リフレイン

 過去が再生される。

 嗚呼、これは夢なのだと、青い装甲に身を包み、特異な武装を提げた女が、穏やかな陽射しの中、見覚えのある庭園で嘆息する。


 そう、夢以外有り得ない。

 もし、そうでないならば、


『シーナ』


 これが、夢ではないというならば、永久に覚めないでくれ。

 だが、夢だというならば、夢のまま終わらせてくれ。


『どうしたんだ? シーナ』

『なんでもない』


 夢だと理解している。だが、シーナは夢だと理解していても、眼前に広がる光景にそれを納得出来ずにいた。

 ここは、王宮の庭園。シーナがまだ王宮に居て、まだ仲間を信じていて、シーナがシーナになった場所。

 そう、山科椎名はここでグレイ・オーフィリアと出会った。


『相変わらず、綺麗な瞳だ』

『こんな小さく、ショボくれた目が綺麗?』

『ああ、俺にはそうとしか見えない』


 長身の彼は、小柄なシーナを後ろから抱き締めて、膝に乗せる様にし、シーナの地味な顔、特に目を見詰める。

 あまり、表情を変えない彼女も、この一時だけは頬を赤く染め、普段が嘘の様に表情を変えていく。


『シーナ』

『なに?』

『愛しているよ』


 私も、愛してる。

 声は音にならず、夢現の意識でも、もうすぐこの夢が覚めると解った。

 だからせめて、


『    』


 声にならなくても、想いを伝える事を許してほしい。

 枯れ果てていく庭園で、消えゆく愛しい人に手を伸ばし、彼女は赦しを乞うた。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 荘厳な宮殿の一室、そこに二人の男女がいた。


