新月の夜

 翌朝、いつも通り朝食の準備をしてエリザさんを起こしにいくと信じられない光景があった。

「エリザさんが、起きてる……!」

「あんたも結構失礼なこと言うわよね」

 エリザさんはいつもの黒いドレスを着て髪を束ねているところだった。私がここに住んでから初めてのことだ。

「もう朝食は出来てる?」

「あ、はい」

「そう。じゃあそれだけ食べたら出かけるわ。今日は帰ってこないから夕飯もいらないわよ。訓練もなし。自分達で練習するのは構わないけど暗くなる前に終わりなさい。昨日も言ったけど、夜は出歩かないこと。いいわね?」

 すごい。完全に覚醒モードのエリザさんだ。あと五分、と言いながら寝返りをうって二度寝していた姿が遠い昔のようだ。つい昨日のことだけど。

 すらすらと指示を出して身支度を整える。部屋を出る前に、一度私の方を見て何かを言いかける。

「どうしました?」

「ん……、やっぱりいいわ」

 何か言おうとしたようだが、そのまま部屋を出る。

 やっぱり最近のエリザさんは何かおかしい。


 エリザさんが出かけて、家事を済ませた後、今日も魔法の練習のためにリードとあーちゃんが来ていた。

 でも訓練が中止とは聞いていなかったみたいで、今は家の中でゆっくりお茶を飲んでいる。

「うーん……。もやもやするー」

「何よ、恋?」

「へえ。相手は? リード君?」

「それはもういいですって……」

 前にエリザさん達にもからかわれたので、特に動揺もしなかった。

 もやもやの原因は恋なんかじゃなく、エリザさんだ。最近はずっとどこかに出かけているし、今日は自分で起きたし。毎日の密かな楽しみが、じゃなくて、今まではこんなことはなかった。朝起きることも、夜帰ってこないことも。

 その話をしてみるけど、みんなはそれほど気にしていない様子だった。

「たしかに珍しいけど、エリザさんだってそういうこともあるでしょう。今日も師匠と一緒みたいだし心配いらないよ。そもそもいい大人が毎日起こしてもらってる方が問題じゃない?」

「いいの。そこも含めて好きだから」

「分かる」

「分かるんですか」

「この二人、エリザさんのことになるとなんか残念ね」

 ミラさんだけ同意してくれた。リードもあーちゃんもしっかり者で面倒見が良いから分かってくれると思ったのに。世話好きとは少し違うのかな。

 ずっと考え込んでいると、ミラさんが悪戯っぽく笑った。

「じゃあ追いかけてみる?」

「え。行き先知ってるんですか!?」

「ううん。でも、協会本部じゃないかと思う」

 その言葉にリードがピクリと反応する。協会本部。そういう場所があることは話に聞いていた。もちろん行ったことは無いし、どこにあるかも分からない。

「なんで協会本部なんですか?」

「仕事って言ってたから、たぶんまた協会からの依頼でしょう。あの二人だったら場所が分かればすぐ現地に行って解決するだろうから、今は情報を集めてるんだと思う。そして情報が一番集まるのは協会本部、だよね」

「たしかに、依頼についての情報は逐一本部に伝えられるようになっていますが。あの二人はそこまで協会を頼ってはくれないんですよね」

 話を振られたリードは困った顔をしている。それを聞いてミラさんも納得したような苦笑いを浮かべた。

「今更なんですけど、エリザさんとフレイさんってあまり協会が好きじゃないんですか?」

 魔法協会には二人も一応所属しているはずだけど、特別枠であまり深い関わりはない。エリザさんも基本的にいつも家にいるか買い物に出かけるか、気ままに生活している。リードが依頼を持ってきても受けない時の方が多いくらいだ。

「エリザさんは堅苦しいの好きじゃないからね」

「それに本部にいるのは僕のような事務担当ばかりなので、エリザさんのような実力派の人と話すのは気後れしてしまいますし。逆に上層部は少し高圧的な面もあります。どちらもエリザさんとは合わないタイプなんです」

「じゃあフレイさんは?」

「えっと、それは、なんというか……」

 エリザさんのことは普通に話していたのに、フレイさんのことになるとリードの口が重くなった。あーちゃんがため息をついて後を引き継ぐ。

「師匠も以前はよく本部に顔を出してたの。でもいろいろやりすぎちゃって、厳重注意」

「いろいろって?」

「持ち出し禁止の書類を持ち帰ったり、機密事項の報告を盗み聞きしたり」

「ああー……」

 フレイさんならやりそうだ。たしか私がエリザさんの弟子になったこともリードの報告を盗み聞きして知ったのだった。昔から同じようなことをしていたらしい。意外とフレイさんが一番好奇心に忠実なのだ。

