第19話 これからも、ずっと隣に

 校門の前にあった石段に座って、俺は宮崎を待った。

 手持ち無沙汰になったので、携帯を弄る。

「はぁ……」

 どうせ役になど立たないのが分かっているのに「話題 女子高生」で検索。『絶対JKにモテるマル秘テクニック!』とかいう怪しいサイトがあったので、興味本位で開いてみる。

「ふむふむ」

 セクハラは駄目。直ぐに馴れ馴れしくしない。自慢話は嫌われる。書いてあることは、好かれるというより人として嫌われない最低ラインみたいな話だ。テクニックは一体どこに行った。

 うん。あんまり役に立たないな、このサイト。

 まぁ、そもそもこういうものに頼ろうとしているのが間違っているのだが。

 人との会話、特に宮崎とのそれにおいては、不測の事態が起きない方が珍しいくらいなのだ。どんな心構えを持っていても、準備をしていても、大方無駄になる。

「遅くなってごめん」

 三十分くらいは待っただろうか。思ったより早く、宮崎は校門にやってきた。

 さっきまでのメイド服とは打って変わって、今度は見慣れた制服姿。やっぱり、制服も似合ってるよなぁ、と純粋な感想が頭に浮かぶ。

「これ、食べる?」

 すると、宮崎はパックに詰められたたこ焼きを差し出してきた。

「たこ焼き?」

 取り敢えず、俺はパックを受け取った。

「たこは入ってないけどね」

 宮崎はリュックから割り箸を取り出して、二つに割る。それから柔らかいたこ焼きを器用に箸でつまみ、俺の口に近付けた。

「はい、あーん」

「いや、え?」

 状況が掴めず、俺は持ち上げられたたこ焼きと宮崎の顔とを交互に見た。急に何をしようとしているんだ宮崎は。

「箸、一つしかないし」

 言いながら、宮崎はぐいぐいとたこ焼きを俺の顔に近付けてくる。

「いや、だったら宮崎が食べれば良くないか?」

「八つは多いよ」

 宮崎は俺の手に持っているたこ焼きのパックに視線を落とす。宮崎だって昼には何か買って食べたのだろう。それを考えると、確かにこのたこ焼きは一人で食べるには多かった。

 多いのは分かる。分かるけども。

「落としちゃいそうなんだけど」

「……はい」

 俺は数秒の葛藤の後、たこ焼きを食べた。ちょっと冷めたたこ焼きは、宮崎の言う通り、たこが入っていない。ってことは、この料理は「焼き」とでも呼べば良いのだろうか。

「テニス部の人達が、生地だけ余ったって言って配ってたんだよね」

 言いながら、宮崎は同じ箸でたこ焼きをぱくり。

 別に間接キスがどうのとか言うつもりは無いけどさ。もしかして宮崎って、俺のことを異性と思ってないんじゃないか? だとすると、子猫と別れた日のハグとか、色々と説明がついちゃうんだけど。

「というか、箸を貸してくれよ。普通に食べるから」

 同じ箸を使うのを気にしないとすれば、別に交代で食べたって何の問題も無いはずだ。

「はい」

 しかし、無慈悲にも目の前に突き出されたのは箸でつままれたたこ焼き。どうして急に人の話を聞かなくなったんだ宮崎。

「いや、まぁ、宮崎が良いなら構わないけどさ……」

 結局、宮崎は丁度食べた量が半々になるまで、これを繰り返した。普通に恥ずかしいんだけど、どうして宮崎は平然としてるんだ?

