異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたから隠居したい
逆脚屋
逃避行
青い空、白い雲、涼しい風、冷たい地面。
手を動かせば、最早見慣れてしまった、青い装甲に包まれた腕が視界に入る。
鳥の鳴き声が耳に入る。燻った炭の匂いが鼻に届く。
時刻は朝、日の出から暫く、鎧を着たままで、硬い得物を枕にして寝たせいか、首を主に体中の関節が軋む。
痛みに耐えて体を起こせば、鎧が金属音を溢す。
「あ…」
掠れた声が喉から漏れた。
立ち上がり、埃を
ボロ炭になった薪を踏み潰し、布で包んだ得物を背負う。
己の背程もある鋼鉄の塊、以前なら持ち上げる事も出来なかった筈。
だが今は、そうではない。襤褸布と言ってもいい外套の襟を立て、ターバンを巻いて顔を隠し、森の近くの街道へと歩む。
「また、か」
この世界の何処の街道にもある掲示板、国の方針を民に伝える代弁者。その顔には見慣れてしまった貼り紙が、デカデカと貼り出されていた。
「身勝手な話だな」
探し人、安くない懸賞金まで記されている。救いが一つあるとすれば、『生存、怪我無しのみ』の文字だろうか。
身勝手な、身勝手な話だ。外套に隠した口が思わず動く。
誰も居ないとはいえ、この世界で信用している人間は居ない。
「行くか」
駅で馬が貸し出されていれば、借りよう。そう思い、財布を開き、同時に馬を借りるのを諦めた。
この先の物価がどうなっているのかは分からないが、馬を借りると宿代が出せない。
流石に連続野宿は避けたい。今は違うが、元は現代人。アウトドアが趣味でない限り、自分から野宿をしたがる文化は無い。いや、無かった。
外套の中で背の得物の位置を直せば、それを再確認出来る。
どうにもならない事とは言え、今の現状を未だに認めたくない自分が居るのも事実。
背後、見える筈の無い場所に視線を送る。
意味の無い、まったくもって意味の無い行為だが、あの場所は嫌いではなかった。
好きかと問われたら、瞬時に否と答えるが、居たくもないと言う程嫌いという訳ではなかった。しかし、今は視界にも入れたくないし、あの連中の話すら聞きたくない。
山しか見えない視界を前に戻し、歩みを進める。
思えば遠くに来たものだ。以前の自分なら、あの国を出る事すら叶わなかっただろう。
だが、今の自分は違う。
身の丈よりも長く重い武器を背負い、頭陀袋を肩に担ぎ、汚れまみれの外套で己を隠す。
間違いなく、職務質問は避けられない姿。
笑いが込み上げる。馬鹿みたいな話じゃないか。
身勝手な理由で呼ばれて、身勝手な理由で捨てられた。
誰も助けなかった癖に、今になって事務的な貼り紙で探し始める。
身勝手極まりない話だ。
「やっぱり、馬、借りるか」
思い出したら、やっぱり馬を借りる事にした。
早く隣国の更に奥、辺境に行こう。そうすれば、この国もあの連中も手を出せないし、目も届かない筈だ。
早く早く、逸る足を抑えて、辛うじて舗装されていると言える街道を進む。
無理をして急いで、足を痛めれば、確実に足止めを食らう。そうなれば、確実に奴等に話が届く。
奴等は迎えに来るだろう。悪びれもせず、善人面で善性にまみれた言葉を吐いて
『ああ、無事で良かった』
『私達が悪かった』
『もう一度やり直すチャンスを頂戴』
こんな吐き気を催す台詞を並べて、己の自由意思を無視した行動と発言を繰り返すに違いない。
なら
『無事? よく言う』
『だから何?』
『まさか、本気でやり直せるとか思ってるの?』
こう返す。そして、逃げる。腹いせに何人か殺してもいい。今更、この身には殺人に対して罪悪感は無い。
この得物で、何人斬って何人吹き飛ばしたか分からない。
ある意味では、己が捨てられたのは、この得物のせいでもあるのだが、これが無ければあっという間に食い物にされて、娼婦街に並べられていただろう。
