第12話 電話緊張するなぁ……誰?
テニスコートが、焼けるように暑い。
午前授業の日は、日中に部活動をすることになる。地獄のような気温の中で、俺達はラケットを振るのだ。
「熱中症になっちゃ不味いから、一旦休憩な!」
部長が待ちに待った号令を出して、俺達は一目散に日陰へ逃げ込んだ。涼しい、とまでは言わないが、強い日差しに晒されるよりずっとマシである。
俺は水筒のお茶をぐいっと飲んだ。冷たさが喉から胃に移動していくのを感じる。
「はー、練習きつい……」
言いながら、何か連絡が無いかと携帯を確認した。特にメールや電話の類は来ていない。
すると、突然電話がかかってくる。
登録されていない電話番号だが、見覚えがあった。
「……宮崎?」
多分、そうだよな。この前見た宮崎の番号はこんな並びだったはず。
「どうした、樹?」
部員の一人が俺を見て不思議そうな顔をする。
「いや、なんか、急に電話が来て」
「ただの電話でそんなに驚くか?」
「俺、そんなに驚いてた?」
そこまで感情を隠せるタイプだとは思っていなかったが、俺って自覚以上に顔に出やすい人間なのだろうか。
「ちょっと貸してみ」
俺達の話を聞いていた先輩が、俺の携帯を奪う。
「え、ちょ、先輩」
俺が何か言う前に、先輩は俺の携帯を操作し、耳に当てた。
「もしもし、俺、樹!」
先輩は元気いっぱいに電話口の向こうへ挨拶する、
「いや、俺、そんなに元気よく名乗らないですよ」
多分突っ込み待ちだろうから、一応突っ込んでおく。
しかし、相手の声を聞いて先輩の顔色が変わった。そりゃそうだ。うちの部活に居る奴らは皆女っ気が無いし、俺の電話相手なんて男友達しか居ないと思っていたのだろう。確かに普段ならその予想は大当たりだが、今は例外中の例外と言うべき電話が来ているのだ。
「えっと、部活は……今日暑いしそんなに長くやらないと思います」
何か急に先輩が宮崎へ部活の予定を話しだした。
しかも敬語で。
宮崎と俺は同い年だから、先輩は絶対に年上なのだが。
「あぁ、はい。伝えときます……」
先輩は何度か頷いて、そして電話を切った。
いや、切るのかよ。
宮崎が連絡をしたかったであろう俺に何の情報も入ってないんだが。まさかとは思うが、本気で俺と先輩を間違えたんじゃないだろうな。声質も全然違うのに、だとすれば結構ショックだ。
「ほれ」
先輩は俺に携帯を返し、日陰からテニスコートの真ん中に歩いていく。
こんな暑いのに何をしているんだと、テニス部全員の注目が先輩に集まった。
「樹―――!」
先輩は後ろで手を組み、応援団長のようにして声を張り上げた。何だか、滅茶苦茶嫌な予感がする。
「お前に電話をかけてきた滅茶苦茶可愛い声の女の子がなーーー! 帰ってきたら直ぐに私の家に来てくれだってーーー! 一緒に行きたい場所があるとも言ってたぞーーー!」
校庭全部に響いたのではないかと思うほどの大声で、先輩は宮崎の伝言を俺に伝えてくれた。
しばしの沈黙。
先輩は、テニス部皆に向けてサムズアップする。テニス部の面々は、笑顔で頷いた。
「裏切り者は殺せ!」
「いやいやいやいや、誤解ですって!」
テニス部内鬼ごっこ、開催(鬼12名 逃走者1名)。俺達はその日、限界まで走り続けた。
結局、隣に住んでる女子だから何かお裾分けとかがあるんだろうと言うと、一応皆は納得してくれた。しかしそれはそれで羨ましいということで、明日には第二回テニス部内鬼ごっこの開催が決定したのだった。
……明日、学校行きたくねぇなぁ。
鬼ごっこのせいで皆の体力は結構早く無くなり、予定より早く部活はお開きになった。
だから、勿論家に帰るのも結構早い。
俺は帰り道で徐々に冷静になるにつれ、事の重大さを理解し始めた。
宮崎が、俺を何かに誘う。
これは、初めてのことである。それも、どこか行きたい場所があるということは……。単純に考えて、デートの誘いってことで良いのだろうか。
「……そう決めつけるのはまだ早いか」
重い荷物があってどうしても男手が必要とか、先輩が宮崎の言ったことを曲解して俺に伝えたとか、色々と可能性はある。
何にせよ、実際に会えば分かる話だ。
俺は家に帰るなり、自分のクローゼットを漁って、何とか多少マシな感じの格好をした。
そして家から出ようとすると、母さんが俺の姿を見て
「どこか出掛けるの?」
と聞いてきた。
何だか宮崎に誘われてどこかに行くとは言いづらい。
「ちょっと康太が近くに来てるらしくて、話してくる」
「夕飯までに帰ってくるの?」
「多分」
宮崎とどこに行くのか、全く分からないから、確かなことは言えなかった。しかし母さんはそれくらいの情報で満足したようで「いってらっしゃい」と言ってリビングの方へ行ってしまった。
「いってきます」
俺は扉を開けて、家を出た。いつも通り、ちらと右を見ると、そこには宮崎が立っていた。大きめのリュックを背負っており、両手で大きなゲージを持っている。
「あ……」
俺に気付いた宮崎は、こちらに歩いてくる。膝がゲージに何度もぶつかって、痛そうだ。
「……持とうか?」
俺が聞くと、宮崎は「お願い」と言ってゲージを手渡してきた。中を覗くと、そこには子猫が入っていた。俺の方を見て、不安げに「にゃあ」と鳴く姿は、身体がやや大きくなっても変わらない。
「うん、可愛いな、コイツ」
今までコイツを見た時は、可愛いという感情を出すどころじゃなかったので気が付かなかったが、この元捨て猫はかなり整った顔立ちをしていた。
「でしょ」
宮崎は自分が褒められた訳でもないのに誇らしげだ。
「にゃあ、にゃあ」
子猫はゲージの中から、宮崎に助けを求めている。狭いところに閉じ込められるのは辛いよな。
宮崎の方へ鳴き続ける様子を見るに、子猫は宮崎に随分懐いているようだ。まぁ、それもそうか。宮崎が動物に並々ならぬ愛情を注ぐのは、ムギとの散歩を見ていれば誰にも分かることだ。毎日見ている俺からすれば、疑いようもない事実と言っても良い。
それに、母さんからも宮崎が子猫の世話に苦労しているという話は聞いていた。その苦労のおかげでこんなに可愛く育ったのだから、本当に良かったとしか言いようがない。
「それで、猫と俺を連れて何処に行くんだ?」
俺が当然の疑問を口にすると、宮崎の顔が曇った。
宮崎は下唇を少し俯いて、それから、意を決した様子で俺の方に顔を向けた。
「この子の里親が、見つかったの」
事情を何も理解していなさそうな子猫が「にゃあ」と短く鳴いた。
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