転転転
誰も居ない夜の宮殿を進む紺の袴姿を、呼び止める声があった。両腰に刀を佩いた男が振り向き、その声の主に嘆息する。
「竜胆、こんな時間に何をしている?」
「竜胆さんは、こんな時間にも仕事をしているのさ」
白のスーツ、癖のある髪を適当に束ねた女が、貼り付けた笑みを浮かべて、夜の宮殿で立っていた。
隈が目立つ目を、態とらしく歪めて竜胆は男に一つの巻物を投げ渡した。
「今現状で動かせる軍の総数と物資量。それ以上はビタ一文出さねえよ」
「感謝する」
男は竜胆が投げ渡してきた巻物を、懐に仕舞い頭を下げた。
「おいおい、天下の将軍閣下が、こんな喪女に頭下げなさんな。こっちが恐縮する」
「だが事実、お前が居なければ、俺達はこの国、いや世界に使い潰されていた」
腰に佩いた刀の柄に手をやると、鯉口から鞘と刀身が擦れる音が漏れる。
「お前が己が身を顧みず、魑魅魍魎蔓延る政財界に身を投じ、その手腕を遺憾無く発揮してくれているからこそ、俺の様な武骨者が背中を気にせずいられる」
「あーあー! 聞こえない聞こえない! 真面目過ぎる!」
竜胆が耳を塞ぎ、体を捩らせ喚く。
男はその様子を見ながら、低い笑いを漏らす。
「くくく、相も変わらず素直ではないな」
「うっせーうっせー、真面目君がよー」
「なら、お前はどうだ? こんな時間まで働いているお前は?」
「今日の竜胆さんは、夜行性だからいいんだよ」
男がからかえば、竜胆は口を尖らせ、男に視線を返す。
窓から射し込む月明かりの中、和装の男の力無い笑みが浮かぶ。
竜胆は顔には出さず、表面上は普段の己を保ちつつ、内心で己の無力を悔やむ。
「なあ、もういいんじゃないか?」
「…なにがだ?」
「無理すんなって話だよ。和泉」
そして、山科椎名と共に最後の戦場に立っていた。
「仮に、俺が気付けていれば、あんな事には……」
「無茶言うなよ。大体、あの指令自体が偽物だったんだろ?」
「だが、俺はあの場の責任者だ。気付くべきだった…!」
「和泉…」
「気付くべきだったんだ…‥」
竜胆は知っている。和泉は責任感が強い。それは己を追い詰め、時として己すら断じてしまう程だ。
誰からも頼られ、皆を率いていく姿は、一見して頼もしく見えるだろう。
しかし、彼をよく知る者からすれば、それはある意味間違いだ。
「竜胆、俺は仲間を処断しようとしていた…」
「…思い詰めんな。それは私だって同じ様なもんだ」
彼は優しすぎる。彼は弱くはない。寧ろ、強い。
だが、優しすぎるのだ。故に、余計な重荷を自分から背負ってしまう。
凛々しい顔を歪める彼を見上げて、竜胆は脇に抱えたもう一つ巻物を手渡す。
「これは?」
「いいか? 思い詰めて、自分斬って楽になるなんざ、私らには赦されねえ。山科から全部奪ったのは私らだ」
「ああ、そうだな…」
「いいか? 私らに出来るのは、あれを起こした奴の首根っこ引っ掴んで引き摺り出して、ケジメつける。それだけ」
だから、それを読め。竜胆が和泉に手渡した巻物を指差す。
「私がタヌキジジイ共から引っ張り出したネタだ。いまいち、はっきりしなかったがな」
「……感謝する。正道には?」
「明日。さっき渡そうと部屋に行ったら、お楽しみの最中だった」
「そ、そうか」
和泉が気まずそうに額を掻く。竜胆自身は別に気にしていないが、貞操観念が堅い和泉には、少々厳しい話だった様だ。
「……正道が、その、済まない」
「気にすんなって、…神野も慰めは欲しいだろうさ」
「ぬぅ…」
唸る和泉を横目に、竜胆は己を淡く照らす月明かりを見上げる。自分達が居た世界と変わらない、青白い光とその天体。あまりに変わりが無さすぎて、異世界だと忘れてしまいそうになる。
「和泉、動かしたい奴が二人居る」
「麻野と浜名だな」
「お、以心伝心?」
「あいつらだけだ。山科の無実を、徹頭徹尾信じ抜いたのは」
「そうだな」
召喚勇者の中で、疑いもせず山科を、最初から無実だと信じた二人。それは今も変わらない。
麻野と浜名は、今でも山科の無実を信じている。
「あの二人を、どう動かす?」
「オーフィリア家と話をつけた。あの二人にだけ、山科を逃がした方角を教える」
「この国から離すか」
「賢明だろ?」
竜胆が目立つ八重歯を見せて笑む。淡く青白い月明かりに照らされた彼女は、その長い八重歯と肉食の獣を思わせる雰囲気に、和泉は思わず息を飲む。
「あの二人の立場は、少しばかり危うい」
「やはり、貴族から睨まれているか?」
「反逆者に味方したってな」
「…そうか」
言って、和泉は深く肩を落とした。
竜胆はそれを見て、ふと思い出した様に、言葉を吐いた。
「ああ、そうだった。和泉」
「なんだ?」
「お前、銃使えるか?」
「銃? 使えない事もないが、どうした?」
「グレイさんは狙撃された」
「……まさか、俺を疑っているのか?」
「いや、聞きたい事があるだけだ」
ありもしない嫌疑に眉をしかめる和泉に対し、竜胆は上げた手のひらを左右に振り、それを否定する。
「私らの中に、他に銃を使える奴は?」
「俺が知る限りでは、この国の召喚勇者では俺だけだが……」
「知ってる。あんたは無理だ。その時は、前線で戦線斬り開いてたってな」
「だとするなら」
「外部若しくは、それを隠匿してる奴」
和泉の予想を、竜胆が欠伸混じりに口にする。和泉が竜胆を見れば、目尻に涙を貯めた竜胆が、疲れた顔を向けていた。
「竜胆さんはさ、仲間を疑いたくはないよ。けどね、疑うしかない場合、徹底的に疑うよ」
「あまり、無理はするなよ」
「いつもの事さ。いつも、タヌキ共にしている事」
磨り減った笑みが、月明かりに浮かぶ。いっその事、一連の出来事が夢であったら、彼女はこんな顔をしなかっただろうか。
それとも、こんな顔させているのは、自分達だろうか。
「……息抜きぐらいはしろ」
「するさ。だから、今から家に帰る。……お気に入りの男娼が待ってる」
「…‥あー、あまり派手に遊ぶなよ?」
「セレ・エルフの男娼だ。元の世界なら、見た目は余裕で犯罪だぜ?」
「いや、本当に派手に遊ぶなよ?」
和泉が若干慌てた様子で言えば、竜胆はそれに八重歯を見せた笑みで返す。
「やるなら、徹底的に派手が竜胆さんだ」
淡い月明かりに照らされる彼女は、今にも消え入りそうで、それでながら力のある瞳と目立つ八重歯が、それとは真逆の印象を与えてくる。
和泉は息を一つ吐き出し、夜闇を行く竜胆について行く。
「お? 和泉もか?」
「馬鹿を言うな。こんな時間に女一人だけで帰らせるか」
「おおう、紳士的ー」
「喧しい」
二人は月だけが照らす宮殿の廊下を、いつかの日々の如く歩いていった。
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