主従の在り方

 使い魔を召喚した翌日。

 朝目覚めると悪魔は家の中にいなかった。嫌になって出ていったのだろうか。

 悪魔はとても好戦的な性格で、ずっと敵を探しにいこうとしていた。それを引き留めて、私の言うことを聞くこと、エリザさんやレイヴンと戦おうとしないことの二つを言い聞かせ続けた。

 エリザさんは怒った様子はなく、むしろ面白がっていたが、私の使い魔が他の人に、特にエリザさんに迷惑をかけるのは許せない。

 この先どう接していこうかと悩みながら、今は朝食の準備をしている。今日はトーストにベーコン、目玉焼き。ちょっと手抜きだがエリザさんはあまり食べ物に文句を言わないので大丈夫だろう。

 あとはエリザさんを起こすだけ、と思ったところでレイヴンが口を開いた。

「お嬢、問題児が帰ってきたぜ」

「え?」

 耳を澄ますと外から音が聞こえた。足音ではなく、何かを引きずるような音だ。

 出迎えようと扉を開ける。

 まず目に入ったのは、獣の頭。視線を上げていくと胴体、足と続いて、足を掴んでいる悪魔が目に入った。

「ルカ、飯取ってきてやったぞ!」

 息絶えた狼をぶら下げた悪魔は、朝からテンション高く勝ち鬨をあげる。

 反対に気分が下がった私は深いため息をついた。


 食卓は異様な雰囲気だった。ルカと悪魔は機嫌が悪く、レイヴンだけがそれを見て楽しそうにしている。

 コーヒーを飲んで目が覚めてきた私は声を出さずに使い魔とのテレパスでレイヴンに説明を求める。

「また何かあったの?」

「お前が呑気に寝てる間にな」

 一言多い。無言で睨みつける。レイヴンが今更私を怖がったりはしないが、いいから続きを話せ、というメッセージは通じたようだ。

「あの悪魔が狼狩ってきたんだよ。なんでもいいから戦いたかったんだろうな。それに食料にもなるから喜ばれると思ったんじゃねえか」

「ルカは怒ってるみたいだけど」

「そりゃあ狼は嫌いだろうよ。村で襲ってきたのも狼みたいな魔物だったんだろ?」

「ああ、そういえばそうね」

 直接襲われたわけじゃないにしても、私が行くまでルカは家の中で狼の遠吠えや駆け回る足音を聞いていたのだ。苦手になっても不思議ではない。

「けど、狩ってきたってことは死体でしょう。怖くはないと思うけど」

「まあそうなんだが、あいつが狩ってきた以上はちゃんと使わなきゃと思ったみたいでな。さっきまで血抜きしてたんだよ。大嫌いな狼の死体相手に、な」

 そこまで聞いて納得した。たしかにルカにとっては大変な作業だろう。かといってこの好戦的な悪魔がそんなことまで気を回すとは思えない。食べたくもない獣の処理を朝からやらされては機嫌が悪いのも頷ける。そして喜ばれると思っていた悪魔もついでに不貞腐れてるというわけか。

