私の戦い
悪魔が別の部屋に向かってから、外が騒がしくなってきた。
「ガーディ。私達であの悪魔に勝てると思う?」
「さあ、どうだかな。どっちにしても俺はやるぜ」
一緒に戦ってくれるかを聞くつもりだったのに、ガーディはすでにやる気満々になっていた。
たぶん下ではすでにエリザさん達が何かと戦っている。それなら、悪魔と戦えるのは私達しかいない。倒せなくてもこちらに意識を向けさせないと、悪魔はエリザさん達の邪魔をするだろう。
問題は、ミラさんと同じように私が取り憑かれたりしないかということだ。
私の身体を奪えば、より確実に皆の隙を突くことが出来る。悪魔が私だけ連れてきたのはそれが狙いなのではないか。
「ねえ、悪魔は誰でも操れるの?」
「俺はそんな能力ねえから分からねえが、ミラからお前に移ることはできるだろうな」
予想通りの答えだ。
「じゃあ悪魔同士なら?」
「効かねえな。悪魔が操れる生き物は人間だけだ。だが俺だけ無事でも意味ねえだろ。お前が操られたら使い魔の俺も終わりだ」
一対一ではさすがに勝てない。二対一なら私が狙われる。どうにかして操られずに戦う方法を考えないと。きっと悪魔はまた戻ってくるだろう。それまでの時間が勝負だ。
地上では人間達がゴーレムと戦っている。はじめはここまで飛ぼうとしていたが、ゴーレムを落としているうちに諦めたらしい。今は全員が増え続けるゴーレムの相手で手一杯になっている。
「最強と呼ばれていても所詮は人間ね」
ミラの記憶を見たときはもう少し強い印象だったが、人間の記憶も当てにならない。エリザも、それと同格と言われるフレイという女も、残りの二人も、大したことはない。念を入れて次の器を奪っておいたのに、もう必要なさそうだ。
そうと決まれば、さっさとあの人間を始末しよう。あの娘はなんとなく気にいらない。悪魔を使役していることも、弱いくせにどこか落ち着いていることも。
独房に向かって歩く。物音は全くしない。あの使い魔の力なら鉄格子を破ることも出来るだろう。逃げたか隠れたか、どちらにしても大したことではない。
だがその予想は外れていた。
「どういうこと……」
独房の鉄格子は変わらずそこにあった。にも関わらず人間の姿はない。
転移で逃げたか。ずっと練習を見ていたが、それほど遠くには転移できていなかった。そもそも下にいる仲間を置いて一人で逃げるような性格ではない。
「鬼さんこちら」
「どこ見てやがる」
二つの声が響く。独房の中からではない。人間の声は横から、使い魔の声は上からだ。
手のひらに魔力を集中させる。人間のように、炎やら武器やらに変換する必要などない。悪魔の魔力は自身を除く全てに害をなす。あの使い魔は斬撃として使っているが、切り裂かずとも当てるだけで十分だ。
だから私は手のひらに無数の魔力の弾を作り出し、それを上に放つ。
まずは使い魔からだ。人間の方に私を傷つけるほどの攻撃手段はない。そして使い魔を狙えば当然、
「させない!」
と防御魔法を駆使して使い魔を守る。
結局は私の攻撃とあの人間の防御の根比べだ。使い魔は防御魔法に守られているが故に、私に攻撃することも出来なくなっている。ただ宙に浮いて成り行きを見守るだけだ。
その防御魔法も私の魔力で少しずつ破損し、ひび割れ始める。当然だ。いくら防御だけは得意だといっても、魔法を使い始めて数ヶ月程度の餓鬼に防ぎきれるものではない。文字通り年季が違う。
「くっ! もう保たない!」
使い魔が悪態を吐く。人間の方も表情が険しくなってきた。この均衡もじき崩れるだろう。
「もう諦めなさい。勝ち目がないのは分かったでしょう?」
はっきりと事実を告げる。これで心が折れてくれれば楽なのだけど。まだこの後、下の奴らを片付けなければいけないのだから、いつまでも相手してはいられない。
私の期待とは裏腹に、挑戦的な声が返ってきた。
「分かってねえのはお前だろ!」
「なに!?」
声に反応して振り返った瞬間、頭に強い衝撃を受けた。堪えきれず膝をつく。カラン、と音を立てて足元に落ちたのは、右側の角だった。
「貴様ら……!」
声はたしかに使い魔のものだった。攻撃も、小娘のものとはまるで違う威力だ。なぜ上にいるはずの使い魔の攻撃を人間が撃てる?
