閉会宣言
【あがり】
──それから、どれ程の月日が流れただろうか。
俺は今だにしぶとくこの世界に食らい付いていた。
走って、走って、走って──。走り続けていた。
『避けろ』
これで何度目の指示であろうか。俺はもう、その言葉に聞く耳を持たなくなっていた。
ただひたすらに走れば良いだけだ。簡単なことである。
この世界がどの様な構造になっているかは分からない。——何千、何万ものステージがあって、そのどこかにワープさせられているようなものなのだろう。
俺はそうした試練を何度も繰り返しているうちに、だいたいの傾向や攻略法を見出すようになっていた。
「もう飽き飽きだよ……」
俺は達観していた。あらゆるステージを熟知していたのである。
『素晴らしい……』
声は言った。
相変わらず、この声の主が何者であるかは分からないが、こうして褒められるのは初めてだった。
どちらかと言えば、声の主は仕掛け側──敵であるイメージの方が強いので、そうした称賛の言葉を受けるのは意外であった。
『来い』
声の主は、まるで何かを願うかのように呟いた。
初めて聞く言葉であった。
恒例のように、声の主の合図で壁が四方に倒れる。次のステージが始まった——。
「ん? あれっ?」
ところが、俺は思わず首を傾げてしまう。モニタールームとでも言うべきか。壁一面にモニターが並び、様々な景色の映像が映し出されている。——そんな部屋の中に俺は居た。
部屋の中には一人の男の姿があった。
耳にインカムを付けたその男は、画面を見詰めながら何やらぶつくさと呟いている。
「あの、えっと……」
俺が声を掛けると、男はハッとなって振り返った。
「来たか」
俺は思わず目を見開いてしまう。
──来い。
先程聞いた声の主と、声色やトーンが同じである。
何かと俺らに語りかけて来た声の主──それが目の前に居るこの男であるようだ。
男はインカムを外すと床に置き、大きく伸びをした。
「あの……」
男の行動の意味が分からず困惑してしまう。
「この時を待っていたんだよ。ここに誰かが来てくれる、その時をね」
心なしか、男は嬉しそうである。
「えっと、あの……どういうことです?」
「ご覧の通り、ここはこの世界の管制室みたいになっているんだよ。この部屋は特殊でね。ここからインカムを通して、世界のあちこちに声を送ることができるのさ」
男は身を屈めると、床に置いたインカムを指でチョンチョンと突いた。
「声を送る?」
「うん。君も何度か、僕の声は聞いていると思うけど……」
やはり、散々俺らの脳内に語りかけて来た声の主──それが目の前のこの冴えない男であるらしい。意図的に、ここから俺たちに声を送っていたのだ。
「まあ、電波が弱いらしくてね、長々とお喋りできないのが残念だけれどね。なるべく必要な情報は送ったつもりだよ」
男は白い歯を見せて笑った。
「初めに僕が此処に来たのは……そうだね。もうどのくらい前になるのかな。モニターの中で、様々な悲惨な映像を見せられて胸を痛めたものだよ」
男は思い出しながら悲しそうな表情になって俯いた。
「モニターを見ながら、どうにか力になれないものかと思ってね。置いてあったインカムであれやこれやと指示を送ってみたんだよ。まあ、実際に体験した訳じゃないから、ちゃんとは伝えられなくて犠牲も出ちゃったんだけどね」
男はくぐもった声で、ぼそぼそと呟いた。あんなにも脳内でクリアーに聞こえていた音声なのに、どうにも聞き取りにくい。
確かに、思い返してみてれば声の主はヒントをくれても直接的に答えを教えてくれなかった。それは単純に、この男がコースの全貌を把握していなかったかららしい。
「ありがとう御座います。貴方のお陰で、生命を救われました」
それでも、実際に声お主のヒントに生命を救われたのは事実である。
俺が頭を下げると、男は恥ずかしそうに手を振った。
「あ、いや。いいんだって。もう僕は終わりにするからさ」
「終わり?」
俺が首を傾げていると、男は大きく頷いた。そして、部屋の隅にある赤色のドアに向かって歩き出した。
「もうずっと此処に居て、疲れちゃったんだよ。いい加減、楽になりたかったのさ。……それでもさ、僕が居なくなっちゃうと声を送れる人が居なくなっちゃうからね、一応、次の人が来るまで待つことにしていたのさ」
「そんな……」
折角出会えたというのに、どうやらこの男は死ぬ気らしい。ショックを受ける俺に、男は笑顔を返した。
「君は、多くの修羅場を潜ってきた。それに絶対に死なないっていう意思を持っている。……だったら、この部屋に居て、僕の代わりにみんなを救ってくれないか? この部屋は、扉さえ出なければ崩落することもないし安全だから、気楽に過ごしてもらって大丈夫だよ」
俺は、男の言葉になんと答えを返したら良いものかと考えあぐねていた。
「頼むよ。後は、君の好きなようにしてくれて構わないから」
それはつまり、指示を送る役目を放棄して扉から逃げ出しても良いという意味なのだろう。
そうなると、事情を知らずにこの世界に迷い込んだ人たちの生存の可能性はぐっと低くなるだろう。
「どうするかは、君に任せるよ。だから、後は君が判断してくれ」
──バタン。
男はそう言い残すと赤色の扉から外へと出て行ってしまった。
俺は深く溜め息を吐いた。
──ここに居れば死ぬことはない。
既に事切れているので、生命も何もあったものではないのだが──。
ふと、壁のモニターに目が行った。
画面の中では、十字路の中央で女の子がどちらに行ったら良いのか分からず、オロオロしていた。俺は画面に食い入ってしまう。
その女の子に、俺は見覚えがあった。
「詩音……」
思わず呟いた。
──詩音だ。
二度と会えないと思った詩音の姿が、モニターの中にあった。
俺の中から迷いが消えた。
インカムを手に取り、耳にはめる。
「生きたければ走れ。それが、この世界のルールだ」
俺の言葉に、画面の中の詩音が目を見開いたような気がした。
詩音は俺の言葉に従い、足を動かした──。
この世界の中で、俺達はいつまでも足を動かし続けている。
死なないために——また巡り合える日が来るように、俺たちは歩み続けた。
Something more dash! 霜月ふたご @simotuki_hutago
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