第13話 どうか、頑張れますように
宮崎が、俺を誘った理由。
それは、子猫との別れに俺も立ち会って欲しいからだったらしい。
「いや、何もしてない俺が居て良いのか?」
「何もしてないってことはないでしょ」
宮崎が半目で俺を睨んでくる。
「でも……」
「あんな雨の中だったから、いっくんが子猫を見つけなかったら、私は気が付かなかったと思う。だから、いっくんにもこの子が里親の人のところに行くのを見届ける権利はあるでしょ」
宮崎が真剣な表情で言うので、俺はそれ以上反論できなかった。それに、この子猫には俺だって多少の愛着はあった。どんな人が里親となるのか、興味がないと言えば嘘になる。
……ん?
何だか、今の会話に違和感。
「……いっくん?」
俺は思わず、自分の中で引っかかった言葉を口に出してしまう。俺、今、宮崎に「いっくん」って呼ばれなかったか?
「宮崎、お前今……」
「どうかしたの平田?」
涼やかな顔で宮崎が首を傾げる。
……ただ、耳は真っ赤だ。
「普段名字で呼ばれることってあんまり無いな」
大抵の友達からは「樹」と呼ばれるし、結構新鮮な体験だ。
「それじゃ、行こっか。近所の人だから、直ぐ着くと思う」
宮崎は俺の話を無視して、どんどん道を進んでいく。
もしかして宮崎って、頭の中では俺のことを「いっくん」と呼んでいたりするのだろうか。まぁ、洋子さんが常に俺をそう呼んでいるから、それが伝染るっていうのは無い話じゃない。
ただ、これ以上聞くと怒られそうな予感がするから止めておこう。
宮崎と無言で歩くこと十五分。話しかけようかどうかで迷い続ける時間が一先ず終わり、俺は胸を撫で下ろした。
到着したのは、古めかしい一軒家。宮崎がインターホンを押すと、感じの良いお婆さんがゆっくりとやってきた。
「こんにちは」
お婆さんはとても丁寧に俺達へ会釈した。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
俺達も同じように会釈をすると、お婆さんはにっこり笑う。
「それで、猫ちゃんはここかしら?」
お婆さんは俺のケージを覗き込む。俺が見やすい高さに軽く持ち上げてやると、子猫とお婆さんの目線が丁度合った。
子猫は怯えた様子で、お婆さんに威嚇し始める。
「とっても元気で、素敵だわ」
お婆さんは威嚇を気にせず、寧ろ喜んでいるようだった。確かに、元捨て猫ともなると体調は心配かもしれない。
「はい。病院で診てもらったら、奇跡的にとっても健康体みたいで」
宮崎もまた、お婆さんの反応を喜んでこう付け加えた。俺も何だかこのお婆さんと一緒なら、この子猫は幸せに居られるような気がする。
「ここで話すのも何だから、上がっていって」
お婆さんは引き戸を開けて、俺達に家に入るよう促した。
「お邪魔します」
宮崎が先行して家に入っていくので、俺もその後を追った。そりゃあ当然、猫を渡してハイ終わり、とはならないよな。色々と話すべきことはあるだろう。
お婆さんの家は外装と同じく、中も昭和の香りが残っていた。俺達は二枚並ぶ座布団に座る。お婆さんは、何も言わずにお茶を用意してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は感謝して、受け取ったお茶を一口飲んだ。
隣の宮崎はそれどころではなく、リュックから書類やらオモチャやらを取り出している。
「えっと、じゃあ、お医者さんに言われこととか、伝えておきますね」
宮崎はお婆さんに良く分からない書類を見せて、小難しい話をしだした。動物を飼ったことのない俺にはちんぷんかんぷんだったが、お婆さんは理解出来ているらしい。
見れば、襖が開けられ丸見えの隣室に、仏壇がある。そこにはお婆さんの夫と思われる男性と、目付きの悪い猫の写真が置かれていた。
どうやらお婆さんは、ペット経験者らしかった。ほぼ間違いなく、宮崎よりも動物と触れ合った経験は豊富だろう。優しい雰囲気だけじゃなくて、知識の上でも心配は無さそうだ。
その後、俺はずっと、宮崎とお婆さんの会話を黙って聞いていた。多分、この場に俺が居る必要性は無かったが、来てよかったと思った。
子猫が好きなオモチャやご飯の話を本当に嬉しそうにする宮崎。
ケージの中の子猫を本当に愛おしそうに見つめるお婆さん。