「何か言いたげにもぐもぐしてるの、ちょっと可愛いね」

 最後のたこ焼きを口に入れた時、宮崎がこんなことを言い出した。

「可愛いって言われても、あんまり嬉しくないけど」

「あと、いっくんって呼んだ時の反応も可愛い」

「だから嬉しくないって」

「別に喜ばせるために言ってるんじゃないから。ただの感想」

 パックをビニール袋に入れて、宮崎は駅の方向に歩き出す。慌てて追うと、微かに鼻歌が聞こえた。最近街でよく流れている、流行りの曲。明るいラブソングだ。

「何でそんなにテンション高いんだよ」

 俺が横をちらと見ると、宮崎はきょとんとした顔をする。

「え、私、そんなに元気だった?」

「自覚が無いのが怖いくらいには」

 普段、絶対鼻歌なんて歌わないだろ。

「まぁ、嬉しかったんじゃない」

 宮崎は、まるで他人事のように自分の感情を語る。

「あー、メイド喫茶、大盛況だったもんな」

 常にそれなりに人が居た店は、あそこくらいだったと思う。裏方で頑張った上に、休憩中にメイド服を着て宣伝するほど力を入れていたのだから、成功は相当嬉しいだろう。

「まぁ、それもあるけど」

 宮崎は少しだけ先行して、振り返るようにして俺を見る。

「誰かさんが帰りに誘ってくれたのが、嬉しかったんだと思う」

 少し汗ばんだ宮崎の肌が、夕陽でキラキラ輝く。風で乱れた髪さえも、計算されて作られた芸術のように美しかった。

 身体の奥底から、何かが込み上げてくる感覚。

「俺も、一緒に帰れて嬉しかった」

 宮崎は俺の言葉にはにかんで、持っていたビニール袋を楽しげに揺らす。

 何だか妙にふわふわとした雰囲気が漂った。

「た、たこ焼き、美味しかったな」

 何だかその雰囲気に動揺してしまって、俺は話を逸す。

「なんかテニス部の副部長が料理上手で、材料から焼き方まで、めっちゃこだわったんだって。凄いよね」

 宮崎が学校の方を向く。フェンスの向こう側には、テニスコートがあった。

「テニス、今も続けてるんだよね?」

「あぁ、うん。でも、未だにそんなに上手くはないけどな」

 俺はラケットを素振りするジェスチャーをした。結局、俺って正式な大会で勝ったことは数えるほどしか無いからなぁ。五年もやって、予選通過なんて夢のまた夢ってレベルの実力なのは、もう才能が無いからとしか言いようがないだろう。

「中学の時、びっくりしたよ。毎朝ジョギングしてたから、偉いなぁって思ってた」

 宮崎は顔を上げ、空のスクリーンに思い出を映しているようだった。

「それくらい、やってる人は幾らでも居るだろ」

 俺なんかよりずっと部活熱心な人なんて、世に溢れていると思う。 

 すると宮崎は、顔を上げたままで、すっと目を細めた。

「中総体って、文化部はどこかの応援に行かなきゃいけないでしょ? 最後の中総体でさ。私、別にどのスポーツも興味なかったから、美術部の人に付き合って女子テニスの応援に行ったんだよ」

 その話を聞いて、俺は思い出す。そういえば、女子テニス部のエースと美術部の部長は友達だったっけ。

「ほら、男子テニスって女子テニスと会場が同じじゃん?」

「あぁ、そうだったそうだった。懐かしいな」

「だから、男子テニスの団体戦も、決勝だけ見に行ったんだよね」

 宮崎が恐ろしいことを言ったので、俺の足は止まった。

 中学最後の中総体。それも、団体戦の決勝なんて、完全に俺の黒歴史じゃないか。

「つまり、俺の恥ずかしい姿は宮崎に目撃されてたってことか」

 俺が頭を抱えると、宮崎は首を横に振った。

「恥ずかしくなんて、ないと思うけど」

「いや、でも……」

 俺が何か否定の言葉を探し始めると、宮崎はそれを遮って話を続ける。

「私、毎日いっくんがジョギングとか筋トレとか素振りとかして、凄く頑張ってるの知ってたから、勝手にレギュラーなのかなって思ってたんだよね。でも、違った」

 そうだ。俺は結構頑張って練習したのにもかかわらず、団体戦でレギュラーに選ばれることはなかった。ウチの部は強豪で選手層も厚かったから、仕方がない部分はあるが、まぁちょっと切ない思い出だ。

