第1章 第1話 元カノ その4
「状況は?」
龍二とほぼ同時に帰宅した深月は、リビングに入りながら、先に戻っていた人物に問いかける。
「いや、なんも変わってないけど。あいつなら間抜けな顔で母親と話してる最中」
「そう」
壁一面を埋め尽くすモニターを見上げ、深月は鞄をソファに放り投げる。
モニターの下には様々な機材が設置されていた。一般家庭にはまず存在しないであろう機材の数々は、安藤家を始めとする龍二の活動範囲を監視するためのものだ。
機材を操作するためのデスクに向かって座っているのは、昨夜、深月と共に龍二を救出した少女だ。
長い髪を結い上げている少女の名は、
「それで、相手はどうだった?」
「ぜんぜん。あれは多分、事情も知らずに雇われたってとこじゃないかな」
「やはり、こちらの戦力を測っていると見て間違いなさそうね」
「だろうね。そっちが学校生活楽しんでる間に一回、寄り道中に二回。で、さっきの道路で一回」
「一日で四回、か」
気楽なうてなとは違い、深月は神妙な顔で頷く。
「今夜は徹夜ね」
「……うん? それって、私が?」
「当然でしょう? 私は校内での護衛があるんだから。あなたはその間、休めるから問題ないでしょう?」
「いやいや、なんで二人でやる前提で話進めてんのって話。援護は? 助っ人は?」
それまでのどこか他人事のようだった態度を一変させ、うてなは深月に食って掛かる。
「少なくとも、今夜は無理でしょうね」
「でしょうね、じゃなくて! なんとかなんないの? 私、徹夜とか苦手」
「報酬分は働きなさい」
「徹夜は残業扱い?」
「聞いたことないわね」
「ブラック!」
お前が悪だと断じるように、びしりと深月に指を突きつける。
「知らないわよ。文句があるなら、直接掛け合いなさい」
話し合う余地はないと言いたげに背を向け、深月は制服のリボンとボタンを外しながらリビングを出る。
「ちょっと! まだ終わってない!」
「シャワーを浴びたら、夕飯にしましょう」
「そんなの……後回しにはできないけども! あとできっちり聞いて貰うからね!」
やたらと通りの良いうてなの声に手を振り、深月は浴室へと向かった。
日用品の類は、以前の住人が使っていたものがそのまま残っている。
護衛に回せる人員はいないが、それ以外の必要な機材などは日中のうちに運び込まれているようだ。
今朝までここに住んでいた一家は、父親の栄転により即日引っ越している。
突然すぎる話に当然疑問はあっただろうが、家財一式を残してでも問題ないほどの栄転ならば違っただろう。
さすがに力技としか言いようのない拠点確保だが、この場所が最善だった。
近隣への説明など、多少の問題は残っているものの、それも深刻に考える必要はないだろう。
任務は長引いても数日。大元を叩いて安藤龍二の安全が確保されれば、あとは撤収するだけだ。妙な噂の一つくらい立ったところで、気にする必要もない。
そんなものは、時間と共に風化する。
「無事に終われば、だけど」
張りつめていた感情を緩め、深く息を吐く。
洗面台の鏡に映った表情は、いつも通り。
そこに作り笑いはなく、疲れも見て取れない。
普段と寸分変わらない自分の顔があるだけだ。
「…………」
自分の視線から目を逸らし、手早く制服を脱ぎ捨てる。腰に隠してあった小型ナイフを固定用のベルトごと外し、洗面台の上に置く。耳に装着していた通信機も外し、ナイフと並べて置く。
そう言えば、と思い出してスカートのポケットから携帯端末を取り出す。
特に連絡事項はないのを確かめ、それも並べて置く。
色気のない質素な下着も脱ぎ、制服と一緒に洗濯機へと放り込む。
もう一度鏡に視線を向け、色のない表情を確かめ、浴室へと入る。
少し熱めのシャワーを頭から浴び、深月は静かに目を閉じた。
「ちょっ、なんて格好してんの? 服くらい着なよ」
タオルを身体に巻いたまま戻って来た深月に、うてなは呆れる。
「髪もちゃんと乾かしてないし……身嗜み、大事にしたら?」
「今はあなたと二人だけだから、問題ないでしょう」
「それはそうだけど……」
なんだかなぁ、と冷えたミルクティーを手に取り、うてなはモニターの監視を続ける。
深月はさして気にした様子もなく、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して口をつける。そのままうてなの隣に並び、同じくモニターに視線を向ける。