笑い話にしかならない。
まあ、もうどうでもいい。
「宿場町か」
安い個室の宿があれば泊まろう。無ければ、水と食料を補給して、少し休んで先へ進む。
あの忌々しい国からは離れたが、まだ勢力圏内だ。
一つ処に留まるのは、最小限にしたい。
「一泊したい」
「風呂有り飯有りなら銀貨五枚、風呂有り飯無しなら銀貨三枚、両方無しの素泊まりなら銅貨五枚」
「…銀貨三枚」
「毎度」
あまり、外見から素行は良くない宿か。外套で顔を隠しているのに、気にも留めていなかった。
「顔を隠したいなら、部屋以外は隠しときな。ここらはそんなのばっかだ」
「…感謝する」
「はっ、奥の部屋だ。揉め事は起こすな。…あと、何かあれば、部屋に隠し扉がある」
「本当に感謝する」
鍵を受け取り、代わりに銀貨を三枚追加で渡す。
外見はボロかったが、内装は確りとしていて掃除も行き届いている。
部屋も割りと広く、風呂は水汲みポンプから湯が出た。
温泉でも湧いているのだろうか。
「ふぅ」
まずは酒場に行って腹拵えを済ませよう。風呂はそれからだ。
「なんだ?」
控え目なノックが聞こえた。
「店主から、ついでのサービスだそうです」
「…そうか。そこに置いてくれ」
無意識に握っていた得物の柄から手を離す。
如何にもな風体の店主だったから、もしやと思ったが杞憂だった様だ。
「銀貨三枚も追加を貰って、毒を盛るような恥知らずはしない。店主からの伝言です」
「…ああ、重ね重ね感謝すると、伝えておいてくれ」
頭を下げ、首輪の鎖を鳴らし、給士女が去っていく。
頭にあった獣耳から、獣人の奴隷か。しかし、血色は良く身なりも整っている。
あの店主、風体に似合わない事をする。
「手入れをするか」
背に負ったままの得物を下ろし、布を解く。
〝
砲と剣が一体になった武器であり、唯一私だけが扱える武器だ。
砲身下部に取り付けられた刀身を磨き、砲身にも油を挿す。
この世界に召喚された時、既に〝
それは他の連中も同じで、近代兵器を中世ファンタジー世界で手にしていた私を、不可思議なものを見る妙な目で見ていた。
同じ世界から呼ばれたクラスメイトで、そうだったのだ。
違う世界の、身勝手な連中が私をどう見ていたのか、気付いておくべきだった。
異物の中の異物。魔物に攻められ、存亡の危機に瀕した国を救う為に召喚した勇者達の中に、自分達の知らない武器と能力を得た者が居る。
不確定な存在は排除した方が、後の安全に繋がる。
私自身、身勝手な理由で召喚されて、命の取り合いをさせられるのだ。
あの国の連中に好印象は持っていなかったし、常に疑っていたのも原因だったかもしれない。
指示通りに戦地に向かえば、そこに居たのは敵である魔物ではなく、あの国の兵隊。生きる為に戦い、生き残った私を待っていたのは、愛した人。
誰からも信用されず、愛した人を死なせ、裏切り者にされ、それでもあの人の部下達だけが信じてくれて、生き延びた。
「グレイ…」
形見の指輪を握り締め、愛した人の名を呼んでも、私を呼んでくれたあの声は聞こえない。
この世界で唯一、大切だと思えたあの人。
仇討ちをする事も考えた。だが、私には出来なかった。
誰が仇なのか解らず、誰をどれだけ殺せばいいのかすら解らない。
第一、私は疲れきっていた。
馬鹿みたいな話だ。
馬鹿みたいな、笑い話だ。
もうどうでもいい。
私は勇者ではない。あんな連中には、もう関わらない。
私はあの人との思い出を胸に生きる。
何処か異世界の、遠く離れた異国の辺境で隠居しよう。
身勝手に異世界に呼ばれて、身勝手に奪われて、身勝手に捨てられたのだ。
残りの人生、好きに生きる権利はある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます