第62話 罠とは知らぬ少女たち

「いまの話をもう一度しなさい」


 階段を降り途中で男の高圧的な声が聞こえてきた。

 続いて聞こえたのは少女たちの怯えたような声。


「あの、他の見習い神官たちが話をされていたのを聞いただけです」


「決してルーマン司教を批判するつもりではありません……」


「怒っている訳でない。いま話をしていたことをルーマン司教がもう一度お聞きになりたいとおっしゃっているでけだ」


 俺はユリアーナたちに静かにするようジェスチャーで示して階段の途中で足を止めた。

 そして階下から聞こえてくる話し声に耳を澄ます。


 少女が「見習い神官の間で聞いたお話です」と前置きして話し出した。


「奇蹟の力をご披露されるなら、誰も見ていない個室ではなく大勢が見ている所でご披露なさればいいのに、って。そうすれば、信者も益々教会に信頼を寄せるんじゃないかと……」


「オットー助祭よりも優れたお力でしょうから、そのお力を目の当たりにする機会をより多くの信者の皆さんへお与えになるのがよろしいかと」


 最初に言葉を発した少女が口ごもるともう一人の少女がフォローする。


「くだらん」


「司教様に宣伝をしろというのか!」


 神官二人の呆れる言葉と少女たちを叱責する声が重なった。


「まあ、待ちなさい」


 悪徳司教が神官たちを制止しして言う。


「宣伝をするつもりはないが、私の力の一端を信者たちに知らしめるのは教会の今後にとっても利益となろう」


 オットー助祭よりも自分が上だと知らしめたい、という欲望が透けて見える。

 だが、狙い通りだ。


 ロッテが両手を握りしめ、目を輝かせて聞き耳を立て、ユリアーナが邪悪な笑みを浮かべる。

 オットー助祭は落胆したようなほっとしたような何とも複雑な表情だ。


 悪徳司教が俺たちの前では出したことがないような穏やかな口調で少女たちに言う。


「君たちの思いももっともだ。よく教えてくれたね」


 少女たちの安堵の声上げる。

 その傍らで困惑の声を漏らした神官に悪徳司教が言う。


「これは少し考えてみる余地があるのではないかな?」


「と申されますと?」


「彼女たちの言うように大勢の信者たちの前で治療を行ってもよいのではないか、と言っているのだ」


 と悪徳司教。


「順調!」


「自ら進んで断頭台に上っていくようですね」


 ささやくユリアーナとロッテに再び静かにするようジェスチャーで示す。


「しかし、いまらですと――」


 困惑する神官の言葉を遮って少女が声を上げた。


「礼拝堂でルーマン司教様が奇蹟の力を披露される準備を急ぎいたします――――」


 礼拝堂で悪徳司教が奇跡の力を披露するので治療の開始が少し遅れること、礼拝堂に集まった信者たちはそこに留まり奇蹟の力を目の当たりにできることを伝えて騒ぎにならないようにすること。

 さらに他の見習い神官たちの力を借りて、ルーマン司教が奇跡の力を披露するのに相応しい舞台を整えると一息に言い切る。


「――――お許しいただけますでしょうか」


 大の大人の神官よりも見習い神官の少女の方がよっぽど優秀だな。

 可愛ければ是非とも仲間にしたいところだ。


「許す!」


 悪徳司教の一言で二人の少女が急ぎその場を立ち去った。

 少女たちの足音が急速に小さくなるとユリアーナが嬉しそうにつぶやく。


「思惑通りね」


「せめて計画通りと言いましょうよ」


「どっちも変わらないだろ」


「まったくです……」


 俺たち四人は足取りも軽く階段を降りだした。

 悪徳司教の姿が見えると、オットー助祭がすぐさま挨拶をする。


「お疲れ様です、ルーマン司教」


 続いて、俺たち三人。


「おはようございます、司教様」


「はーい、司教さん。礼拝堂の挨拶を二階から見ていたけど、禿げ頭だからすぐに司教さんを見つけられたわ」


 余計なことを。

 なぜここで敢えて喧嘩を売るかなー。


「おはようございます、司教。妹の発言は子どもの戯言たわごとと聞き流してください」


「貴様ら! 失礼だろう!」


「すぐに謝罪しなさい!」


 神官二人に続き、不機嫌さも顕わに悪徳司教が言う。


「せっかく好い気分だったのにお前たちの顔を見てだいなしになったよ」


 案の定、聞き流すつもりはないようだ。

 人間の出来ていない司教だなー。


「ここは一般人の立ち入り禁止区域だ。さっさと立ち去れ!」


 神官の一人が詰め寄る。


「これからそちらの部屋でオットー助祭と打ち合わせなんです」


「本当か!」


 詰め寄った神官がオットー助祭を睨み付けた。


「本当です。孤児院の運営の相談があると聞いています」


「孤児院の運営だ? お前が関わることではないだろ」


「私たちはカール・ロッシュ代官と面識がありまして、そのカール・ロッシュ様からオットー助祭に相談するよう助言を頂きました」


「ロッシュ様だと……?」


 突然飛び出したロリコン代官の名前に混乱する。

 十五歳という若造の俺が代官と面識があるのが不思議なのか、訝しむような視線が向けられた。


「ご存じないかもしれませんが私たちは商人でして。先日、カール・ロッシュ様に魔道具を献上し面識を頂いております」


「それが孤児院の経営と――」


「そんなことはどうでもいい!」


 悪徳司教が一喝して、オットー助祭に視線を向けた。


「奇跡の力を利用して代官に取り入るつもりか?」


 勘違いも甚だしい。

 悪人の思考と言うのはどうしてこう、倫理から外れた方向に向かうのだろう。


「滅相もございません。純粋に孤児院の経営を助けたいという思いからです」


「他人が自分と同じように損得勘定でしか動かないと思っちゃだめでよ」


 ユリアーナの言葉にピクリと反応したが、本人は気付かれていないつもりの様で素知らぬ顔でオットー助祭に向かって吐き捨てるように言う。


「お前の奇蹟の力とやらは後ほど私が吟味しよう。それまでは無闇に吹聴したり力を使ったりするなよ!」


「承知いたしました」


 オットー助祭が深々とお辞儀する。

 その傍らでユリアーナが煽る。


「あの人数を一人で治療するのは無理があるでしょう? オットー助祭の助けを借りたらどうです?」


「無礼者!」


 顔を真っ赤にし、言葉が出てこない程に怒り狂っている悪徳司教に代わって神官の一人が怒鳴った。

 だがユリアーナは気にせずに続ける。


「私たちの打ち合わせよりも重病人や重傷者の治療の方を優先してください。オットー助祭なら実績もありますから信者の皆さんも安心でしょうし」


「要らんお世話だ。さっさと立ち去れ!」


 神官の怒声に続いて、


「不愉快だ! 見習いどもが戻ってくるまで部屋で休む!」


 悪徳司教が吐き捨てるようにそう言うと、扉に向かう彼の後を二人の神官が慌てて追うと、振り向きざまに一喝する。


「何をしている! 喉を潤すものでも用意せんか!」


「はい、畏まりました」


 乱暴に絞められた扉の音と走り去る神官の足音が廊下に響いた。


「部屋に一人とはいかなかったが、悪徳司教と神官の二人だ。作戦実行に支障はない」


 俺は隣の扉を開けた。

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