第63話 群衆の恐怖

 部屋に入ると同時に視覚を飛ばして隣の部屋の様子を伺っていたが、悪徳司教は不機嫌さを主張するように乱暴に椅子に腰を下ろしていた。

 お付きの神官は扉の側で直立不動である。


「隣の部屋の様子はどう?」


「悪徳司教とお付きの神官が一人いるだけだ」


「もう一人の神官が戻ってくる前にやっちゃいましょう」


 ユリアーナと俺の会話を聞いていたロッテが提案した。


「気付かれないように悪徳司教一人を取り込むんですね? あたしが隣の部屋を訪ねて神官を廊下へ呼び出してみましょうか?」


「いや、二人一緒に取り込む」


 気付かれないように悪徳司教だけを錬金工房へ取り込むよりも二人一緒に取り込んだ方がどう考えても楽だ。

 二人とも取り込めば目撃者もいなくなる。


「なるほど、あのいけ好かない神官にも神罰を下すのね」


「うわー! 被害者拡大!」


「司教だけで十分だと思います」


 ユリアーナの言葉にロッテとオットー助祭が間髪容れずに反応する。

 あの高圧的な神官に腹を立てるのも分かるが、気軽に神罰を下すと神罰の価値が下がる気がするのは俺だけだろうか。


「悪徳司教だけに神罰を下す方が効果的だと思うぞ」


「そう?」


「そうでしょうか?」


「神罰は無闇に下さないことに賛成します」


「大勢が不幸になると一人一人が感じる不幸の度合いが下がるだろ? でも、自分一人だけが不幸になるともの凄く不幸になった気にならないか?」


「それは、まあ……」


「そういうものかもしれませんね……」


 釈然としないロッテとオットー助祭を一瞥すると、ユリアーナも不承不承といった様子で承諾した。


「まあ、たっくんがそう言うなら」


「決まりだ、取り込むぞ」


 隣室の悪徳司教と腰ぎんちゃくの神官を同時に錬金工房へと取り込む。

 

「意外だな」


 思わず言葉を漏らした俺に、ユリアーナとオットー助祭が聞く。


「どうしたの?」


「何か予想外の事でもありましたか?」


「悪徳司祭の光魔法が俺の考えていたよりも高位のものだったのでちょっと驚いただけです」


 ひととなりに問題はあるが司教までなった男だ。

 光魔法のレベルが高いのは当たり前か。


「そんなことよりもさっさと済ませましょう」


「了解だ」


 ユリアーナが差しだした神聖石の偽物と悪徳司教が持っていた本物とを交換する。

 続いて、光魔法を初めとした悪徳司教の所有する目ぼしいスキルを剥奪した。

 