「ごめん、もう無理……」
上にいる使い魔が弱々しい声を出す。すると人間と使い魔の姿が入れ替わった。
魔法を維持できなくなった私は、なんとか力を振り絞ってゆっくりと地面に落下した。
悪魔が離れている隙に立てた作戦は、私とガーディが入れ替わるというシンプルなものだ。だが実現するのは思いの外大変なことだった。
まずは変化の魔法。私をガーディに、ガーディを私の姿に変える。これだけならば難しくはない。
次に自分自身を浮かせる魔法。ガーディはいつも浮いているので、入れ替わっても普通に立っていたらすぐにばれてしまう。一定の位置に浮遊し続けるのが意外と大変だった。
その状態で悪魔の連続攻撃を受けた。正直なところ、防御ももう限界だった。ガーディが攻撃してくれなければ、入れ替わったまま死んでいたかもしれない。
「おい、一旦逃げるぞ!」
ガーディの言葉を受けて独房から離れる。悪魔は膝をついたまま私達を睨んだ。
「ここまでしておいて、逃がすわけないでしょう」
そう言った直後、ミラさんの身体から残っていた角が消えた。意識を失ったように、重力に従って地面に倒れる。
「な、なに? なにが起きてるの?」
「落ち着け、出てくるぞ!」
ミラさんの身体から、徐々に黒い靄が出てくる。それはうっすらと人間に近い形になり、頭には角が一つ着いている。
これが悪魔の正体なのか。ガーディははっきりと形を持っているのに、目の前の悪魔は実体がないかのようにゆらゆらと揺らめいていた。
その靄はまっすぐ私に向かって飛ぶ。まさか、これに当たったら身体を乗っ取られてしまうのではないか。
最悪の想像が頭をよぎる。でも防ぐ時間はない。
「ルカ、避けろ!」
「もう遅いわ」
靄から声が響く。悪魔の言う通りだ。もう間に合わない。私は恐怖に耐えられなくて目を瞑った。
だが、次に聞こえたのは悪魔の悪態だった。
「なぜだ、なぜ弾かれる!?」
目を開けると、靄はまだ目の前にあった。弾かれた、とはどういうことか。
その答えは、背後から飛んできた一羽の烏が持ってきた。
「ったく、やっぱ無茶してやがったな。お嬢」
レイヴンは私の肩に止まり、嘴から器用にため息を漏らす。
「俺がもう少し遅かったらミラの二の舞だぞ。逃げりゃあ良かったのによ」
「今の、レイヴンが守ってくれたんですか?」
「遮断。前にも見せただろ。攻撃以外の魔法をすべて弾く魔法だ」
前に一度だけ見た魔法だ。協会からの依頼内容を確認するときに、念を入れて外に漏れないようにと使っていた魔法。まさか悪魔の奥の手を封じることまで出来るなんて。
「使い魔が一匹増えたから何よ。まとめて消して……」
「残念。時間切れよ」
悪魔の言葉を遮って、突如一人の女性が現れた。レイヴンは私の肩からそちらに飛び移る。黒いドレスを身に纏い、不敵な笑みを浮かべる最強の魔法使い。
「エリザさん!」
「お疲れさま。よく頑張ったわね」
エリザさんが私の頭を撫でて微笑む。離れて数時間しか経っていないのに、すごく懐かしく感じる。連れ去られた時も戦っている時も平気だったのに、たったこれだけのことで涙が流れた。
突然泣き出した私にエリザさんが驚いて慌てる。
「な、泣かないの。まだ終わってないんだから」
「ハッハッハ! 敵の前だってのに、ずいぶん余裕じゃねえか」
レイヴンに茶化されて、ようやく涙が止まった。出来るだけ毅然とした態度で前を向く。
悪魔は変わらずゆらゆらと揺れているが、肌で感じるほどに怒気を放っていた。
「どいつもこいつも……、なんで思い通りにならないのよ」
今まで敵を思い通りに蹂躙してきた悪魔の、初めての感情だった。
敵に追い回されることはあっても、傷つけられることも思い通りにならないこともなかったのだろう。
「私達に喧嘩を売ったから。何百年生きてるか知らないけど、今日があんたの最期よ」
エリザさんが冷酷に言い放つ。
悪魔はさらに怒りを増し、対照的にエリザさんはいつも通りの余裕の表情で向かい合う。
悪魔との最期の戦いが始まった。
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