そうすれば、魔術師は絶望せずにいられた……たとえ斜陽であろうとも、ひっそりと穏やかにすごせていたのに……おまえが、奪ったんだ……神無城、うてな」

「あんたたちからしたら、そうなんだろうね」

「それ以外に、なにがある……おまえが、殺したんだ……みんな……みんな……」

 もう会えない誰かを想うヒジリの声に、うてなは唇を噛む。その気持ちは、うてな自身にもあるものだ。

 けれど、気持ちはわかる、などとは言えなかった。どう取り繕おうとも、うてなは奪った側の人間なのだから。

「わたしは、もう死ぬ……おまえが、殺すんだ……」

「……そう、だろうね」

 否定したくなる感情を握り締め、うてなは空を見上げる。

 ヒジリの命が尽きる寸前なのは全て、彼女自身がその身に余る魔術を行使し続けた結果だ。うてなが与えたダメージなど、微々たるものでしかない。

 そんなことはヒジリも理解している。それでも、お前に殺されたのだと呪いを吐く。

「なぜ、来た……どうして、奪った……どうして……どう、して……」

「……別に、来たくて来たわけじゃない。事故、みたいなもんだよ」

「……ふざけた、はなしだ」

「私も、そう思う」

 僅かに頬を緩めるヒジリに、うてなも苦笑して答える。

「でも、そうだね……侵略って言われても、当然だと思う。少なくとも私がいた世界は、こっちの世界を犠牲にしても構わないと思ってたし。だって、そうでしょ?」

「……あぁ、そうだろうな。並行世界、などと……質の悪い、じょうだんだ……」

 深く息を吐いたヒジリは、苦しげに咳込む。血の混じった吐息は、いよいよ浅くなっていた。

 その横顔を眺めたまま、うてなは片手で顔を覆う。

「まさか、並行世界の魔法使いに世界の魔力を全て奪われるなんて……そんなの、どうしろって言うのよ」

 彼女が言う通り、質の悪い冗談であれば良かったとつくづく思う。

 だが、全ては起こってしまったのだ。

 神無城うてなはこの世界にただ一人迷い込み、それと同時に、世界に満ちていた魔力は残さず消えた。

 うてなの世界で行われた、天体級魔法の魔力源として、根こそぎ吸い尽くされたのだ。

 ヒジリたちが行う魔術の大部分は、この世界――星の大気に満ちる魔力を利用したものが基本となっている。個人の魔力とは性質が異なるそれは、星の生命そのものとも言える。魔術で使用して減少したとしても、時間と共にまた回復するものだ。

 星の魔力は膨大で、世界中の魔術師が同時に魔術を使おうとも問題などない。本来、枯渇することなどありえないのだ。

 そのありえない事が、起こってしまった。

 枯渇した魔力は、戻らない。

 魔力を奪い尽くされた瞬間、この世界の魔術師たちは培ってきた過去と未来を奪われたのだ。

 その絶望は、いかほどのものか。

 生涯を捧げるべきものを理不尽に失い、全てが無価値となってしまった。

「本当に……最悪……おまえは、悪魔だ」

「うん」

 ヒジリたち魔術師に恨まれるのは当然だと、うてなも思う。

 多くの魔術師は、その事件の直後に命を絶ったという。

 残された魔術師たちは、絶望して隠居するか、別の道を探して生きるか。

 そしていくらかの魔術師は、それでも抗おうとした。

 世界にはなくとも、己の体内には魔力がある。それまでに比べれば微々たるものではあるが、確かにあるのだと。

 ヒジリの家系も、その一つ。

 あの日から、およそ十年の月日が経つ。

「あんたの魔術も、十分悪魔的だと思うけどね」

「……わかる?」

「なんとなく……残りの魔術師は全部、糧になったってとこでしょ」

「……あぁ、そうだ。行きついた先は蟲毒……地獄そのものだった」

 予想通りの言葉に、うてなは目を閉じる。

 どのような術式を使ったのかはわからないが、方法はわかる。

 魔術師同士で殺し合い、魔力を奪い合い、最後の一人が全員の魔力と生命力を得る。

 ヒジリがその身に宿していた魔力は、数十という魔術師の生命と怨念そのものだ。

「みんな、死んでいった……殺した……泣いて、わめいて、怒鳴って、笑って……」

 ヒジリは掠れた声を漏らし、一筋の涙を流す。

 彼女はただ一人、地獄を生き延びてきたのだ。

 うてなを殺す、そのために。

 理不尽に奪っていった侵略者に、一矢報いるために。

「おまえの、せいなんだ……みんな、死んで……」

「……うん」

「……もっと、死ぬ……これからも、ずっと……いつか、この星すら……おまえたちが、殺すんだ」

「……神殺しは、家業でね」

 自嘲するように、うてなは言った。

「私は……神薙かみなぎの巫女……神薙うてなかみなぎのうてな……神を薙ぎ払う一族の、末裔だから」

 そう言ってうてなは、力のない微笑を浮かべる。

 視線だけを向けたヒジリは、うてなの言葉にほんの僅か、目を見開く。

「……なる、ほど……どうりで、眩しいわけだ……」

 穏やかにすら感じられる呟きに、もう生命の息吹は感じられない。

 その時が、近づいていた。

「……もう、どうでもいいか……おわり、だし……」

 闇から解放されていくように、全身から生気が抜けていく。

「せかい、なんて……どうなっても、いい……わたし、がんばったし……」

 ヒジリは月を見上げたまま、見えない誰かに語り掛ける。

「……あぁ、うん……やっと、かえれる……」

 とても優しく、抱き締めるような声だった。

「おわったよ……かなう……」

 そう、愛おしげに囁いて、双城聖そうじょうひじりは悪夢から解放された。

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