悪魔の作戦

「なんでこんなところにいるんだろう……」

 以前は中まで入ることがなかった塔の一室。牢獄のような部屋の中で私は呟いた。

「あいつに捕まったからだろ。寝ぼけてんのか?」

「そうだけどさ。でも、なんというか」

 快適だった。

 窓もなくて薄暗い、鉄格子で出られないようにされた部屋の中、なぜかふかふかのベッドが置かれていた。ミラさんはここで寝泊まりしていたのだろうか。腰掛けるだけのつもりだったのに思わず上半身を投げ出して、先ほどの言葉が口に出た。

 隣ではガーディが呆れたように私を見ている。

「お前は一応敵に捕まった人質だろうが。脱出しようとか考えねえのかよ」

「うーん。そもそもどうして私を人質にしたのかな。悪魔ってそういうことよくするの?」

「いや、しねえな。前にも言ったが悪魔は好戦的な奴ばっかりだ。敵に会えばその場で戦うし、倒したらより強い相手を求める」

 それなら悪魔はどうしてあの場でエリザさんと戦わなかったのか。悪魔は元々人質をとる予定だったと言っていた。戦うことが目的とは思えない。

「じゃあ自分より強い相手と戦って負けるのは、仕方ないことだと思う? それともどんな手を使ってでも勝つ?」

 勝つことが目的か、戦うこと自体が目的か。この質問にはガーディも少し考えた。

「それは個体による。俺は逃げるくらいなら戦って死にてえ。他の悪魔がどうかは知らねえけどな。ただ……」

「ただ?」

「長く生きてる奴ほど狡猾で残虐だ。騙し、欺き、蹂躙する。数は少ねえがそういう奴らもいる。たぶんそいつらは戦うことより生き残ることを選ぶんだろうな」

 それは私がガーディに会う前に持っていた悪魔のイメージに近いものだった。たぶんミラさんの中にいる悪魔もそうなのだろう。

 弟子に取り憑いて師匠を殺す。人質をとって自分の縄張りに引きずり込む。攻められる前に策を弄して、自分だけは安全圏にいるようにしている。


 悪魔について考えていたら、部屋に向かってくる足音が聞こえた。

 身体を起こして杖を持つ。わざわざ連れてきていきなり殺されることはないだろうけど、気は抜けない。

 だが私の緊張とは裏腹に、現れたのは申し訳なさそうな顔をしたミラさんだった。

「お、お邪魔しまーす……」

 小声で挨拶して扉を開け、自分から鉄格子の内側へ入ってくる。控えめに私の隣に座って気まずそうに下を向く。

「ミラさん、ですか?」

 悪魔の高圧的な態度ではなく、何よりも頭の角が消えている。

「うん、今は私だよ。でも悪魔が出ていた時のことも覚えてる。自分の身体じゃなくて、遠くから見てるような感覚だったけど。腕、痛くなかった? ごめんね」

「あ、いや、大丈夫です。ミラさんこそ、その、大丈夫なんですか。今もミラさんの中に悪魔がいるんですよね?」

 ミラさんが頷く。普通に話しているのが逆に怖い。てっきり悪魔をなんとかしない限りもうミラさんの意識が表に出ることは無いのではないかと思っていた。

「私じゃ自力で追い出すことは出来ないの。だから出る必要が無いときは私を使って、ゆっくり休んでるみたい。今の私は、悪魔の栄養源みたいなものなの」

 そう言ったミラさんの顔は笑っていた。その目があまりにも悲しそうで、私は目をそらしてしまった。

 自分の師匠を殺めた悪魔に取り憑かれ、今はエリザさんと戦うために身体を利用されている。悪魔を追い出さない限りミラさんに安息は訪れない。

「うっ……!」

 隣に座っていたミラさんが小さくうめき声を出す。そちらを見ると、ミラさんが頭を抑えて苦しそうに顔を歪めていた。

 頭を覆う手の隙間からは少しずつ角が伸びている。

「ミラさん!」

「……残念。もう違うわ」

 私が声をかけると、手を下ろして不敵な笑みを浮かべてこちらを見る。二本の角と不敵な笑顔。悪魔が表に出てきたのだ。

「まったく、余計な話をさせるために連れてきたんじゃないってのに。ずいぶん落ち着いてるじゃないの」

 忌々しそうに私を睨みつける。私の態度が気に入らないらしい。なんで突然連れ去られてご機嫌取りをしなくちゃいけないんだ。

「あなたはなんでこんなことをするの」

「こんなことって?」

「わざわざ敵をつくるようなこと。ミラさんの師匠を倒して、それで終わりじゃだめなの?」

「終わらせる気がないのは人間の方でしょ。居場所がばれた時点でまた次の奴が来る。だったら手が出せないくらいになればいい」

 この悪魔はガーディと正反対なんだ。勝つことどころか戦うこと、もっと言えば人間に関わること自体を嫌がっている。だから今まで見つからずに生きてきたのかもしれない。でも見つかって、協会から魔法使いを送り込まれた。

「この女に取り憑いて記憶を覗いたら、人間の中で一番強いと言われている相手を見つけた。そいつを殺せばもう誰も追い回そうなんて思わないでしょう。あんたを連れてきたのはそのためよ」

