第七章
第七章
裁判はとりあえず、終了した。とりあえず法廷を出るように言われて、咲もジョチさんも、裁判所を出る。
「なんだか、やるせない雰囲気の裁判でしたね。」
咲は、ジョチさんにいった。
「そうですね。何でも、大人の言うことが全てというわけではないですよね。あの女性はとにかく、おばあさまの八重子さんに、正人くんをとられたことをいいわけにしていますし、それに正人くんがあまりにも虚弱だったことを影浦先生も、しっかり認めてました。」
ジョチさんも、納得いかなかったようだ。
「浜島さん、乗っていかれますか?どうせ、バスかなんかにのってきたんでしょ。もしよければ、僕
が、送って差し上げます。」
と、彼は言った。咲も、じゃあ、すみません、お願いしますといって、のせてもらう事にした。
裁判所の入り口から出ると、小園さんが黒いクラウンにのって待っていた。
「どうぞ、乗ってください。」
そういわれて咲は後部座席に乗り込む。
「浜島さんを本市場の自宅まで送ってやってください。」
「はい、畏まりました。」
小園さんは、にこやかに言った。
「しかし、浜島さん、僕も以前、子殺しの裁判を傍聴したことがありましたが。」
ジョチさんは、助手席から、咲に話しかけた。
「あ、はい、なんでしょう。」
「どうも最近の傾向として、比較的大人の方に有利に傾いているようです。先日傍聴した裁判でも、子どもさんが精神を病んでいて、親御さんが困窮していたことが強調されて、結局執行猶予がつきました。それをいいことに、彼女は病んだ子をもつ母親として、講演家として全国を飛び回っているようです。なんだか、正人くんのおかあさんもそうなってしまうのではないでしょうか。たぶんきっと、影浦先生が、正人くんが虚弱だったことを更に強調していけば、由香子さんも育児に悩んでいたことで、たぶん執行猶予がついてしまうのではないですかね。」
ジョチさんは、耳の痛い話をはじめた。
「そうなると、先日水穂さんがいっていた、正人くんが生まれてこないほうがよかったという意見が正しいことになってしまう。僕はね、それはいけないのではないかと思っているんです。うちの店で働いている、従業員さんたちは、確かに精神障害こそある方々ですが、決してわるいひとではありませんからね。それは、敬一も、同じ気持ちだとおもいますよ。」
そうかあ、チャガタイさんが、一生懸命店を経営しているんだっけな。其れで、障害のある人を、一生懸命雇っているんだ。
ジョチさんは、さらに続ける。
「本当にそうですね。なんだか、健康な子どもさんだけが素晴らしいような世の中になっていますけど、僕たちは、それでは、いけないと思わなきゃ。それでは、本当になんでもかんでもできる人だけが、生きている世の中になってしまう。」
「それでは、本当はいけないんですよね。でも、どうしても、出来る人ばっかり優先になってしまって。」
咲もジョチさんの話に賛同した。
「まあ、確かに汚いがあるから美しいがあるといいますからな。そのどちらかばかり賞賛していては、世のなか本当にだめになってしまう。」
小園さんが、運転しながら、そんなことを呟いた。小園さんが、発言するときは必ず、何か大事なことがある時である。
「あ、もう少し行きますと、郵便局がみえてきますよね。その前で、降ろしていただいて結構です。」
と、咲はいうが、
「いいえ、ご自宅まで送ります。その郵便局からどうやって行けばいいのか、教えていただけますか?」
と、ジョチさんは言った。
「あ、そうですか。それでは、郵便局のみなみへ下ってください。」
「わかりました。」
小園さんは、郵便局に向かって、車を走らせる。
「あ、その、随分ちっぽけなアパートですけど、あの青いやねのアパートが、あたしの自宅です。」
こんな所に住んでいるのか、と馬鹿にされると思って、咲は、ちょっと恥ずかしそうに言った。クラウンは、その一番端の角部屋の前で止まる。
「あれ?あの二人、、、。」
と、ドアの前に二人の人物が立っているのがわかる。一人は並みはずれて身長がある男性で、隣は、小さな男の子だった。
「やだ、ジャックさんと武史君じゃない!」
