魔法使いの引っ越し

「おはようございます……」

 瞼をこすりながら部屋を出る。昨日話をした居間にはエリザさんの姿は無かった。どこかに出かけているのだろうか。時計がないから分からないが、外の明るさから恐らく昼を少し過ぎたくらいだ。

「お嬢さん」

 ふと何かの声が聞こえた気がした。周りを見渡すが誰もいない。そもそも、ここはエリザさん一人で暮らしている家だと思っていたが、違うのかな。

「お嬢さん、お嬢」

 また聞こえた。まさかと思って鹿の剥製に近づく。この鹿が喋っているのか?

「おい、そっちじゃねえよ。上だ、上」

 上?

 上を見上げる。天井は星空。それから籠と烏。

「もしかして、烏?」

「おう、正解。俺はレイヴン。よろしく」

「え、あ、よろしくお願いします」

 烏が喋っている。レイヴンという名前らしい。なぜ喋れるかは分からない。寝起きでまだ頭が働いていなかった。

「悪いがエリザを起こしてくれねえか。放っておくといつまででも寝るからな」

「あ、はい」

 コンコン、とエリザさんの部屋の扉をノックする。

「エリザさーん、おはようございますー」

 返事はない。扉を開けようとして、夜に言われたことを思い出した。

「そんなんじゃ起きねえよ。揺するか叩くぐらいのことはしねえと」

「でも、勝手に部屋に入るなって」

「いいさ。どうせ怒られんのは俺だ」

 早くしろ、と急かされて仕方なく扉を開ける。

 こちらの部屋もルカの部屋同様、物が少ない。おかげで散らかってはいないようだ。

 ベッドにはエリザさんの姿がある。まだぐっすり眠っていた。

「エリザさん、起きて、ってちょっと」

 あの黒いドレスは着ていなかった。寝る時だから当たり前だが、他にパジャマか何かないのか。

 エリザさんは下着姿ですやすや眠っていた。今まで余裕のある笑顔ばかり見ていたので寝顔も新鮮だが、それよりも体に目がいってしまった。

 胸は大きく、腰はくびれて、肌もきれいだ。魔法で若さを保っていると昨日聞いた。つまり若い時は素でこの綺麗さだったということか。それとも若さとは別で何か美しくなるような魔法があるのか。

「……って、そうじゃなくて。エリザさん、起きてください!」

「ん……、んー?」

 やっと反応があった。しかしまだ目は開いていない。

「んー……」

 と言ってまた寝息をたてる。さっきより少し口元が緩んでいる。何か良い夢を見ているのかな。可愛い。

「だから、そうじゃなくて。起きて。起きてくださーい!」

 気を抜くとすぐ見惚れてしまう。

「むー……、いやー……」

 まだ眠いらしい。今までの妖艶なイメージがどんどん崩れていく。これはこれで良いけど、いやでもやっぱり、と葛藤しながら起こし続けてようやくエリザさんが目覚めた。


 台所に移動して朝食を用意した。今日のメニューはハムエッグとパンとサラダ。

 二人分をテーブルに並べてエリザさんに声をかける。

「朝食、というかもう昼過ぎですけど、こんな感じで大丈夫ですか?」

「ん」

 まだ眠そうにコーヒーを飲んでいる。

「ハッ、どっちが大人だか分かりゃしねえな」

「うるさい。昨日は喋んなかったくせに」

「気を遣ってやったんだろうが」

 レイヴンに文句を言いながらサラダを口にする。特に感想は無かったが黙々と食べ続けているので口に合わないわけではなさそうだ。

 安心して私も食べ始めた。

「あ、レイヴンは何か食べますか」

「あれ、あんたルカに自分のこと話したわけじゃないの?」

「まだ名前教えただけだ。勝手に言ったら言ったでまた不機嫌になるだろ」

 喧嘩のようなやり取りでハラハラしたが、これが普通のようだ。レイヴンが喋る烏というだけではないのはなんとなく分かる。というかただ喋るだけという方がおかしい。何かあるのだろうとは思っていた。