「それって、まさか」

 私の周りにいる人で、一番強い魔法使い。そんなの一人しかいない。

「エリザ。さっきの女よ」

 悪魔が予想通りの名前を告げる。すべてはこのためだったのか。ミラさんの身体に憑き続けて、手下を増やして協会を敵に回す。魔法使い相手に勝ち続ければ、いずれは協会がエリザさんの力を借りようとする。

 目的を達成するための近道にも思えるし、最も目的に反した過程を辿っているようにも見える。

 だが、この悪魔がどんな考えを持っているかなんてどうでもいい。

 ミラさんを悲しませて、エリザさんの命まで狙っている。それだけは許せない。

「来たわね」

 私の怒りは意にも介さず、悪魔は外を見て呟く。

 そのまま私の方を一度も見ないで、悪魔は窓のあるところへ歩いて行った。


「ほら、返すわ」

 私が投げた亀を、頭にたんこぶをつくったフレイが受け止める。

「もう、乱暴なんだから」

「それより、上の様子は?」

 フレイは無視してアーシャとリードに聞く。やはりこういう時にすぐ答えを述べるのはリードだった。

「変わりありません。一箇所だけ明かりがついていますが、かなり上の方なので声や物音は聞こえませんし、地上に敵が現れたりもしませんでした」

「何かを待ってる? それとも力を蓄えてるか、ね。」

「前者が正解みてえだな。上見ろ」

 レイヴンの言葉を受けて、全員が上を見る。塔の最上部付近の窓から、悪魔が顔を出していた。

「何よ。狙いは私ってこと?」

「ま、そうだろうな」

 窓の向こうにいるのは悪魔だけで、ルカの姿は見えない。リードとアーシャは初めて見る悪魔の姿に息を呑んだ。フレイは落ち着いて周囲を見渡す。

「ああ、あれが例のゴーレムね」

 塔の入口から次々にゴーレムが現れる。小さくして収納していたのだろう。扉をくぐって出てきたら、家の前で戦ったものと同じくらいの大きさに膨れ上がった。

「エリザさん、これと戦ってきたんですか……」

「あんた達は下がってなさい。フレイが全部なんとかするわ」

「え、私?」

「当たり前でしょ。私はルカを助けに行くから」

 フレイなら一人で倒しきれるだろう。それより悪魔のそばにいるルカが心配だ。

 私は魔法を使って空を飛んで上に向かう。自分自身に魔法をかければ、ルカのように壁やものを使わなくても空を飛ぶことはできる。

 まっすぐ最短距離で飛んでいると、上から何かが降ってきた。近づくにつれて徐々に大きさを増している。

「エリザ、止まれ!」

 後ろから飛んできたレイヴンが怒鳴る。同時に私の身体に防御魔法がかけられた。だがそれでもまともにぶつかれば怪我では済まないだろう。なんとか落ちてくるそれを躱しながら地上に戻った。

「滅茶苦茶やるにも程があるわよ!」

 空から降ってきたのは、地上にいるのと同じゴーレムだった。

 あの大きさと質量で重力を味方につけて迫ってこられたら防ぎようがない。

「あら、おかえりー。手伝ってくれるの?」

 フレイが地上のゴーレムと戦いながら声をかける。

 リードとアーシャも逃げずに魔法を撃ち続けている。ここに連れてきたと聞いた時から予想はしていたが、やはりこういう展開になったか。

「レイヴン、あんただけでもルカのところに行きなさい」

「いいのか? 全員にプロテクションはかけたが、離れたら一度効果が切れればそれまでだぞ」

「守りはフレイに任せるわ。それより、あの子はきっとまた無茶するから、あんたがなんとかしなさい。最悪の事態を避けるにはあんたの能力が必要よ」

「ま、そりゃそうか」

 レイヴンは再び空を飛び、塔の上層を目指す。ゴーレムは大きさと力はあっても遠距離攻撃はない。ただ落下するだけの相手を馬鹿にするように自由に飛び回りながら、レイヴンは着々と高度を上げていった。

「フレイ、聞いてたわね!」

「はーい」

 フレイは攻撃の手を止めて、三人の中心に立つ。常に全体を見て、的確に防御魔法を使う、なんて細かいことは私にはできない。

「リード、アーシャ。攻撃は刃物、出来れば斧を使って。切れ味よりも勢いで切り落とすようにしなさい。剣や槍じゃ折られて終わりよ。炎や氷も効かないから無駄撃ちしないで」

「はい!」

 二人は氷や矢を引っ込めて斧を作り出す。やはりルカより長く魔法を学んでいるだけあって、私のリクエストにすぐ応えた。ルカはまだ炎と壁しか出せないから、もっといろいろ教えてあげないと、と場違いなことを考える。

 今は目の前の敵を倒すことが先だ。

「は!」

 ゴーレムの倍ほどの大きさの斧を作り出し、回転させながら前へ飛ばす。まとめて三体ほど倒したが、すぐにその隙間を落ちてきた個体が埋める。

 悪魔の魔力で生み出されている以上、無限ではないはずだ。

 たとえ目の前にいなくても、悪魔との戦いはもう始まっている。

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