第5話 やっぱり、優しいんだね

 激しい雨の日だった。外で練習が出来なかったので、テニス部はミーティングだけで終了。俺が今所属している高校のテニス部は、そこまでやる気がある感じではないのだ。県大会常連で、全員がガチだった中学校の頃のテニス部とは全く違うノリである。

 まぁ、俺も中学の時のテニス部のノリをもう一度、と言われると困ってしまうから、丁度いいんだけど。

「次は、桜ヶ丘駅前。桜ヶ丘駅前です」

 俺はアナウンスを聞いて、降車ボタンを押す。ピンポーンと電子音が車内に響くと「次、止まります」とアナウンスがあった。

 バスのエンジン音を聞きつつ、車窓から雨に滲む街を眺める。

 雨は嫌いだ。

 何だか憂鬱になる。特に今日みたいな、じめっとした雨が一番嫌いだった。

「はぁ……」

 これからこの雨の中を帰るという事実に、足が重くなる。いつかやったゲームみたく、家にワープ出来ればいいのに。

 それから俺はバスを降りて、家に向かって歩き出した。まぁ、大した距離じゃない。さっさと突っ切ってしまおう。

「にゃあ」

 聞き間違いかな、と思った。傘に当たる雨粒の音が大きくて、普通なら聞き逃してしまいそうな程に小さな声だったから。

 しかし、もし、聞き間違いじゃなかったら?

 俺はさっき聞こえた声を頼りに、来た道を少し戻った。すると、電柱の裏にはびしょびしょに濡れたダンボールがあった。

「……本当に、こんなことってあんのかよ」

 ダンボールを開けると、そこには冷たい雨に震える子猫が居た。全身が茶色だが、お腹のところに薄っすら縞模様がある。結構特徴のある見た目だ。

 思わず手を伸ばすと、子猫は信じられないほど小さい前足で、俺の手の甲に触れる。微かにある体温が、消えゆく命の温度を感じさせた。

 助けないと。

 でも、どうやって?

 俺には、こうした捨て猫をどうすれば良いのか、知識がない。父さんが動物嫌いなので、間違いなく家で飼う事はできないだろう。じゃあ、どうすれば?

 インターネットで「捨て猫 どうすればいい」と検索しても、色々な情報が出過ぎていて、どれが本当なのか分からない。とにかく分かったのは、こういう捨てられた動物を助けるというのは、それなりの手間と、命を預かる覚悟が必要だということだけだ。

「くそっ、頼む。ちょっと待ってろ!」

 俺は持っていた傘を子猫に差してやって、ずぶ濡れになりながら家に帰った。

「アンタ、傘持っていかなかったの!?」

 母さんが俺の姿を見て驚いている。しかし、それにも構ってはいられない。とにかく、あの子猫を何とかしなければ。

「捨て猫って、見掛けたらどうすればいい?」

 俺はただいまも言わずに、母さんに質問した。俺だけでは、知恵が足らない。でも、大人ならもう少しマシな判断をしてくれるだろう。そう思ったから、俺は一旦家に帰ってきたのだ。

「放っておくしか無いでしょ。飼えないんだから」

 即答だった。何というか、当たり前の答えだ。家で飼うのが無理なら、無責任に拾ったり世話したりする訳にはいかない。

「でも……」

 もし明日の朝、あの場所に子猫の亡骸があったらと思うと、俺はやっぱり、放置だけは出来なかった。

「可哀想だけど、どうしようも無いわよ。それとも、アンタが飼ってくれる人を探すの?」

 母さんはどうやら、俺が帰り道に何を見たのか察したようだった。

「それは……」

 簡単に見つけるのは、難しいだろう。そもそも、見つかるまでの間どこに置いておけば良いんだという話だ。

「まぁ、私だって見捨てたくは無いけどねぇ……うーん」

 母さんは腕組みして何か考えている。

 俺はというと、これ以上考えても何も案が出てくることは無さそうだった。それでも、やっぱり居ても立っても居られない。

「とにかく、もう一度様子を見てくる!」

 俺は鞄を玄関に投げ捨てて、傘も持たずに走り出した。

 制服のシャツが、身体に貼り付く。靴の中にも水が入って、気持ち悪い。髪から滴る水滴が、目や口に入る。

 それでも、足を止めない。

「はぁ、はぁ……」

 肩で息をして、子猫の元へ急ぐ。

 そしてゆっくりと電柱の裏を見ると……

「……え?」

 子猫は、どこにも居なかった。

 俺が置いていった傘すら、全く見当たらない。

 誰か優しい人が、拾ってくれたのだろうか。それとも、別の何かがあったのだろうか。

 俺はその場に立ちすくんで、しばらく雨に打たれた。




 家に戻ると、扉の前には俺の傘が置かれていた。シンプルな紺色の傘。名前も書いてなければ、ストラップも付けていない傘だ。

「……どうして」

 猫が消えたことも、傘が戻ってきたことも、全て意味がわからない。

 とにかく家に戻ろうとすると、強烈な悪寒が俺を襲う。身体が雨で酷く冷えて、くしゃみが出てきた。

「ただいまぁー」

 俺が本日二回目の帰宅をすると、母さんは呆れたような、でも、ちょっと優しい表情をした。

「顔色悪いわよ、バカ息子。で。猫はどうなったの?」

「消えた……」

「消えた?」

 母さんは訳がわからないと言った風に肩をすくめていたが、俺も分からないんだから、仕方がない。

「あー、やばい。だるい……」

 俺は身体が濡れているのも構わず、玄関に倒れ込んだ。

「ちょっと、大丈夫?」

「多分、大丈夫じゃない……」

 微睡む意識の中で、ぼんやり思う。

 あー、これは俺、風邪引くな。間違いない。


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