This would is

 〝この世界は歪んでいる〟

 この世界の何時かの何処かの誰か、歴史に名は残らなくても、その言葉だけが残った賢者の言葉だ。

 歪ませたのは自分達だろうに、何を言っているのか。


 王宮にある資料庫で、一人の女が声にはせず、口内でそう呟いた。

 彼女は神経質そうな目を、鋭く歪めると、大きく欠伸をして、頭を掻いた。

 視界に、白い雪の様な埃が写る。

 頭を掻き出す動きに合わせて、眼下に広げた資料に降り積もるそれを女は一瞥し、疲れた笑みを浮かべ嘆息した。


 「フケが凄いな。臭いも…、ははは、ウケル…‥!」


 髪を後ろへ撫で付け、座っている安楽椅子の背凭れに己が身を預ける。

 木製家具特有の、擦れる様な軋みを聞きつつ、四角いフレームの眼鏡を外し、目頭を揉む。

 記憶にある限り、一週間はまともに寝ていない。無論、仮眠は取っていたが、この一週間での仮眠時間を合計しても、一晩の睡眠時間に満たないかもしれない。


 前へ後ろへ、安楽椅子を揺らし、女は積もりに積もった資料の山脈を見やる。


 「あ~、山科帰って来ないかな~…」


 言って暫くした後、天井を見上げたまま、動かなかった彼女は、


 「帰って来る訳ねぇだろおおおおおおっ!」


 安楽椅子の反動を利用して、雄叫びと共に資料の山脈を崩した。紙が崩れ去り、崩落で生まれた風に舞い上げられた紙が、彼女の視界を埋め尽くす。


 「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 馬鹿しかいねえ! なにが悲しくて、貴族様の一騎討ちごっこで、軍の損耗増やさにゃならんのだ!」


