第10話 そっか、彼女、居たんだ

 みどりちゃんに絡まれた日から二日後の土曜日。

「お邪魔しまーっす!」

 みどりちゃんは、恐らく三年ぶりくらいに俺の家を訪ねてきた。親戚の集まりとかじゃ未だによく会うから久しぶり感は無いが、成長したみどりちゃんが家に居るのは結構新鮮だった。

「どうしたの急に!」

 と母さんは突然の来訪に驚いて、慌ててリビングを掃除しだす。

「いや、ちょっと、いっちゃんに謝らないとと思って。お酒飲んでたとはいえ、変な絡み方してごめんね」

 みどりちゃんは、両手を合わせて俺に謝罪した。

「そんなに気にしなくて良いって」

 確かに大変ではあったけど、謝られるほどのこととも思えない。そんな風にされると、逆にこっちが申し訳なくなってしまうくらいだ。

「ま、その時いっちゃんを見て懐かしくなったっていうのもあるんだけどね」

 みどりちゃんは辺りを見回して「この家も変わらないね」と呟く。

「家なんか、そう簡単に変わらないでしょ」

 そう突っ込むと、みどりちゃんは歯を見せて笑う。

「そうなんだけど、何か安心した」

 何の変哲もないこの家に、安心する人が居るというのは驚きだった。とはいえ、俺だっていつかこの家を離れたら、似たようなことを思う日が来るのだろうか。

 考えてみれば、まだ先だと思っていた卒業までだって、あと二年もないのだ。進路は人それぞれだろうが、俺だって家を出るかもしれない。

 宮崎だって、きっとそうだ。

 結構時間って無いんだな、と思う。俺と宮崎は、十七年かけてようやく挨拶するところまで漕ぎ着けた。このペースでいったら、きっとまともに話す前に疎遠になるだろう。

 それはなんというか、勿体無い気がする。

「入ってきて大丈夫よ」

 母さんがみどりちゃんに呼びかける。

「ありがとう、おばちゃん」

「お茶でも出す?」

 母さんが聞くと、みどりちゃんは持っていたビニール袋を持ち上げて、俺達にアピールする。

「お詫びにケーキ買ってきたんで、一緒に食べよ!」

 それから俺とみどりちゃんと母さんの三人は、ケーキを食べながら色々と話をした。叔母さんと叔父さんの話や、みどりちゃんの通う大学の話。就職活動の愚痴とか、この前振られた彼氏への恨み辛みなんかも話題に挙がって、特にみどりちゃんと母さんはヒートアップしていた。

「あんなクソ男やめて、いっちゃんと添い遂げます!」

 みどりちゃんがわざとらしいくらい真面目なトーンで声を張る。

「こんな息子で良いなら好きにしなさい!」

 母さんも勢いでそれに応じた。

「いや、俺の意思は?」

 一応突っ込んでやると、みどりちゃんが上目遣いでこちらを見てくる。

「お姉さんじゃ不満?」

「いや、不満とか不満じゃないとかそういう問題じゃないから」

 そもそも本気じゃないだろうに。

 すると、みどりちゃんは俺に不満げな顔を向ける。

「私ほどの女を振るなんて、これはいっちゃん、好きな娘が居るね!」

「適当なことばっか言うなよ……」

 高校生なんて結構な割合で好きな人が居るものだ。適当にカマをかけて正解してように言うのは、まるきり詐欺師のやり口である。

「そうやって誤魔化すってことは居るね! どんな娘?」

「え、樹、そういう人居るの? 言ってくれれば相談に乗るのに!」

 みどりちゃんと母さんがニヤニヤしながら俺をからかってきた。二人共、間違っても当たってても盛り上がれば良いって顔をしている。

「んじゃ、コンビニ行ってくるわ」

 ムカついたので、とにかく逃げることにした。俺はケーキを食べ終え、席を立つ。

「ごめんって! 拗ねないでよー」

 みどりちゃんは俺の腕を掴んで、足を止めようとする。俺は無視してどんどん進んでいくが、みどりちゃんは手を離そうとはしない。みどりちゃんを引きずったまま、俺は玄関に着いた。

「いい加減にしてくれ……」

 未だに俺の腕にぶら下がったみどりちゃんを見て、俺はため息をつく。

「そんなに怒ると思わなかったの。ほら、謝るからさ……」

 みどりちゃんの言葉が、途中で止まる。

 我が家の扉が、インターホンもなく開いたのだ。こんな真似をするのは、洋子さんか或いは……。

「あの、親戚から梨が届いたので、渡してこいってお母さんが……あ」

 扉を開いた宮崎は、玄関の前でくんずほぐれつしている俺達の姿を見て、短く声を上げた。

 三人で固まること、十数秒。

 宮崎は梨の入ったビニール袋だけを玄関に置いて、無言で立ち去った。表情は、真顔だった。努めて感情を表に出さないように気をつけているような、気味の悪い真顔。

 気付けば、みどりちゃんは俺の腕を離していた。

「あの娘、誰?」

 みどりちゃんの唇が震える。

 今俺がどんな表情をしているのかは分からないが、恐らく、俺の顔を見て只事ではないと思ったのだろう。

 ただ、宮崎のことを「誰か」と聞かれても、俺には答える言葉が見つからなかった。多分、幼馴染ではない。ただ、単なる隣人と言うには、互いのことを知りすぎている。とはいえ友達ではないし……。

「え、何? 誰?」

 俺がなかなか答えないので、みどりちゃんは益々焦っている。

「……俺が、気になってる人だよ。ずっと、ずっと」

 たっぷり考えに考えて、俺の口から出てきた言葉は、それだった。うん。違和感ない。宮崎は俺にとってずっと「気になる人」だ。

「その気になる人が、滅茶苦茶真顔で出ていったんだけど、それっていっちゃん的には大丈夫な感じ?」

「大丈夫じゃない感じ」

 俺が短く答えると、みどりちゃんはいよいよ青ざめて

「ごめんなさい」

と言った。

 しかし俺の方はと言うと思ったより冷静だった。

 そういえば、ちょっと前にこういうことがあったな、と思う。宮崎が男子と居るのを目撃した時のことだ。

 宮崎は、あの時こんな気分だったんだろうか。

「大丈夫」

 俺はみどりちゃんの肩に手を置く。

 ぽかんとした顔のみどりちゃんに、俺は宣言した。

「誤解はちゃんと解くから」

 俺達の家は隣同士だ。話す機会だって、幾らでもある。

 みどりちゃんは肩に置いた俺の手に触れる。

「何ていうか、いっちゃんも大人になったんだね」

 みどりちゃんは、少し大人びた笑みを浮かべた。

 

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