「だから、師匠が本部に長居しているとそれだけで周りの人に警戒されてると思います」

「そうなんだ。良い案だと思ったんだけどなー」

 ミラさんは残念そうに呟く。もしかして協会本部に行ってみたかったのか。でもミラさんも協会に登録している魔法使いだし、行こうと思えばいつでも行けるはずだ。

「今日はルカも集中できなさそうだし、ゆっくりしましょうか」

「そうですね。あまり無理をして何かあっても僕達では対処できませんし」

 それから、お茶のおかわりを注いでもう少し話をして、早めに解散した。


 リードとあーちゃんが帰った後、ミラさんと夕飯を作って食べた。

 もう二人でも気まずさはないけど、やっぱり二人だといつもより静かだ。窓から見える空もいつもより暗く感じる。

「あ、今日って新月なんですね」

「そうね。ガーディは大丈夫?」

「たぶん大丈夫ですよ。今は部屋にいますから」

 新月は魔物だけでなく悪魔も活発に行動すると言っていたが、ガーディは影響無さそう。使い魔は勝手が違うのかもしれない。

「……あのね、ルカちゃん」

「はい?」

 呼ばれてミラさんを見ると、なぜか苦しそうな顔をしていた。

「え、大丈夫ですか。お水持ってきます!」

「そうじゃないの。ちょっと話を聞いて」

 台所に行こうとしたら引き留められた。ミラさんは見るからに顔色が悪く、呼吸も荒いが、ジッと私を見ている。

「ルカちゃん、私は……」

 だがミラさんの話は外から聞こえた轟音に遮られた。

 ドンと一発音が響く。一拍空けてさらに爆発音が続いた。音だけでなく、低いうめき声も聞こえる。人間のものではない。魔物が次々と倒されているようだ。

「ミラさん。ちょっと待っててください! 私、様子を見てきます。ガーディ!」

「おう!」

 杖を取り、ガーディを呼ぶ。玄関に向かって駆け出すとガーディが追いついてきた。

「だめ、待って!」

 ミラさんが後ろから叫んだ。でも私の手はすでに扉を開けていて、足は一歩だけ外に出ていた。

 呼びかけに気づいて振り返った瞬間、何かに押されて私の身体は外に放り出された。

「きゃあ!!」

 振り返ったことで正面から押される形になった私は、そのまま背中から地面に打ちつけられた。痛みに耐えながら身体を反転させて前を見る。そこには今まで見たこともないものがあった。

 目の前にあったのは、巨大な岩の塊だった。家より高い身体は人間のように手足と頭を持ち、低いうなり声を上げて動いている。

 それも一体ではなく、視界を埋め尽くすほど大勢だ。まだ私には気づいていないらしく、一様に同じところを見ている。

 その視線の先から声が届いた。

「ルカ!」

「エリザさん!?」

 岩の隙間から一瞬だけ見えたのは、ここにいないはずのエリザさんだった。

 なぜここにいるのか。目の前にいる岩の化け物は何なのか。

 そして、ミラさんはなぜ私を外に押し出したのか。

 疑問が溢れるが、聞く前に事態はさらに動いた。

「やっと外に出てくれたわね」

 両手の手首を掴まれて無理やり立たされる。その手も声もミラさんのものだ。

「ミラさん!? 何でこんな……」

「黙って」

 ミラさんがそう言うと、私の口が開かなくなった。前にエリザさんがレイヴンに使っていた魔法だ。喋ろうとしても、もごもごと小さい音が漏れるだけだった。

「さて、少しだけ話をしましょうか」

 岩の化け物が一斉に動きを止める。それを見てエリザさんが岩の向こうから私達の前に転移してきた。

「やっと尻尾を出したわね。ミラ、じゃないんでしょう?」

「そうよ。今はミラの意識は眠ってるわ。もう私の正体も気づいてるのかしら」

「ミラの師匠を殺した悪魔ね」

 悪魔。エリザさんはそう言った。首を捻ってミラさんの顔を見ると、そこにはガーディと同じ角が生えている。使い魔ではない、純粋な悪魔がそこにいた。

「せっかく人間を操って自由に過ごしてきたのに、この女と爺が邪魔しに来たのが悪いのよ。面倒だからこの身体に入り込んだら爺も手が出せなくなった。たいして強くもないくせにケンカを売ってきて何も出来ずに死んだわ。でもこの女の記憶を覗いたら、このままだとまた人間が送り込まれてくることが分かった。だからしばらくこの身体を借りることにしたの。基本的にはこの女に身体を預けていたのに、どこでばれたのかしら?」

「最初から怪しいとは思ってたわ。あの盗賊団の中に、魔法の罠を張れるほどの奴はいなかった。あれもあんたの仕業でしょう。協会の情報を調べて、討伐に失敗した悪魔が消えたことも分かった。詰めが甘いのよ」

 エリザさんは全て知っているというように悪魔を挑発する。最近ずっと家を空けていたのはそれを調べていたのか。

 私にかけられた魔法は継続していて、まだ口を挟むことができない。腕を掴まれて密着したままなのでガーディも攻撃できずにいる。

 この場はエリザさんに任せるしかない。

「それで、ここからどうするつもり? この身体ごと私を倒す?」

「その必要はないわ。そのために時間をかけて調べたんだから」

「はあ?」

 悪魔が初めて動揺を見せた。それを見てエリザさんはニヤリと笑う。その光景が、ミラさんを救う方法があるという証拠だった。

 悪魔は舌打ちして悪態を吐く。

「ああもう、本当に面倒ね、人間は。まあいいわ。元々この場では人質だけもらう予定だったし」

「逃がすとでも……、っ!」

 エリザさんの背後から巨大な岩の手刀が振り下ろされる。寸前にそれに気づいたエリザさんは横に跳んだ。躱しながら魔法で斧を生み出し、岩の腕を切り落とす。

 だがそれだけでは動きが止まらず、さらに他の敵も迫ってくる。

「レイヴン!」

「おう!」

 突如レイヴンが現れ、敵とエリザさんの間を二つに分けるように大きな壁をつくり出す。

 悪魔は不敵に笑いながらエリザさんに向かって叫ぶ。

「追いついたらまた相手をしてあげる」

 その言葉を最後に悪魔は私を掴んだまま転移した。


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