 ぐあーとも、うがーとも、なんとも判断のし難い唸り声を上げ、まだ姿を保っていた紙の山脈を、机ごと引っくり返す。


 「グレイさん、なんで死んだんだよー?! あんたが死んだら、馬鹿が団長になって、竜胆さんの負担は倍率ドンじゃんかー!」


 舞い散る紙吹雪が治まり、息を荒げた女竜胆が、安楽椅子に倒れ込むようにして座る。

 長い髪を振り乱し、低く唸りながら両手で顔を覆う。

 竜胆は、他の召喚勇者とは違い、直接的な戦闘能力は無かった。

 その代わりに、指揮系統能力。特に兵站に関する指揮能力に長けている。

 竜胆自身の見た目の派手さとは違い、目立つ事を嫌う。

 だから、この理不尽異世界に召喚され、自身の能力スキルを知った時は、正直感謝した。


 「ああー…、ああー…‥」


 竜胆が力無く呻き、机に倒れ伏す。

 他の皆には申し訳無いが、竜胆にはフィクションの異世界ファンタジー宜しく、剣を振るい魔法を唱えて戦うなど、ごめん被りたかった。

 だが、それと同時に歯痒い思いもした。


 あの日、今この国の召喚勇者を割ったあの事件。

 後方支援系の自分が居れば、もしかしたら結果は変わったかもしれない。

 否、変わらなかっただろう。しかしもしかしたら、そんな答えが出ない問答を繰り返し、自室と資料庫を行き来する毎日を送っている。


 「犯人は多分、この国か関係者。最悪、私達の中の誰か。そして、もしそうなったら…」


 竜胆は最悪の未来を予測する。只でさえ、この国は魔族の侵攻に加え、野心家の貴族連中は、他国に攻め入る事も考えている節が見えている。

 この国、レミエーレ王国は確かに大国だ。だが、未だ決着の影も見えない魔族領との戦争を続けながら、他国に侵攻する余力は一切無い。

 杜撰な兵站計画による浪費、竜胆達がもう少し早く召喚されていれば、これはなんとかなったかもしれない。

 だが、グレイ・オーフィリアの暗殺は違う。

 王国騎士団長、国防軍事の要の死により、王国軍は再編を余儀無くされ、実力も人望も無い貴族がその任を担う事になった。


 そしてその暗殺事件は、竜胆のクラスメイトであり、彼の恋人の山科椎名も巻き込んだ。

 国はグレイ・オーフィリア殺害を、山科椎名の犯行として、彼女を裏切り者とした。

 これが不味かった。

 彼女と彼の関係を知る者達は、全員が彼女を弁護し、彼女が事前に受けたという任務を調べ、彼女の無実を証明しようとしたが、結果間に合わなかった。


 山科椎名はグレイ・オーフィリア騎士団長を殺害し、王国軍の一部隊を壊滅させた容疑で処刑される事になった。


 あの時の山科の叫びは、今でも耳に残っている。


 「魂が裂かれる様な痛みってのは、ああいうのを言うんだろうね」


 耳を塞いでも、あの叫びは鼓膜を貫いた。

 グレイ・オーフィリアの部下達が、機転を利かせて彼女を逃がさなければ、事態はもっと最悪な事になっていた筈だ。


 「山科が生きている。それが救いか」


 もし、彼女が処刑されていたら、自分達は泥沼の殺し合いをしていた筈だ。

 竜胆は一度だけ目を閉じ、瞼の重みに逆らわず、眠ろうとしたが、肝心の目が冴えて眠れない。


 仕方なく、机に残っていた資料に目を運ぶ。

 どうにも、頭が働かない。

 だが、竜胆は働かない頭で一つの事を思い出す。


 「聞こえたっていう銃声、私達の中に銃を扱える奴は居ない筈」


 グレイ・オーフィリアは銃殺された。

 竜胆はその犯人が、自分達の中に居ない事を祈りながら、ゆっくりと目を閉じた。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 揺れた。城塞交易都市アレフトに住まう人々は、まずそう感じた。

 大きい揺れではない。僅かな微振動、だがそれは一定のリズムでアレフトを揺らしていた。


 その揺れの中、リラは目を覚ました。

 すぐに体を動かし、現状を確認しつつシーナを起こさなければ。

 そう思い、ベッドから出ようとしたのだが、体が動かない。

 何故かと一瞬疑問するが、毛布から出た肌に触れた寒気に、リラはすぐに答えを出した。


 野宿の時、寝惚けた時、夜冷え込んだ時、シーナはリラを抱き枕にして眠る癖がある。

 リラとしても不快感は無いのだが、自分とは違う圧倒的に肉感的で、柔らかな肉体に抱き締められると、抵抗する気持ちが失せ、ついついそのまま瞼を閉じてしまいそうになる。

 だが今は、それどころではない。


 リラは沈む様に抱き締められた体を捻り、シーナの抱擁から脱出、彼女を急ぎ起こす。


 「ご主人様起きてください! 緊急事態です!」

 「…なんだ?」


 すぐに起き、ベッドの脇に立て掛けられた砲剣の柄を握る。

 そして、緊急事態の内容に気付く。


 「揺れ? 地震じゃないな」

 「えらく規則的ですから、地揺れではないかと」


 リラが窓を開けると、外には異質な異変に起きてきた人々が、何が起きているのか突き止めようとしていた。


 「リラ、荷物。最悪は逃げる」

 「はい」


 鎧を身に付け、外套を羽織り、砲剣を背に負う。

 町全体が微細に揺れている。

 まるで、なにか巨大なものが、この町に近付いている様だ。

 シーナは、部屋を出る前に、開けた窓から町を囲む城塞と町を見た。


 「ご主人様?」

 「…急ぐぞ」

 「え? あ、はい!」


 嫌な予感がする。シーナは砲剣の柄を握ったまま、宿の外へと駆け出し、リラもそれに続く。

 階段を駆け降り、フロントに到着した瞬間、耳をつんざく悲鳴が聞こえた。


 「なにがあった?」


 シーナは丁度よく居た赤茶色の頭の重騎士に問う。


 「ん? あんたは昨日の。ああ、いや俺にも解らん」

 「…仲間は?」

 「もうすぐ来る。っと、来た来た」


 重騎士が巨体を目印に、人混みの中で大盾を頭上に翳すと、二人の男女が駆けてきた。


 「フェリド! と、昨日の人」

 「なにした?」

 「なあ、ハルファ。ソッコで俺疑うのやめね?」

 「なにがあった?」


 シーナははぐれない様に、リラを己の外套の内に抱き寄せ、若干苛立ち気味な目を向けた。


 「え、えっと、兎に角、なにが起きてるのかは不明。今は衛兵が市民を避難させているみたいで」

 「避難?」

 「そう、避難」


 シーナは溜め息を吐き、今までの経験から予測を出した。


 「下水道排水路からの魔族」

 「いや、その気配は無い。それに、そうだとしたら静かすぎる」


 ハルファの言葉に、シーナは頷き、更に深い溜め息を吐いた。


 「リラ、どっちが騒がしい?」

 「南です」


 リラが尖った獣耳を揺らし、指し示す方角には城門があり、人の流れは明らかにそちらへ流れている。


 「南にはなにがある?」

 「え? ああ、俺か。南、南か。…‥人造巨人ゴーレム工房があったな」


 フェリドの言葉に、シーナ以外の全員が目を見開き彼を見る。

 フェリドはたじろぐが、揺れは待ってくれない。

 シーナはフェリドの情報から、この揺れの原因を予測する。


 「鉄巨人アイアン・ゴーレム


 対城塞用人型巨大人形。その中でも、最重量級の存在が、このアレフトに迫っている。

 シーナはこれからを考え、城門を睨み付けた。

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