砲剣士と獣人奴隷

 もう一度軽く刃を研ぎ、砲身を磨き、余分な油を拭い取る。

 手入れが幾分面倒な武器だが、これが無ければ女の一人旅はままならない。


 「ふぅ」


 シーナはフォアグリップにベルトを巻き直し、布で得物を覆う。

 背に負って、荷物を積めた頭陀袋を肩に担ぎ、部屋の扉を開く。

 薄暗い廊下を抜け、番台に顔を向ければ、昨日見た顔があった。


 「早いな」

 「あまり、一つ処に長居はしたくない」

 「そうか」


 禿頭の店主がその頭を撫でる。

 シーナがそれを見て、番台に背を向けた時、扉横の掲示板が目に入った。

 それは一枚の貼り紙。『生存、怪我無しのみ』の文字と幾ばくかの懸賞金。そして、地味な顔立ちの女の似顔絵。


 「それ、あんただろ?」

 「・・・だったら、どうした?」


 砲剣の柄に手を掛け、引き金に指を掛ける。

 振り抜くには遠いが、柄を引き倒し、肩に砲身を担いで引き金を引けば、直ぐ様砲撃を放てる。


 「あんたが何者なのか、何をしたのかはどうでもいい。懸賞金も大した額じゃないしな」

 「なにが言いたい?」

 「簡単な話さ」


 店主が言うと、宿の奥から一つの影が現れた。


 「あんたの事を黙る代わりに、こいつを引き取ってほしい」

 「利点が見当たらない。却下だ」


 昨夜見た獣人の奴隷とは違う、片耳の一部が欠けた獣人。

 首に首輪も、体の露出部分に奴隷を示す紋も見当たらない。

 シーナの知る限り、奴隷身分の者には、その身分を示す首輪か、一目見て解る部分に紋が刻まれている。

 だが、店主が尻をひっぱたいて、前へ押し出した獣人には、その何れもが見当たらなかった。


 「〝耳欠け〟は奴隷にするには、なにやら縁起が悪いらしくてな」

 「売り物にならないから、私に引き取れか?」

 「あんたがここに来たのは、誰にも言わん」


 まるで引き裂かれたかの様に片耳が半ば欠けた獣人は、黙ったままで、シーナと店主を交互に見比べている。

 服装からして少女と言っていい年頃、顔立ちもシーナと違って見栄えが良い。少し化粧でもして、服装ももう少しきらびやかにしてやれば、高値で買取り手がつく筈。

 なのに、縁起が悪い?

 シーナが疑問に思っていると、店主が面倒くさそうに口を開いた。


 「奴隷商人の話だと、〝耳欠け〟の獣人を取引した商人は、病かなんかで惨たらしく死ぬんだとよ」

 「面白い迷信だな。なら、お前もか?」

 「俺は違う。金になると思って拾ったが、この話で買い手がつかん。かといって、ガキに客を取らせるのも気分が悪い。というか、家はそういうのはやってねえしな」


 どうやらこの店主、素行の悪そうな見た目をしている癖に、妙な良識を持っている様だ。

 雇っている奴隷も、虐げられている様子は見られなかった。

 衣服もきちんとしたものを宛がい、身体も清潔に保っている。


 「一通りだが、身の回りの世話は出来る。飯もある程度なら、上等なものを作れる」

 「ほう」


 シーナが興味を惹かれたのは、食事の事だ。

 彼女も料理が出来ない訳ではないが、それは飽食の現代だから出来るだけであり、食材から道具に場所、全てを自分で揃えなければならないこの世界では、焼くか煮るかの二択だ。

 これから先、何処まで旅を続けるのかは解らない。

 まともな料理を作れる者が、一人でも同行していれば、楽しみの少ない旅に、数少ない楽しみが出来るかもしれない。


 「あの…」


 シーナが悩んでいると、消え入りそうな声で、獣人の少女が口を開いた。


 「なんでも、やります。だから、捨てないで」


 少女の言葉に、シーナは頭痛に似た痛みを感じた。皮膚の下で、脈動する様に疼く痛み。

 こめかみの血管を通う血液が痛覚に替わり、熱が体中を蝕む。

 あの時の、自分も、彼女の様だったのだろうか。

 シーナは痛みを堪える様に、眉間を揉み解し、深く息を吐き出す。


 「私は何処に行くのか解らない。行き倒れるかもしれない。野盗に襲われて売られるか、慰みものになるかもしれない。それでもいいか?」

 「構いません」

 「なら、付いてきたらいい」


 シーナが踵を返し、獣人の少女がその背に付いていく。


 「ちょっと待て」

 「なんだ?」


 宿から去ろうとしたシーナに、店主が慌てた声を掛ける。

 何かと、砲剣の柄に手を掛け振り向くと、他の奴隷達が鞄に外套等を持ち、シーナの傍らに立つ少女に手渡していく。


 「支度金、少ないがな」

 「えらく、気にかけているな」

 「まあ、後味悪いのは嫌いでな」

 「そうか」 


 店主が金の入った革袋をシーナ手渡し、少女の頭を撫でる。


 「達者でな」

 「はい」


 短いやり取りだったが、店主と他の奴隷達には十分だった様だ。

 少女が先を行くシーナに駆け寄り、隣を歩くのを見届け、店主は己の禿頭を撫でる。


 「どうかされましたか?」


 年長の奴隷がその店主に問うと、店主は軽く息を吐き。

 何かを思い出す様に、奴隷達に語った。


 「嘗てな、この町が滅びかけた時、ある貴族から恩を受けた」

 「それが、今の方ですか?」

 「いや、違う」


 店主が頭を振り、否定の後に話を続けていく。


 「もし、何も無ければ、そうなっていた人だ」

 「それは?」

 「都で何があったのか、細かい事までは知らん。だが、亡くなられたグレイ・オーフィリア卿の想い人に違いない」

 「店主は、その御方と面識がおありなので?」


 問いに店主は頷き、過去を懐かしむ様に目を細めた。


 「一度、この町に来た時にな」


 細めた目を一度閉じ、過去に浸る。

 あの時はまだ、子供だった。

 しかし、子供ながらに誇り高い在り方に驚いたものだ。

 嘗て受けた恩を返せず、燻ったままで過ぎていく。そう思っていたが、巡り合わせというものはあるものだ。


 「供回りは必要だろう」






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 「お前、名前は?」

 「リラと言います」


 シーナが聞くと、少女リラは狐に似た尖った耳を揺らし、シーナを見上げて答えた。


 「短いな」

 「本名は、言い切るのに時間が掛かりますので」

 「そうか」


 舗装された街道を進む。日は高く、雲一つ無い青空の下、二人は歩く。


 「あの、ご主人様」

 「なんだ?」

 「ご主人様は、何故旅をしているのですか?」

 「隠居」

 「へ?」

 「隠居出来て、頭のおかしい正義感まみれの連中が湧いてこない場所を探している」


 偏屈な人間というものには、宿での仕事で慣れていたつもりのリラだったが、シーナは想像よりも変わり者である様だ。


 「嫌なら、次の町で別れてもいい」

 「いえ、最後まで付いていきます」

 「そうか、好きにしろ」


 変わり者であるが、悪人ではない。

 リラは先を行くシーナの歩調に合わせて、早足で付いていった。

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