第20コーナー「出だしの一歩」

 これまで村絵の手前、強がっていた詩音であったが段々と不安になってきたらしい。

「私たち、もう生きて帰れないのかなぁ……」

 そんな弱音が口から出ていた。

 本人も無意識に発していた言葉だったらしく、詩音はハッとなって苦笑いを浮かべた。


「なあ、詩音……」

 俺が呟くと、詩音は顔を上げた。

「何か、夢はないの?」

「夢?」

「うん。ここから出たら、何かしたいとかさ」

 俺の問いに、詩音は首を捻って考えるような素振りを見せた。

「そーね……。お嫁さんに、なりたいかなぁ」

「お嫁さん? わたし、おねぇちゃんのドレス姿、見たいなぁ! きっと、かわいいもん」

 詩音を見詰める村絵の瞳が輝く。

 そんな村絵を見て詩音も和んだようだ。表情が明るくなる。

「ありがとう。嬉しいわ、村絵ちゃん。そうなったら、是非見に来てね」

「うん! 絶対に行くよー!」

 女子二人が顔を見合わせて笑った。そんな二人のやり取りを見て、俺は心がほっこりするのを感じた。

──これが、生きているという感覚なのだ。

 これまで余裕がなかったので、久しくこんな感情を抱けてはいなかった。


「村絵ちゃんは? 村絵ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」

「私はね、ピアノの先生!」

 村絵が両手の指を器用に動かして、ピアノを弾くジェスチャーを見せる。

「毎日ね、お部屋でピアノを触ってるの。お母さんが買ってくれたものー」

「へー、いいわね。村絵ちゃんならきっと、なれるよ!」

「うん、頑張る。だから、お姉ちゃんも頑張ろうね!」

 お互いに励まし合ったことで、二人に活力が溢れていた。実に心強い限りである。


 そんな二人の微笑ましいやり取りを見ながら、俺も自分自身に思いを馳せた。

──早くこんなふざけた世界から脱出して、母さんのところに帰らないと──。

 陸上部の仲間たちと仲直りして、もう一度一緒に走りたい──。

 そんな思いが湧き上がってきたものだ。


「……なら、そろそろ覚悟を決める時だぜ」

 水槍が体を起こし、衣服の埃を手で払いながら言った。

「死なない為に、生きないとな」

 水槍の言葉に俺は頷いた。

「終わらせないために走りましょう。生きて、ここから出るんです」

 詩音や村絵も決心が固まったようである。

 俺たちは立ち上がり、みんなでプレハブ小屋の外に出て行った。


 扉の外に出ると、胡座をかいていた夜闇が手を上げた。

「よぉ! やっと来たのか!」

 待ち侘びたかのように夜闇は伸びをすると立ち上がる。

「じゃあ、行こうじゃねぇか!」

「気合を入れて行きましょう」

 俺はみんなの顔を見て頷いたのだった。

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