安藤家のリビングが映し出されたモニターの中では、龍二と奏、そして静恵が夕飯の用意をしながら団欒しているところだった。
「父親は?」
「えっとね……今日も戻らないみたい。研究者って、バカみたいに忙しそう」
「あなたも少しはその勤勉さを見習うべきかもしれないわね」
「これ以上働くとか、割に合わないから、ホント」
うてなはこれ見よがしにため息を吐き、椅子の背もたれに身体を預ける。
「あー、美味しそう……ねぇ、夕飯ってどうなってるの?」
「常温保存で食べられる作戦行動用の物があるわ」
「は? 嘘でしょ?」
「幸いにもレンジがあるわね。おかげで温かい食事が出来るわ」
「信じらんない……正気なの、本部のやつら」
「作戦行動中なら普通のことよ。現地調達の必要もなく、風雨をしのげる場所があるだけいいでしょう?」
「ここ、未開のジャングルじゃないし。どこか食べに行く……は無理でも、出前なりコンビニなりあるでしょ?」
「栄養補給ができればいいのだから、構わないでしょう。いえ、補給という意味では通常の食事より上等な部類ね」
「味の保証は?」
「言ったでしょう。補給ができれば構わないって」
「それ、期待できないってこと? 最悪……マジかぁ」
食事に対する温度差に、うてなは天井を見上げて嘆く。その緊張感のない姿は、エージェントとして資質を疑われそうなほどだ。
食事の件など意に介さない深月だが、任務に対する温度差に関しては違ってくる。
「あなた、こういった任務は初めてだったわね」
「もしかして説教? やめてよ。久良屋と同じ基準にされたら、誰もかないっこないんだから」
「私を基準にするかどうかではなく、純粋にあなたの意識を問題視しているの」
ペットボトルを置いた机に腰かけ、真剣な眼差しでモニターに映る龍二を見る。
「彼の生命に関わる任務だという事、忘れないで」
生命の問題を持ち出されては軽口も叩けず、うてなは唇を尖らせて唸る。
「普通に考えれば、二人でこなせるような任務ではないわ。けど、あなたがパートナーであれば不可能ではない。本部の判断を私も妥当だと判断した」
「過大評価。正直、あんまり嬉しくない」
照れ隠しなどではなく、うてなの言葉に偽りはない。
「でも、あなたがいれば彼を守りきれる。彼の、命を」
「どこまで知ってるか知らないけど、私は久良屋たちとは違うよ? 正式に所属してるわけじゃないし」
「今は私のパートナーでしょう?」
「初めて顔合わせてから、まだ片手で足りるくらいしか会ってないけどね」
「回数の問題ではないわ。信頼しているか、していないかよ」
「居候も同然の私を信じるの?」
「でなければ、ここにはいないわ」
「……はいはい」
そこまで言われてなお照れずにいられるほど、うてなは無感情ではなかった。
降参の合図を両手で示し、深月に笑いかける。
「わかったわよ。ちゃんとやりますとも。えぇ、そりゃーもう」
「頼りにしているわ」
うてなの笑みに対し、深月も同様に笑みを返す。
「とりあえず、食事については慣れる事ね。エージェントとして任務をこなすのなら、避けては通れない問題よ」
「そうだった!」
僅かに強張っていた部屋の空気を、うてなの声が一瞬にして打ち砕く。
「確か、帰り道にコンビニが……あった! 走れば二分で行ける距離! とりあえず私、ここで夕飯とお菓子と夜食買ってくるから!」
「あなたね……」
「これは譲れないから! いいでしょ? ほら、重要な護衛対象君は幸せ且つ安全そうに団欒してるわけだし。十分くらいなら久良屋一人でフォローできるでしょ?」
鼻息を荒げて捲し立てるうてなを、深月はただジッと見据える。
「ねっ? ただでさえ面倒くさい任務なんだから、気楽に食事できる時くらいまともな物食べようよ?」
「どうしてそこまでこだわるのか、理解に苦しむわ」
「久良屋が無頓着すぎるだけ! って言うか、思い出した! そうだ! 久良屋はお昼、あいつのお弁当分けて貰ってたじゃん! あの間、私がどうしてたか知ってる? これ、これをポリポリどこぞの屋上で食べてたんだからね!」
そう言って取り出したのは、手のひらに収まる銀色の袋。中に入っているのは、エネルギー補給のみを追求した携帯食料だ。
「この味気ないものだけで空腹を凌いで監視してた私を、少しは尊重してくれてもいいと思うの」
これで優勢になったと確信するうてなは、得意げに鼻を鳴らす。
「でもあなた、モールで監視中にちょくちょく買い食いしていたでしょう?」
「えっ、なんで知ってるの?」
元来の性格か、誤魔化す素振りを一切見せず、うてなは動揺する。
「あなた、購入する際に電子マネーを使っていたでしょう? その都度、私の端末に連絡が入るのよ」
「き、聞いてない!」
「いま言ったわ」
「プライバシーの侵害だ!」
「それが? あなたが使用した電子マネーの請求がどこに行くのか、知らないとは言わせないわよ?」
「あっ、うっ……」
冷ややかな深月の視線に、うてなは黙り込む。
「和菓子屋、クレープ屋……おにぎりの専門店もあったわね。それとカフェ」
携帯端末を眺めながら、うてなの行動を淡々と読み上げる。
「パン屋では残念だったわね。電子マネーで購入できなくて」
「なんでそこまでわかるの?」
「研究所特製の人工知能がどれほど優秀か、あなた自身もわかっているでしょう?」
「あぁー! あの裏切り者めぇ」
うてなは両手で頭を抱え、髪を掻きむしる。自前の財布を持ってくればよかったと後悔する。
「と言うか、改めて考えると夕食の必要性を疑うわね。あなた、太るわよ?」
「はい残念! 燃費の悪さには自信があるので。太れるものなら太りたいくらい、そういう悩みとは縁がありませーん」
もはや開き直ったうてなは、手足を投げ出して椅子をクルクルと回す。
「たとえ事実だとしても、発言には気を付けたほうがいいわね。あなたは今、数多の女性を敵に回すような発言をしたわよ?」
「あ、もしかして久良屋って太るタイプ?」
「ただの一般論を述べたにすぎないわ」
「……あっそ」
踏み込んで茶化してやろうとしたうてなだが、あまりにも無感情な深月の目を見て思いとどまる。瞳の奥から、暗い感情が顔を覗かせていた。
「ま、まぁ、とにかくよ。いざって時に力が出なきゃ困るでしょ? 私の情報を知ってるなら、わかるでしょ?」
「だから、栄養補給という点では問題ないと言っているの」
「だーかーら! 身体だけじゃなくて心の栄養も補給しましょうって話! こんな面倒極まりない任務やらされた挙句、味気ない食事ばっかりなんて論外。真剣にやれって言うならさ、少しは譲歩してくれてもいいでしょ」
うてなはぐったりと机に突っ伏し、腕を組んでいる深月を見上げる。
「ねー、いいでしょー?」
頬を膨らませるうてなから視線を外し、モニターと時計を見比べる。思案するその横顔を見て、あとひと押しだと判断したうてなは勢いよく上体を起こす。
「あとそう! 今日の護衛! 少しは労ってくれてもいいハズ!」
「まだ初日を終えてすらいないのに、なにを労えと?」
「ことあるごとにフォローしてあげてたじゃん。色々調べながらアドバイスするの、結構大変なんだから」
「あぁ、そう言えばまだ言ってなかったわね。あなたのアドバイス、悉く見当違いだったみたいよ?」
「え、うそ?」
「彼や逢沢くのりの反応を見る限り、一般的とは言えなかったようね。どういう調べ方をしたのか、ぜひ教えて欲しいものだわ」
「おっかしいなぁ。漫画とか参考にしてたのに」
「……どうりで」
うてながアドバイスの参考にしたものがなんであるかを理解し、眉間を指で解す。
「一応、端末の人工知能君にも相談してたんだから、文句があるならそっちにも言うべきだと思うなー」
「そうね。開発部に苦情を入れておくわ」
彼女たちの携帯端末には、任務の補助を務める人工知能が備わっている。まだ開発段階の試作品なので、多少の不備は仕方がない。
この場合、人工知能とうてなという組み合わせが悪すぎたとも言える。
「そうだ、盗聴の問題! これが一番きつかったんだけど」
「常に状況を把握するためには仕方がないでしょう。そこは我慢して」
「そうは言うけどね? あのね? 男子トイレの中の環境音を聞かされた私の身にも……いや、耳にもなって欲しいのよ」
思い出しただけで顔をしかめるうてなに、さすがの深月も頷く。
「だからそこを労って! 男子トイレの環境音で辱められた私の耳を慰めると思って!」
ここで決めるとばかりに、うてなは畳みかける。
「想像できる? カチャカチャベルトを緩める音とか、何かが出て便器に当たる音とか、気持ち良さそうに漏れる吐息とか!」
机にバンと手を突き、身を乗り出してうてなは熱弁する。
「そういうのがこう、イヤホンからしっかりはっきり聞こえてくるの! 開発部ご自慢らしいけど、集音性が良すぎて困ってるの!」
「それは災難ね」
「でしょ?」
「でも任務だから我慢して」
「するわよ! してやりますとも! だからお願い! ご飯は美味しく食べさせて!」
そう言えばそういう話だったかと思い出した深月は、額に手を当て、疲れたようにため息を吐く。
「……わかったわ。寄り道せず戻りなさい」
「よし決まり! 話がわかるいいパートナー!」
今日一番の笑顔を浮かべたうてなは、すぐさま立ち上がる。
「待って」
「なに? あ、お弁当のリクエスト? だったらあっちに着いてから電話するから」
「そうじゃなくて……いえ、それもお願いするわ」
興味がないように見えた深月も、選択肢があるのならそれなりにまともな食事を希望するようだ。
「行くのなら、少し待って」
「えぇ? 早く行かないと選択肢が減っちゃうんですけど?」
「あなたがいない間、私が監視するんだから。せめて着替えさせて」
「…………さっさとしてね」
今更かよ、と出掛かった言葉を呑み込み、うてなは壁にもたれ掛かった。
いつも通りの団欒を終え、龍二は二階にある自室へと戻っていた。
ベッドの上に四肢を投げ出すように寝転がり、ようやくひと息つけると、天井をぼんやり眺め、今日一日の出来事を思い返す。
今朝は目が覚めた瞬間から、それは始まっていた。
胸を針で刺すような痛みと、酷い鈍痛の中で思い出した、非現実的な昨夜の出来事。
「あの酷い目覚め方は、薬の効果って言ってたっけ」
昼休みに倉庫で聞いた話を思い返しながら、胸元に手を当てる。昨夜、気を失う直前にダーツ状のものをそこに撃ち込まれた。
「ホント、冗談みたいな話だ」
目を閉じて、深呼吸をする。
昨夜の事を思い返すだけで、心拍数が上がっていく。
わけもわからず拘束され、銃を突き付けられた。頭部に押し当てられたあの無機質で硬い感触は、しばらく忘れられそうにない。
それが余計に強く、明確に思い出させる
昨日の誘拐は間違いではない事。
それはつまり、自身が何者かに狙われているという事に他ならない。
彼女――久良屋深月という少女は、龍二を守るために派遣されてきたエージェントだと言った。
「警備会社……は違うよなぁ」
謎の集団に誘拐された龍二を救出に来てくれた彼女たちは、警察組織とは違うように思えた。
聞き忘れていたが、警察に協力を求める様子がないのも、何か事情があるのだろう。
「でも、税金がどうのって……うーん、わかんないなぁ」
彼女に関する情報が少なすぎて、推測する事すら困難だと改めて気づく。
いくつか質問はしてみたが、返ってくる答えはお決まりの『知る必要はない』だった。
フィクションの中でしか聞きそうにない単語を、何度聞いただろうか?
同年代にしか見えない少女が、自分を守りに来たエージェントだと言う。
そんな冗談みたいな状況のせいで、どうしても現実味が薄い。
誘拐されて感じた恐怖は確かなものだった。
だからと言って、容易に受け入れられるような話でもない。
心当たりもなければ、思い当たる節もない。
ただの学生である自分が、なぜか妙な事件の中心にいる。
「素人相手の冗談……なわけもないしなぁ」
そういった類のテレビ番組か何かであれば、むしろ歓迎したいとさえ思う。こんな非現実的な状況におかれるよりは、はるかにマシだろう。
寝転がったまま手をかざしてみる。縛られていた手首の痣は、ほぼ消えかかっていた。
状況について考えても仕方がないと、龍二は別の方向へ思考を向ける。
「久良屋深月……」
自分を助けに来てくれた少女の名前を呟く。どことなく、不思議な響きがある。
昨夜、窓を蹴破ってきた少女ではなく、入り口からタイミングを合わせて突入して来たのが彼女だった。
窓から突入してきた少女の動きに圧倒されすぎて、深月がどのように男たちを打ち倒したのかは見ていない。
だが、不意打ちとは言え、銃を所持した複数の男を一人で倒したのは事実。
それだけの能力があるというのは、間違いない。
そんな常人離れした少女が、突然転校してきた。
なんの冗談なのか、彼の元カノを名乗り。
守りやすくするための設定だと言っていたが、龍二にしてみればいい迷惑だ。
今更撤回できる設定ではないが、なんとかしてなかった事にしたいというのが、龍二の本音だった。
わからない事が多すぎて、わかるところから考えようとすると、どうしてもそこが気になってしまう。
