第4話 何でこのタイミングで電話が来るの!?
早朝。あくびを噛み殺しながら我が家の扉を開ける。
「行ってきます」
母さんに一言伝えてから家を出て、俺はふと右へ視線を向けた。
「……」
「……」
宮崎と目が合う。
どうやら、俺達二人は全く同じ時間に家を出てしまったらしかった。しかしこれは別に偶然だとか運命だとか息ピッタリだとかではない。
必要に迫られて、俺たち二人はこの時間に家を出るのである。
「さ、行こっか。ムギ」
宮崎は俺から視線を外すと、何事もなかったかのように愛犬に話しかけた。賢そうな顔立ちの柴犬は、嬉しそうに鳴き声で返事をする。
宮崎は、小学六年生から犬を飼い始めた。小さい頃からずっと動物が好きだったらしい彼女は、飼う時に両親と交わした「ずっと世話をする」という約束を未だに守っているのだ。……これも母さんから聞いた話だが。
とにかくそういう事情があって、学校に行く準備をする時間との兼ね合いにより、宮崎は朝早くに犬の散歩をせざるを得ないのである。
そして俺も、朝のランニングがある。これは中学校の頃に部活の顧問から強制されていた特訓だが、卒業した今でも日課になっているのだ。
学校に行かなければならないのは、俺も同じ。ランニングを終えてから着替えることも考えると、やはり時間を変える訳には行かない。
「よしっ!」
宮崎に気を取られてはいけない。俺は自分の頬を軽く叩いて気合を入れた。そして、いつも通りのコースを走り出す。中学生の頃から変わらない道順である。
向かうのは、家から5分ほどの距離にある広々とした公園。公園と言っても遊具などはなく、綺麗に整備された散歩コースがあるだけの場所だ。自然のよく見えるこの公園は俺のお気に入りの場所でもあった。
「ムギ、ちょっと待って。早いって」
そして、俺に遅れて宮崎も公園にやって来る。
俺はそれを無視して、ただただ走った。いつも通りのことだから、別段動揺することもない。
中学生の頃から、俺も宮崎も、早朝に向かうのは常にこの公園だった。場所を変えることも考えないではなかったが、まるで俺が宮崎を意識しているみたいに思われそうだったので、意地でも変えないことを決めた。
すると宮崎の方も意地を張っているのか、それともムギが余程ここを気に入っているのか、犬の散歩コースを変えようとはしなかった。まぁ、単に俺のことなど視界に入っていないというだけかも知れないが。
「……」
「……」
互いに、無言ですれ違う。微かにした甘い香りを振り払って、俺は走る速度を上げた。何だか視界に何も入れたくなくて、だだっ広い空を見上げる。
どうしてこうむず痒い気持ちにさせられなきゃならないんだ!
別に宮崎が悪い訳ではないが、正直、関わると碌な事にならない。いや、そもそも大した関わりなんて無いんだけど。
その日の夕方。母さんが「この前約束したのにやらなかったじゃない」と言って、俺に草むしりを命じてきた。そんな約束したかなぁと思ったが、考えてみれば、そんな返事をしたことがあったような気もする。
仕方がないので、俺は庭へ向かった。見ると、小さな畑には思ったほど雑草は無い。これなら、結構早く終わりそうだ。
「やるかー」
しゃがみこんで、ぴょこんと出ている短い草を引き抜く。
ピシャリ。
急に音がして、俺は肩をビクリと震わせた。音がした方向を見ると、そこは宮崎家の二階の窓。この暑いのに、どうして窓を閉めたのだろうか。
何にせよ、俺には関係の無いことだ。今は草むしりに集中しよう。
「あ、もしもしー?」
それからしばらくして、突然宮崎の声が聞こえた。どうやら、電話をしながら庭に出てきたらしい。
「そうなんだよ。この前も散々でさ」
何やら、愚痴らしい話が聞こえてくる。盗み聞きをしているようで気分が悪いが、俺にはどうすることも出来ない。というか、この庭の構造を知っておきながらここで電話をするというのは、どうかしていると言う他無い。
「仲良い女の子が紹介してくるから、断りきれなくてさ。周りからは男漁りしてるとか誤解されて、ほんと最悪」
どうやら宮崎は、男子からモテモテで選り取り見取りだという噂に辟易しているらしかった。なるほど、仲の良い女子が紹介してきた男子に下手な態度は取れないか。美人ってのも考えものだな。
「高校に入って、頑張って変わろうとしたけど、そしたらこんな変な噂って……こっちはなるべく断ってるのに。何かもう嫌になってきた」
何だか、宮崎のあまり人が知らなさそうな悩みを知ってしまった。これ、俺が知ってしまって良いやつなんだろうか。何だか不安になってきたぞ……?