 魔法使いと使い魔の主従関係は人それぞれ。仲が悪い者もいる。私のように使い魔を出しっぱなしにする者もいれば、戦闘時や必要な時だけ呼び出す者もいる。

 だが今のこの二人では、必要な時だけ力を合わせるのも難しそうだ。

 少しだけ、師匠らしいことを言ってみるか。

「ルカ、今日は勉強も練習もお休みね」

「え、どうしてですか?」

「その代わり、今日一日使い魔と一緒に出かけてきなさい。それと帰ってくるまでにその子に名前をつけること」

 ルカは露骨に嫌そうな顔をする。ここまで誰かを嫌がるのも珍しい。それが赤の他人なら構わないのだけど。

「名前って、私がつけるんですか」

「使い魔は名前がないのよ。いつまでも悪魔と呼ぶのも変でしょう」

「だからって、烏だからレイヴンも安直すぎやしねえか」

「うるさい」

 茶々を入れるレイヴンを黙らせる。これでも私とレイヴンは上手くやっている方だ。

 多少言い合いや口答えをしてもお互い度はわきまえてる。ルカと悪魔もせめてそのくらいにはなってもらわないと召喚した意味がない。

「ほら、食べ終わったならさっさと行きなさい。名前つけるまでは帰ってきちゃだめよ」

 食事を終えたルカを追い出す。渋々悪魔を連れて外へ出ていった。

 さて、問題はここからだ。

「レイヴン、皿洗い」

「出来るかよ」

 本当に、早くなんとかしないと。


 家の近くの森をあてどなく歩く。町に行こうかとも思ったが悪魔を引き連れて行く度胸はなかった。

 沈黙に耐えられず声をかける。

「名前」

「ああ?」

「何がいい?」

 お互い前を向いたまま目を合わせることなく話す。まだ許したわけではないけど、最低限名前はつけないと家に帰れない。

 名前の話を振ったら悪魔は昨日のように大声で騒ぎ出した。

「そりゃあ強そうな名前だろ! 敵に名乗るときに情けねえ名前じゃ締まらねえ」

 悪魔の頭の中は戦うことしかないらしい。悪魔といえば狡猾に人を騙す存在だと思っていたがどう見ても肉弾戦タイプだ。

「強そうな名前……」

 人の名前で強そうとか弱そうなんて考えたこともない。やっぱり私とは根本的に考え方が違うのだろう。

 それからしばらく歩いて、小さな湖を見つけた。

 水が澄んでいてとても綺麗だ。近くに動物や魔物はいないようで辺りは静まり返っている。

「ちょっと休憩していい?」

「お、じゃあ俺は」

「ここにいてね」

 悪魔の言葉を遮って側に居させると不服そうな顔をする。放っておいたら森の中を荒らし回ってしまいそうだ。

 それに名前も全然思いつかないので、もう少し話をしておきたい。昨日からずっと言い争いはしているけど相手のことを理解しようとはしてこなかった。

 私はまだ自分が召喚した使い魔のことを何も知らないのだ。

「平和だな」

 湖を眺めながら悪魔が呟く。その顔は平和を喜んでいるようにはとても見えなかった。

「あなたは好きじゃなさそうだね、平和」

「俺は戦うためにいるからな」

「どうしてそう思うの?」

 まだ召喚して一日なのに、悪魔はすでに自分の役割を戦闘と決めつけていた。いや、そもそも召喚したその時からずっとそうだ。

「お前は悪魔ってのがどういうもんか知ってるか?」

「それは……。人を騙したり、利用したり、かな」

 私が村で聞いていた話はそうだった。願いを叶える代わりに命や大切なものを奪う。狡猾で卑怯で非道。

 でも目の前の悪魔にはどれも当てはまらない気がする。性格はただの喧嘩っ早い男子みたいだ。

「人間がそういうイメージを持つのは、人間と関わるような悪魔がそういう奴らだったからだ。大半は好戦的で、人間だろうが魔物だろうが、倒して力を示すための相手にすぎないんだよ。だから使い魔として俺が呼ばれるのは敵がいるからだと思ったんだがな……」

 期待外れだ、と言いたげな口調だった。実際、私は別に誰とも戦うつもりはない。以前の依頼のように、魔物退治に赴くことはあるかもしれないが、基本的には家事をこなしてエリザさんと平和に過ごせればそれでいい。

「そういえば、朝の狼のことだけど」

「ああ?」

「どこまで探しに行ったの? 家の辺りにはいないはずだけど。それになんでわざわざ狼?」

 家は町の外れにあるので、近くに野生の動物もいる。普段は家の近くまで来ることは無いが、少し森に入れば鹿や狸なんかは見かけたことがある。だが狼は引っ越してきてからまだ見ていない。

「そう遠くまで行ったわけじゃねえよ。この森に入ってすぐ動物は何匹か見つけたんだが、なんか弱そうなやつばっかりだったんで奥まで行っただけだ。狼を狙ったのは……」

 そこで悪魔は言葉を切った。召喚してから初めてなにかを考え込んでいる顔だ。

「よく分かんねえ。ただ見つけたときに倒さなきゃなんねえと思ったんだ」

 自分でもよく分かっていないらしい。だがどこまで行ったら狼が出るのか……。

「待って。奥までって、この森? この中に狼がいるの?」

「ああ」

「それってどの辺り……」

 私の言葉は、突然響き渡った獣の声にかき消された。

 少し前にも聞いた遠吠え。そして地面を駆ける四足歩行の足音。

 湖に背を向けて、木々の方を見る。まだ何も見えない。だが音はどんどん近づいてきていた。

 遠吠えを聞いて思わず後ずさる。いつの間にか私の身体は震えていた。

 脳裏には村を出た日のことが浮かんでいた。家の中であの声を聞き続けていたときのことだ。


 そしてついに狼が姿を現した。数は三匹。私達の姿を見て一度立ち止まる。

 私は杖を握りしめるが、震えは大きくなる一方だった。

 もっと大きな魔物には立ち向かえたのに、魔物でもない、ただの狼の姿を見ただけで立っていることすら出来ずにへたり込んだ。

「お前は下がってろ。ルカ」

 悪魔が一歩前へ出る。全部俺の獲物だ、というような凶暴な笑顔だ。

 その様子を見た狼が悪魔一人に狙いを定めた。じりじりと距離を詰める。

「食らえ!」

 まだ手が届くほど近くはないうちに悪魔が叫び声をあげて右手を振るう。

 その手から五本の衝撃波が飛び出した。右側の二匹が衝撃波に斬られて倒れる。

 残りの一匹は警戒して再び距離を取った。

「逃がさねえ!」

 悪魔は残った狼を追いかける。

 私は狼を必死に追う背中を見て気づいた。

 彼は戦うために現れた。戦って、私を守るために。だから弱そうな動物は見逃しても狼は見逃さなかった。私が最も恐れる相手だから。

 そう考えたら少し笑ってしまった。悪魔、なんて呼び方は似合わない。そうだ、名前をつけないといけないんだった。

 私が名前を考えていると彼が戻ってきた。見たところ怪我はない。

「なあ、こいつらどうする? 持って帰って飯にするか?」

「しません。もう帰るよ。ガーディ」

「あ? おう……」

 家に向けて歩き出す。もう震えは止まったし、名前もつけた。朝の不機嫌が嘘みたいに晴れやかな気分だ。

「おい、ガーディってダサくねえか」

「ダサくない。良い名前でしょ」

「なんかもっと強そうなのあるだろ」

「うるさい」

 昨日のようにぎゃあぎゃあ騒ぎながら帰路につく。でも私もガーディも昨日とは全然違う表情をしていた。

 夕飯に作った狼の肉のステーキはあまり美味しくなかった。

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