 しかし、宮崎の捉え方は違ったらしかった。

「最後の大会で出場出来ないなんて嫌だろうなあ、って思ってたんだよ、私。あんなに頑張ってたのに、報われないなんて悲しいだろうなぁ、って思ってたんだ。なのに、いっくんは、誰より声を張り上げて仲間を応援してた。それで、決勝で負けた時、誰より悔しがって泣いてた」

「その話は恥ずかしすぎるから止めて欲しいんだけど……」

 俺は自分の顔を押さえて悶える。あの時の俺の盛り上がりようは一体なんだったのか、未だに良くわからない。とにかく一つ言えるのは、俺にとってその出来事は、良い思い出であると同時に黒歴史的な側面もあるということだ。

「恥ずかしくないよ」

 宮崎は繰り返し俺の言葉を否定して、それから、自分の髪に触れた。

「私ね。その時、頑張るってどういうことなのかを教えてもらえた気がしたんだ。自分も頑張らなきゃ、って思った。変わりたいって、そう思えた」

 風が吹いた。

 街路樹が、揺れる、揺れる。

 夕陽だけじゃない。見るもの全てが確かな輝きを帯びている。

「私が今、沢山の友達と文化祭で楽しく出来てるのは、多分、いっくんのおかげなんだよ。いっくんの方は、隣に住んでるのが私じゃなくても大して変わらない人生だったかもしれない。でも、私は、いっくんが隣に住んでて良かったと思ってる」

 宮崎はそう言い切ってから、照れ臭そうにはにかんだ。

 俺は何だか泣きそうになってしまって、さっきまで宮崎がしていたように、顔を上げる。宮崎がそんな風に思っていたなんて、知らなかった。

「……俺、不思議だったんだ。根性もやる気も無い自分が、どうしてジョギングだけはずっと続けられてたのか。今思うと、俺、実は宮崎に良いところを見せたかったのかもしれない。ずっと見てる人が隣に居たから、頑張れたんだ。その、だから……」

 俺は拳を握りしめて、宮崎を真っ直ぐ見つめた。

「宮崎が、隣に住んでて、俺も良かった」

 顔に熱が集まっているのを感じる。色々な感情が綯い交ぜにになって、訳が分からない。ただ、一つだけはっきりしていることがあった。

 俺は、宮崎が好きだったんだ。気が付かなかっただけで、ずっと、ずっと好きだったんだ。


「宮崎のことが、好きだ。これからもずっと、俺の隣に居て欲しい」


 それは、本当に自然に口から出た言葉だった。

宮崎は、俺の言葉に大きな目を見開いて、唇を震わせる。それから静かに、涙をポロポロと流した。

 俺は驚いてしまって、慌てて言葉を付け加える。

「いや、勿論、宮崎が良ければだけど。ごめん急にこんなこと言って」

 確かに、唐突すぎたかもしれない。でも、どうしても言いたくなってしまったのだ。

「私、泣いてばっかりだね。この前も、修学旅行の時も」

 宮崎は涙を拭って、おかしそうに笑う。しかし、溢れる雫は止まっていないようだった。

「でも、嬉し泣きは初めてかも」

 宮崎は、俺をぎゅっと強く抱きしめた。

「約束する。私は、ずっといっくんの隣に居るから」

 そして宮崎は、俺の腕の中で、顔を見せずに告げる。

「……大好きだよ」

 俺達はしばらく、その場で抱きしめ合った。もしかしたら誰かに見られたかもしれないが、それでも構わなかった。

 互いの存在を確かめ合うように、俺達は触れ合う。

 どうして、今まで気が付かなかったのだろう。

 俺達はずっと、手を伸ばせば触れ合えるほど近い場所に居たのに。どうしても臆病で、自分の気持ちに無自覚で、機会を逃していた。

 でも、もう大丈夫だ。

 この先、住む場所が変わろうと、何があろうと、俺達は隣同士でいられる。

 夕陽のオレンジ色に包まれながら、俺はそんなことを考えた。


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