彼にとってはくのりとの関係こそが、目下重要な事柄なのだ。
「ん? メッセージ……あ」
龍二が彼女に想いを馳せていると、タイミング良く携帯のメッセージアプリから通知が届いた。
差出人は逢沢くのり。
仰向けのまま携帯を操作し、メッセージの内容を確認する。
毎晩とは言わないが、こうしてくのりとやり取りをするのは珍しくはない。時には直接電話で話す事もある程度には、親しい間柄だ。
話す内容は学校での出来事や、宿題の愚痴など、他愛のないものばかり。
最近は奏へのプレゼントと、夏休み明けにある文化祭の出し物についてなど。
危なげのない平和な内容だが、彼らにとっては特別でもあった。
何気ないただのやり取りに、気持ちが明るくもなり、時には沈む。
くのりが何かで落ち込んでいれば、何時間でもそれに付き合ってやり取りをしていられる。
苦痛に感じる事などない。
龍二にとっては、彼女とのやり取りがそれほどまでに特別なものになっていた。
だからこそ、こんな時に彼女からメッセージが届けば心は踊る……はずだった。
「勘弁してよ……」
今日一日を振り返れば、逢沢くのりとの間で話題になる事柄は一つしかない。いや、他にもあるにはあるが、まずその選択肢をくのりは選ばないだろう。
そんな事は龍二もわかっていたはずだが、出来ればそうでない事を祈っていた。
こんな時くらいしかあてにしない、どこかの神様に。
「詳しくって言われてもさぁ。僕が知りたいよ」
簡潔にまとめられたくのりからのメッセージに、龍二は再び両手をベッドに投げ出す。
『元カノについて、詳しく』
これ以上にないくらいの直球である。名前ではなく、元カノと書かれている点が文面に込められた鋭さを増していた。
いつものように当たり障りのない前座の会話など一切なく、心臓めがけて思いきり撃ち込まれた、さながら弾丸だった。
どう返すのが正解なのか、皆目見当もつかない。
龍二がメッセージを確認してしまった事は、すでにくのりにも伝わっている。眠っていて気付かなかったよ、などと問題を持ち越せる状況ではすでにない。
単純に否定すればいいのか?
それも無理だろうと、龍二は頭を抱える。無理というよりは、考えうる最悪の返答ではないかとすら思う。
かと言って無視などしようものなら、明日の学業に深刻な影響を与える。これは間違いのない事だ。
「この状況を無傷で打開できたら、僕もエージェントになれそうだなぁ」
それほどまでにこの問題は、龍二にとって難関だった。
とりあえず、後日改めて説明するという先延ばしの方向でくのりに返信する。
そしてすぐにメッセージアプリの通知をオフにし、現実から目を逸らす事を選んだ。
メッセージを認識さえしなければ、届いていないのと一緒だと、龍二は自分自身に言い聞かせる。
龍二はもう一度大きくため息を吐き、ベッドから起き上がる。
メッセージアプリには触れないようにしつつ、携帯をインターネットにつないで検索し始める。
「エージェント……女子高生……」
こんなもので何がわかるのかと、冷静であったなら思っただろう。
だが、今の龍二は、少しでもくのりとの問題から目を逸らしたいと思っていた。
そのための手段として、もう一つの重大な問題に意識を注ぐ事にした。
当然、そんな検索の仕方で彼女たちの正体や組織に行き当たるわけもない。
検索にヒットするものはどれも漫画やアニメ、ゲームや映画、ドラマばかり。
中には龍二が好んで視聴している海外のドラマなどもあった。
「そういうものだって考えれば、しっくりは来るんだよな」
女子高生のエージェントなどというものは、フィクションの中でならいくらでも成立する設定だ。
わけもわからず誘拐される少年というのも、それでいけばアリだろう。
「でも、いざ自分がって言われても……」
特別な力を秘めているわけでもなければ、類まれな才能を持っているわけでもない。
そんな、本当にただのどこにでもいる男子高校生の自分が、どうして狙われるのか。
いっそ人違いだったと言われてしまったほうが、まだ救いがある。
「はぁ……どうすりゃいいんだろ」
ベッドに腰かけたまま、天井を仰ぐ。
そのまま背中から倒れ込み、上下が反転した窓が視界に入ってくる。
僅かに開いたカーテン、その窓の向こうに佇む人影に気づき、龍二は声を上げた。
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