「終了だ」


「ありがとう。さあ、あとは仕上げね」


 満面の笑みを浮かべるユリアーナに回収したばかりの神聖石を渡す。


「舞台も仕掛けも整ったからな」


 このあとの展開を想像して自然と笑いがこぼれた。


「シュラさん、意地の悪い顔になってますよ」


 そう注意したロッテの声もどこか弾んでいた。


 ◇


 悪徳司教一行が礼拝堂へ向かうのを確認した俺たちは、礼拝堂を見下ろせる二階の一室へと再び来ていた。

 壇上の神官が一歩進みでる。


「皆さん、お待たせいたしました。聖教教会が誇るルーマン司教が皆さんの眼前で奇跡の力を披露してくださいます!」


 礼拝堂に声が響き渡ると、集まった信者たちの間から歓声が上がる。

 なかには涙を流して悪徳司教を拝んでいる者までいた。


「凄い熱狂ぶりですね」


 信者たちの勢いに圧倒されたのだろう、窓から階下の礼拝堂を覗き込んでいたロッテがわずかに後退る。


 後ろに俺がいることに気付いていなかったようだ。

 ぶつかる寸前でロッテの肩を抱きとめて言う。


「いよいよ始まるぞ」


 悪徳司教が壇上に進みでると信者たちの熱狂ぶりに拍車がかかる。


「もう一度言います! 私の奇蹟の力は女神・ユリアーナ様から直接授かったもので、お言葉も賜りました」


 悪徳司教が一拍おいて続ける。


「ユリアーナ様はおっしゃいました。『この奇蹟の力を以って人々を救い、この世界を導け』と!」


 一際歓声が大きくなる。

 歓声で窓ガラスが震える。


「よっぽど教会の指導者になりたいようだな」


「世界とか言ってたから、宗教国家でも作りたいんじゃないの?」


「国王を狙っているのか……」


「想像以上に野心家ね」


 その野心に火をつけたのは神聖石。

 つまり、ユリアーナのミスと言うことになるが、そのことは指摘しないでおこう。


「奇蹟の力の恩恵を受ける最初の患者さんが壇上に上がりましたよ」


 ロッテの言葉に俺たちの視線が悪徳司教へと注がれる。

 オットー助祭とロッテの固唾を飲む音が聞こえる。


 礼拝堂も静寂が覆う。

 ルーマン司教の下へと歩を進める患者と付き添いの者の足音が聞えるほどだ。


「最初の患者さんはかなり酷い怪我のようですね」


 添え木をして包帯が巻かれていた患者の右側の肩から腕を見て、 オットー助祭が表情を曇らせた。


「オットー助祭様なら治せるんですよね?」


「ユリアーナ様に授かった治癒の力があるので治せると思います。いえ、大丈夫、治せます」


 不安そうなロッテの表情を見てオットー助祭が言い切った。


 人間が出来てるなー。

 俺やユリアーナとは大違いだ。 


「良かった。じゃあ、悪徳司教が失敗した後はオットー助祭様が信者の皆さんの治療をされるんですね」


「もちろんそのつもりです」


 チラリと視線を俺とユリアーナに走らせた。

 ユリアーナを見ると「どうするの?」とでも言いたげに俺を見ている。


「それこそすがる思いでここに来た重傷者や重病人を見捨てるわけにはいかないだろ。悪徳司教が退場した後は俺たちとオットー助祭は別行動にしよう」


「ありがとうございます」


「シュラさん、やっぱり優しいです」


 オットー助祭とロッテ。

 この二人から無垢な感謝の気持ちや尊敬の念を向けられるとどうも居心地が悪い。

 そのとき礼拝堂から切実な声が響く。


「父は大工なのですが、仕事中に足を踏み外して右肩と右腕を骨折してしまいました。どうか奇蹟の力で治療をお願いいたします」


 神官にうながされた付き添いの男が涙ながらに訴えると悪徳司教が鷹揚にうなずく。

 憎たらしいくらいに得意満面の顔である。


「心配はいりません。たちどころに治して差し上げましょう」


 悪徳司教が怪我人の肩に手をかざした。


 静かなどよめきが上がる。

 悪徳司教の顔がわずかに歪む。


「異変に気付いたかな?」


 歪んだ顔が蒼ざめだした。


「あの悪徳司教、固まったまま脂汗かいてますよ」


「この後どうするつもりかしら」


 何かを振り払うように、一瞬、目をつぶって首を振ると再び怪我人を見つめる。


 神聖石の力が使えないと分かって、自分が本来持っている光魔法に切り替えたか?

 残念だがお前の光魔法のスキルは既に剥奪済みだよ。


「混乱しているのが手に取るように分かるな」


 思わず口元に笑みが浮かばないようにするのも大変だ。


「信者たちがざわつきだしたわ」


「怪我人と付き添いの人、泣きそうですよ」


 礼拝堂に集まった人たちの間からざわめきが起こった。

 そして疑問と不安が言葉となってあちらこちらから上がる。


「どうしたんだ?」


「何にも起きないぞ」


 ざわつく信者たちと怪我人とを交互に観ながら司教が後退った。


「バカな、こんなはずはない……」


 悪徳司教の様子に不審感を抱いた者たちの声がさらに大きくなる。

 ざわめきが大きくなり不満の声が混じりだした。


「どうしたんだ? 奇跡の力を見せてくれるんじゃなかったのか!」


「何が、お偉い司教様だ!」


「本物の奇蹟の力はどうした!」


「ユリアーナ様から直接授かったんじゃなかったのかよ!」


「このインチキ司教!」


 不満が罵声に代わった。

 血の気の多い者たちが壇上へと向かいだす。


「暴動が起きたりしませんよね?」


「礼拝堂に向かいます!」


 いまにも暴動が起きそうな空気にロッテが震え、オットー助祭がそう言い残して脱兎のごとく部屋を飛び出した。


「ま、待て。こ、これは何かの間違いだ! そうだ、間違いだ!」

 

 信者たちから浴びせられる罵声と礼拝堂の異様な雰囲気に悪徳司教が怪我人に背を向けて逃げだそうとした。

 それが合図となって一部の信者が壇上に駆け上がる。


「た、助けてくれ! だ、誰か――」


 悲鳴を上げる悪徳司教が壇上に駆け上がった信者たちの群れに飲み込まれた。


「集団心理って怖いわね」


「やっておいて何だが、信者がここまで血の気が多いとは思わなかった」


「あ、オットー助祭」


 ロッテの言葉通り、騒然とする信者たちの前にオットー助祭が姿を現した


「皆さん、落ち着いてください! ルーマン司教に代わり私が皆さんの治療をします!」


 よく通る声が響き渡った。


「助祭様だ!」


「俺はあの助祭様に脚を治してもらったんだ! 本物の奇蹟の力を使われる助祭様だぞ!」


「あたしも知ってる! あの助祭様のお力は本物よ!」


 図らずも助祭コールが湧き上がる。


「あ、悪徳司教」


 ロッテが目聡く悪徳司教を見つけた。

 オットー助祭を称える信者たちからボロ雑巾のようになった悪徳司教が数人の神官たちによって救助されるところだった。


「悪徳司教が救助されるのに信者のうち何人が気付いたと思う?」


 クスクスと笑うユリアーナに言う。


「移動するぞ」


 俺たちは悪徳司教にとどめを刺すべく部屋を出た。

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