そもそも、草むしりしている俺の存在に、宮崎は気付いているんだろうか。きっと気付いていないから、こんな話を結構大きな声でしてしまったのだろう。
これは、謝るべきだ。純粋にそう思った。
「宮崎!」
俺は衝動的に立ち上がって、宮崎の声のする方を向く。
「本当にすまん! 盗み聞きするつもりは無かったんだ!」
言いながら、頭を下げる。
「……」
反応が無いので、俺は顔を上げ、宮崎の方を見た。
携帯電話を耳に当てながら、呆然と俺の方を見ている宮崎。
「あ、そうか。通話中なのに大声出したら不味いか。本当にすまん……」
俺は声のボリュームを下げて、再び宮崎に謝る。
「いや、謝らなくても」
宮崎が何かを言いかけた瞬間、言葉を遮るようにして、電子音が鳴り響いた。
明らかに、携帯の着信音である。一瞬自分の携帯が鳴ったのかと思ったが、俺のは部屋で充電中だ。つまり鳴ったのは……。
「っ!?」
宮崎は耳に当てていた携帯を一瞬で操作し、その着信音を止めた。物凄い早業である。というか……。
「通話中に着信?」
普通、繋がらないんじゃないか? 俺が首を傾げると、宮崎はみるみる頬を赤らめていく。
そして、走って逃げていってしまった。
「何なんだよ、一体……」
本当に、宮崎と関わるともやもやすることばかりだ。
着信が来たってことは、通話してなかったってことだろ? じゃあ、一体なんであんなことを話してたんだ?
俺は思い立って、宮崎家の二階の窓をもう一度見た。確かあの窓は、宮崎の部屋だったはず。あそこからならば、庭でしゃがんでいる俺の姿も見えるだろう。
もしかしてアイツは、庭に俺が居ることに気づいてたんじゃないのか? だとすると、あの電話をするフリは……。
気づくと、草むしりは終わっていた。単純な作業は、考え事をしながらすると早く終るのだ。集めた草をゴミ袋に入れてから、俺は手を洗うために洗面台へ歩いた。
廊下を歩くと、どうしてか思考が加速する。
まさか。
まさかとは思うけれど。
康太の言葉を真に受けて、俺を安心させようとしたなんてことは無いだろうな。
いや、無いはずだ。冷静になれ。
じゃあ何であんなことをするんだ?
分からないけど、宮崎がそんなに俺のことを気にする理由がないだろうが。
「外、暑かったの?」
母さんが話しかけてきて、俺の思考は一時停止した。
「いや、別に」
平静を心掛けてそう返事をすると、母さんは台所の方へ目を向ける。
「顔、赤いわよ。熱中症だと嫌だから麦茶でも飲んで休みなさい」
俺は手を洗った後、大人しくその言葉に従った。
これは、熱中症ではない。その自覚はある。
ただ俺は、一時的な熱に浮かされているだけなのだ。
「頭を冷やせ、俺!」
冷たい麦茶を一気に飲み干して、俺は独り言を叫ぶ。しかし、幾ら冷静になったところで、宮崎のことへの答えは出そうにも無かった。
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