「この子は私の使い魔だから、食事はいらないわ」

「使い魔?」

「私が召喚した、私の魔力で活動する存在ってこと。ルカにもそのうち召喚してもらうわよ」

「そういうことだ。だから飯はいらねえぜ。ありがとよ」

 言葉遣いは荒いけど意外と気配りが出来る烏だった。

 エリザさんも食事を進めるうちに目が覚めてきたようで、食事の間ずっと三人で話をしていた。レイヴンは私を驚かさないようにさっきまで喋らずにいてくれたらしい。

「もう午後だけど、このあと引っ越しするから」

「え、これからですか?」

「この辺り、あなたのいた村くらいしか人が生活している場所ないでしょう。買い物もろくに出来ないじゃない」

「引っ越しったって家ごと転移するだけだ。大した手間はねえよ」

 家ごとって、そんな簡単なことなのか。他の魔法使いなんて知らないからどれだけ凄いことなのかが分からない。でもエリザさんならたしかにあっさりやりそうだ。

「転移は私の方でやるから、ルカは掃除をやっておいて」

「分かりました」

 ちょうど二人とも食事を終えたので、皿をまとめて台所へ運ぶ。皿洗いを済ませたら掃除だ。

 一度窓の外へ目を向ける。ここから村は見えなかった。


 掃除は思っていた以上に重労働だった。

 まずは料理をしていた時から気になっていた台所から取り掛かる。さすがに食べ物を扱うところなので埃や汚れはひどくない。その代わり食器も食材も調理器具もまばらに置かれている。見たこともない大きさの肉の塊になぜかフォークとスプーンが柄の方から刺さっている。鍋の中にはチーズとトマトとお玉とフライ返し。一体何をしようとしたらこうなるのだろう。料理の跡には見えない。何かの呪いなのか。

 一番掃除をしたい居間では食事のあともエリザさんが椅子に座っていた。テーブルに水晶玉を置き、手をかざして何かを見ている。

 邪魔しては悪い。風呂とトイレの掃除から済ませてしまおう。魔法の手伝いは出来ないので掃除で役に立たなければ。

「悪いな、お嬢。こいつ邪魔されるとすぐ集中乱れるからよ」

「いえ、大丈夫です」

 レイヴンは籠から出て私の肩に乗っている。あの籠は出ようと思えば自力で出られるらしい。

「あれは何をしてるんですか?」

「引っ越し先を探してんのさ。転移するのは一瞬だが、飛んだ先に十分な広さが無きゃ衝突してぐっちゃぐちゃだからな」

「ぐっちゃぐちゃ……」

「まあ、そもそも人里から少し離れたとこにしか住むつもりはねえから安心しな。あいつが気にしてんのは近くの町に良い店があるかどうかくらいだ」

 なるほど。今も村からは森を抜けた先にいる。同じように、こちらからは人里に行けて、逆に町の人は寄ってこない、という所を探しているのだろう。

 ふう、と息をついてエリザさんが水晶から目を離した。

「ルカ」

 ぱっと何も空間から地図を出して私を呼ぶ。

「地図は見たことある?」

「だいぶ前に一度だけですが」

 村で旅人に見せてもらったことがある。その時は村がどこにあるのかを教えてもらった。でも他の町に行く予定なんか無かったのでそれ以外はよく聞いていなかった。

「そう。引っ越し先はここよ」

 エリザさんが地図の一点を指差す。現在地からはかなり遠い。というか別の大陸だ。

「一番近い町はここ。この大陸では王都の次に大きな町ね」

「は、はあ」

 全く実感がわかず、生返事を返す。エリザさんは一瞬気の抜けたような表情を浮かべて、すぐいつもの余裕のある微笑みに切り替えた。

「まあ見てみないと実感わかないか。じゃあ、転移始めるわ。掃除は一旦やめて見てなさい」

「え、もう行くんですか!?」

「だって、ここにいる意味もないじゃない」

 そう言ってエリザさんは準備を始める。こんな急に始めるとは思わなかった。

 村を出たときは、森を抜ければすぐ戻れる距離だった。勿論戻るつもりはないけど、生まれ育った村の近さになんとなく安心していた。おそらく転移したら二度とここに戻ることは出来ないだろう。

 エリザさんはテーブルの中心に水晶を置き直し、テーブルに何かを描くように触れる。すると触れたところが光り輝き、魔方陣のようなものが浮かび上がった。

「行くわよ」

 それを聞いた直後、何かが家ごと包んだ感触がした。そして魔方陣の光が広がり、家中眩しいくらいに輝いた。私は思わず目を瞑った。


「はい、到着」

 光が収まった。声がして目を開ける。家の中は特に変化はない。

 変わった点といえば、少し肌寒いことくらいだ。

「この辺りは少し気温が低いみたいね。ちょっと外に出てみなさい」

「はい」

 外はどんなところだろう。わくわくしながら玄関の扉を開けた。

「え、うわあ!」

 驚いて一度扉を閉める。再びゆっくりと少しだけ開ける。

 外は一面、銀世界だった。今は降っていないが、地面には雪が積もっている。

「うわ、うわ! エリザさん、雪です! 初めて見ました」

「あら、そうなの。冬はこのくらい普通よ」

 面白いものを見たようにクスクスと笑われる。でもそれも気にならないくらいに興奮していた。

 地面の茶色も木々の緑も覆い尽くす白。空の青と地上の白で、世界が二色に分けられているようだった。

「さて、それじゃあ買い物行きましょう。その格好じゃ家の中でも夜は冷えるわよ」

「はい。って、エリザさん、その格好で行くんですか」

 エリザさんはまた黒いドレスを身に纏っている。綺麗だけど、肩も足も出ていて寒そうだ。

「大丈夫よ。魔法はこんなことも出来るの」

 私に向かって手を振る。すると一瞬だけ身体に見えない膜が張りついた感覚がして、寒さが和らいだ。

「わ、ありがとうございます」

 優しい温もりを感じながら、二人並んで町へ向けて歩き出した。

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