 「麻野、山科の行方は…」

 「行方不明」


 麻野と呼ばれた軽鎧を着込んだ女が、首を横に振る。

 その整った顔立ちには、強く深い後悔と密かな怒りが刻まれていた。


 「浜名、私どうして…」

 「言うな。あれは君だけが悪い訳じゃない」

 「でも、椎名は…‥!」

 「言うな。言わないでくれ」


 浜名という男は、両目を伏せ、深い息を吐き出した。

 瞼に焼き付いて離れないのは、最早動かぬ恋人を抱き締めた友人が、泥と血肉に塗れ、数多の兵士の亡骸の山の中で泣き叫ぶ姿。

 何時までも離れないその光景に、後悔と怒り悲しみが、胸から込み上げてくる。


 「あの時、あの明らかに怪しい作戦に反対しなかったのは、君だけじゃない。僕達もだ」

 「だけど」

 「麻野」


 浜名は麻野の言葉を遮る様にして、彼女の頭に手を置いた。

 麻野の穏やかな気質の様に、柔らかな髪質が伝わる。


 「悔やむだけなら、誰でも出来る。だけど、僕達にはそれは赦されない」

 「…うん」

 「理由や事情はどうあれ、山科から全てを奪ったのは僕達だ」


 唇を血が滲む程に噛み締め、今にも泣き出しそうな顔で、浜名は麻野の頭から手を離し、それでも強がりの表情を作った。


 「彼女は帰ってこない。これは予感だけど、多分そうだ。この国にはあの人との思い出が多すぎる」


 浜名が初めて山科の笑顔を見たのは、王宮の庭園で彼女がグレイと睦み合っていたのを、偶然見た時だ。

 華が咲くような笑顔とは、あの笑顔の事を言うのだろう。

 友人としてしか見ていなかった山科に、浜名は思わず見惚れてしまった。


 「僕達に出来るのは、彼女の無実を証明し、二人の無念を果たす事だけだ」


 浜名の言葉に、麻野は強く頷いた。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 「う、あ…?」


 微睡みの中、半ばぼやけた視界が捉えたのは、見覚えの無い天井だった。

 ゆっくりと身を起こせば、己が身を横にしていたのは、柔らかで清潔なベッド。

 ベッド横に立て掛けられた砲剣の柄を手に、シーナは今自分の置かれている状況を、寝惚けた頭で精査する。


 怪我無し

 違和感無し


 拘束や薬品の気配は無い。砲剣も側にある。

 部屋を見ても、牢獄とは違うと解る。

 鎧に外套、ターバン。必需品を詰めた頭陀袋も揃っている。

 しかし、その側にある鞄や小さい外套は己の物ではない。


 寝惚けたまま、肌着姿で立ち上がり、砲剣の柄と砲身上部半ばにあるフォアグリップを掴む。

 砲剣は剣というより、その扱いは槍に近い。

 長柄の重量物を振り回し、対個より対軍。その要となる砲弾を、薬室に魔力を籠めて形成する。

 剣の柄となるメイングリップにあるトリガーに指を掛け、扉へ刀身の切っ先を突き付け、


 「ご主人様、具合はどうで…‥!」


 突き破ろうとした時、尖った片耳の獣人の少女リラが、幾つかの皿が乗ったトレイを持ったまま、突き付けられた切っ先を見て硬直する。

 シーナは少し覚め始めた頭で、リラを確認すると、寝惚け眼で彼女に問うた。


 「リラ、ここは?」

 「ご主人様、まだ寝惚けてます?」

 「ん?」


 リラは下げられた砲剣を避け、トレイをテーブルに置いて、シーナに向き直った。


 「ご主人様、昨日の事を覚えてます?」

 「きのう?」


 未だ血が巡らぬ頭で、記憶を掘り起こす。

 昨日は確か、野宿を避けようと、普段より急ぎ足で付近にあるという町に向かっていた。

 湿地が多く、野宿に向かない土地、流石に湿った地面の上で眠るのは嫌だ。

 急ぎ足を早めた時、悲鳴が聞こえた。


 「ああ、そうだった」

 「思い出しましたか?」

 「謝礼だった」

 「正解です」


 街道の真ん中で、湿地を中心に生息するタケリシシに襲われている馬車があったので、一番大きい群れのリーダーに、砲撃を叩き込んだ。

 どうやら、身分の高い人物所縁の馬車だったらしく、助けた謝礼に上等な宿を宛がわれ、この町を出るまでの間だが、この宿は無料で泊まれる事になった。


 「今日はどうします? このまま、次の町へ?」


 リラの問いにシーナは、テーブルの上のスープに口を付けつつ考える。

 己を召喚した国からは離れたが、まだ隣国の端。追い付こうと思えば、奴等ならすぐに追い付ける距離だ。


 シーナはまだ重たい頭を空いた手で支えて、空になったボゥルをテーブルに置いた。


 「今日は、休もう」

 「…いいのですか?」


 リラがこちらを覗き込むように視線を送る。

 シーナは上等な白パンをかじり、少し疲れた顔を返す。


 「久々に上等なベッドで寝て、少し疲れが出た。それに、一日二日で追い付けるものじゃない」


 何処に向かうかも言ってないしと、シーナは続け、小皿にのった切り分けられた果物を一つ口に放り込む。


 「う…、ミケロミの実か」

 「酸っぱいのは嫌いでしたか?」

 「過ぎるのは嫌いだ」


 眉間に皺を寄せ、残った果実をトレイに戻した。


 「謝礼金もある。少し買い物をしてもいい」

 「調味料や薬品、保存食を買いましょう」


 リラがそこまで言い、シーナが部屋を出ようとすると、彼女は半開きになっていた扉を閉めた。

 シーナは何事かと、リラに目をやると、実に良い笑顔でこう言った。


 「ご主人様? 僭越ながら、ご主人様の肉体は、男性の獣欲を誘う理想像をしております。もし、外出されるなら、着替えてからの方が宜しいかと」


 完全に覚めた頭で、己の首から下を見れば、確かにグレイ以外の男には絶対に見せたくない光景だった。

 シーナはズボンを履き、シャツを羽織ったところで、部屋の窓を開けた。


 「城塞交易都市アレフト、この宿の店主によれば、この町で手に入らないものは無いとか」


 窓の外に広がる景色、それは黒鋼石こっこうせき製の城壁に囲まれた市場と城塞で構成された町だった。

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