こんな二人の愛を受けて、幸せにならないほうが嘘だと思う。良かったな、子猫よ。お前の将来は安泰だぞ。
「あら、もうこんな時間」
相当話し込んだ後、お婆さんは棚の上にあった置き時計が視界に入ったようだった。俺も時間を確認すると、時刻は既に七時半。辺りは暗くなっている。
「もう、帰らないと」
宮崎は窓の外を見つめて、独り言のように言う。
「そうね。あんまり遅いと親御さんが心配しちゃうわ」
流石に俺達も高校生だから、七時くらいで心配されることは無いだろう。ただ、帰るのを遅らせれば遅らせるほど、別れが惜しくなるのは明確だった。
「私達、そろそろ帰りますね」
宮崎はようやく決心したようで、勢いよく立ち上がった。俺もそれに合わせて立ち上がる。
「にゃあ」
ケージの中に居る子猫が、宮崎を見上げてか細い声で鳴いた。その声音には、不安の色がある。
「大丈夫だ。お前の次の飼い主は、ちゃんと良い人だから」
俺は思わず、子猫に話しかけてしまった。分かっているのか、分かっていないのか。子猫は静かに俺の話を聞いてくれた。
「うん。私もそう思う。だからね、心配することないんだよ。これからあなたには、幸せな毎日が待ってるんだから」
宮崎は子猫に微笑みかけて、そして、小さく手を振った。
「じゃあね」
子猫は、宮崎の背に向かって、ずっと鳴いていた。
それはまるで、「どうして置いていくんだ」とでも言いたげで。
宮崎はこれから、どうしても子猫に会いたいならば、この家に来ることも出来るだろう。あの人の良さそうなお婆さんなら、快諾してくれるに違いない。
しかし、宮崎とこの子猫が、一緒の家に暮らすことはもう無い。
「……え」
帰り道、俺はふと宮崎のほうを見て、言葉を失った。
宮崎は、静かに涙を流していたのだ。大粒の雫が、頬に、顎に、首筋にまで流れても、宮崎は拭おうともしない。
俺は何か気の利いたことを言おうとしたが、どうにも言葉が出てこない。結局俺はあくまであの子猫を見つけただけで、そんな俺が何を言っても、慰めにはらない気がしたのだ。
「ごめん、私、急にこんな……」
宮崎は俺の動揺する姿に気付いて、嗚咽混じりに謝罪の言葉を言った。そして、俺から顔を逸らそうとする。
「謝ること、無いだろ。俺は、幾らでも泣いてくれて構わないから」
宮崎の手を掴んで、身体をこっちに向けさせる。俺は彼女の濡れた双眸を真っ直ぐ見つめた。結局、俺は宮崎の心を穏やかにしてやることは出来ない。でも、だからって見て見ぬ振りして、逃げるのだけは違うと思った。
「今日さ」
宮崎が俯いたまま、ぽつりぽつりと何かを話し始める。
「急に呼んじゃったから、驚いたよね」
「それは、まぁ、驚いたけど」
内容もそうだが、特に先輩の絶叫にはかなり驚かされた。
「何か、いっくんが子猫を見つけたんだから行く権利がある、とか適当なこと言ったけどさ」
「え、あれ適当だったの!?」
衝撃の事実に、俺は思わず声を上げる。
次の瞬間、俺はもっと驚いた。
宮崎が、抱き着いてきたのだ。
「ただ、私のことを、見てて欲しかっただけだったんだよ。そうすれば、勇気が出る気がして、泣かずに別れられる気がして……でも、やっぱり駄目だ。我慢できなくて、泣いちゃった」
宮崎は、話しながら抱き締める力を強めた。こんなところ誰かに見られたら、と思ったが、辺りには誰も居ない。街灯に照らされた夜道に映るのは、俺達二人の繋がった影だけだ。
「我慢できただろ。猫の前でも、お婆さんの前でも、泣かなかった」
「だって今……」
「俺の前で我慢する必要なんて無いって。知らない仲でも無いだろ」
少し冗談めかして言うと、宮崎がぷっと吹き出す。
「全然話したこと無いのに?」
「話したこと無いのに、知ってるんだから仕方ない。宮崎が泣いたところなんて、何度も見てるからな。学習発表会で台詞間違えた時だろ、あと、中学の修学旅行の時とか……」
「止めて。それ、マジで恥ずかしいやつだから」
宮崎が上目遣いで俺を睨んでくる。俺が思わず笑うと、宮崎もまた笑った。
「……ありがと」
宮崎は、そっと俺から離れる。触れ合っていた腕や腹に、むず痒い感覚と、妙にぬくい体温が残った。
でも、残ったのはそれだけではない。俺はその時、自分の中にずっと残るであろう何かを、確かに感じたのだった。
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