「人権」という言葉の意味と「人権作文」の意図についての自分なりの意見

暗闇研究所

「人権」という言葉の意味と「人権作文」の意図についての自分なりの意見

まず、自分の意見を述べる前に前置きとして「人権」という言葉の意味を調べてみましょう。

「人間が人間として当然に持っている権利。」と出てきました。

今度は、「人権作文」の意図は何なのかを探ってみましょう。

まず、「人権作文」を書く理由は人権について深く理解をするためにあると思っています。

自分で、インターネットや色々な文献を使い調べ上げることによってより深い認識、深い理解ができるという理屈です。

けれども最近は、どこかの文献をテキトー(ここがカタカナな理由は本当に何も考えていないという意味です)にコピーして貼り付けするだけ、つまり、パクってることが多いです。

何故なら、それが簡単だから。

何故なら、学校側もこの「人権作文」を惰性的にやっているから。

学校側が惰性的にやるなら、学校側が口だけで「やっております」感を出すなら、生徒だって口だけで「やっております」感を出す作文になってしまうのは当然だろう。

ここで私は一つ思ったことがある。

もはや、「人権」という言葉は形骸化しきってしまっているのではないかと。

「人権」という言葉を使うだけ使って、意味をまるっきり伝えぬまま来てしまったのではないかと。

私は、学校で使われる「人権」という言葉はあまり好ましくない。

何故なら、意味が入っていないから。

ここで誤解されたくないのは、私は「人権」の本来持つ意味は肯定するが、「人権」という形骸化しきってしまっている言葉は否定するという所だ。

つまり、私が言いたのは「人権」という意味を入れる箱を否定しているのであって、中身は否定していない。

「人間が人間として当然に持っている権利。」は一切否定しないが、「人権」という意味を入れるだけの箱を否定すると私は言っている。

くどいようだが、私は学校で言われる、惰性的で形骸化している言葉が嫌いなのだ。

私としても、何か努力しているのかと言われると怪しい所だが、私としても色々対抗したことはあった。

色々な人に軽蔑され、差別されたこともある。

少し、周りと違ってるだけでいじめにあうのだ。

それを見ても、見てみぬふりをした教師を私は忘れない。

そのくせして、「いじめアンケート」や「人権作文」を書かそうとする。

これは酷な話ではないか?

私はただ傍観していたわけではない。

私も私で悩んできたからこその答えである。

それを頭ごなしに、切り捨てるのもどうかと思う。

特に、この「人権作文」という物ではその人の人権という言葉の意味が出てくる。

その人の特有の人権の考え方も、人権によって保護されるべきではないか?

間違った意見もあるかもしれない、だが、それもその人の人生によって構築された価値観である。

その価値観を否定するということは、人生を否定すると同義であり、人権云々どころの話ではなくなって来る。

私のこの考えはもしかしたら、いや、確実に独りよがりな考えなのかもしれない。

だが、私のこの価値観は様々な経験を通して作り出されたものであり、私のこの価値観を真っ向反対して、教育委員会の思うような方向の思考に強制しようというならば、私は死んだと同義だ。

今までの人生を否定され、死んだと同義になるだろう。

最後に、結局伝えたかったことは何かというと「『人権』という言葉は形骸化してしまった。意味には賛同するが、言葉は否定する。」ということだ。

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「人権」という言葉の意味と「人権作文」の意図についての自分なりの意見 暗闇研究所 @densibuhin

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