咲は、クラウンから降ろしてもらい、自宅の前に立っていた二人に声をかけた。
「どうしたんですか!こんな時に。なんでわざわざあたしの部屋まで!」
「ああ、申し訳ありません、浜島さん。どうしても、武史が裁判がどうだったのか、知りたいといってしまいには泣き出す羽目になったものですから。しまいには僕が、裁判所に行きたいなんて言い出すかもしれないと思って、、、。」
ジャックさんは、頭をかじって、そんなことを言った。ジョチさんもクラウンの中から出てきて、その話を聞いている。
「どうしても、正人君のお母さんに、会いたいと言って聞かなかったんです。いくら法廷には小学生は入ってはいけないと言い聞かせてもどうしてもだめだったので。」
「咲おばさん。正人君のお母さんは、なんで正人君をあんな目に会わせたの?」
と、武史君は真剣な顔をしてそう聞いてきた。何だか大人に有利な裁判になっていることを、咲は話してはいけないような気がした。武史君の顔は、そんな顔だった。
「武史君には、ごまかしも嘘も通じないのね。何だか、あたしたちのほうが、試されているような気がする。行ってみれば、あたしたちが武史君に裁判されているみたい。」
咲がおもわずそういうと、
「ねえ、咲おばさん。正人君のお母さんは!」
と、武史君は、ちょっと強く言った。
「武史君。あのね、正人君は、やっぱり虚弱な体質だったから、」
「そうだけど、僕は正人君と二度と遊べなくなっちゃったんだぞ!」
武史君は、そういった。
「そうですね。武史くん。まさしくその通りです。あなたが述べていることは紛れもない事実です。それを検察官や弁護士にしっかり話して貰いたい。」
ジョチさんがそういうことをいいだした。
「少なくとも、今回の事件で誰も悲しむ人がいなかったかというとそうではありません。大人は、まるで、由香子さんが、正人君の育児に忙殺され、精神的な余裕がなかったことをかばうような態度を取っていましたが、正人君が殺害されて、武史くんは、もう遊べなくなったといっています。この事実を忘れてはなりません。」
「理事長、電話がなってます。」
ふいに、クラウンの中から、小園さんが言った。ジョチさんは、急いでクラウンに電話機を取りにもどった。
「はいはい、曾我です。あ、敬一、どうしたんです?」
電話の奥で、チャガタイがこういうことを言っているのが聞こえてくる。
「おい、兄ちゃん、ちょっとうちの店の予約名簿を確認してみたんだがなあ、あの、一月ほど前に、望月八重子が、うちの店に来てるんだ。俺たちは、絶えず客のやり取りをしているから、すっかり忘れてしまっているけど、予約名簿に、望月八重子と、望月正人と書いてあるんだよ。」
「望月?梅津ではなくて?」
「そうなんだ。其れで急遽従業員たちに聞いてみたんだが、確かにちっちゃな男の子をつれた女性が、二人そろってうちでこんにゃく麺を食べているのを見てるんだよ。」
「そうですか。わかりました。しかし、なぜ、彼女は焼き肉屋に連れてきたんでしょうか。それに、なぜ、裁判にも顔を出さなかったのでしょう。」
ジョチがそう聞くと、チャガタイは、電話の奥でウーンと考えて、少し間を開け、
「余りにも辛いからではないのかな。正人君を失った悲しみにな。」
といった。
「なるほど。わかりました。それ、すぐに小久保先生に言ってくれますか。僕たちの店に、望月八重子さんが来訪したの。はい。じゃあ、よろしくお願いします。」
ジョチはそういって、電話を切った。
「チャガタイさん、声がおおきいから大体あたしにも聞き取れました。おばあさまの八重子さん、正人君を随分可愛がってらしたんですね。」
咲がおもわずそういうと、
「きっと、正人君は、学校の成績が悪くて、お母さんにしかられた後だったんじゃないのかな!」
と武史君が言った。
「武史君、どうしてそう思うの?」
咲が言うと、
「分かんない。でも何か直感でさ。」
と、武史君はこたえた。そうなると、根拠は何もないので、この話も、ただの憶測で片付けられてしまうだろうと思われたが、
「いいえ、こういう勘は意外に当たっている所もあります。彼の直感を頼りにした方がいいのかもしれない。」
と、ジョチさんがいう。
「武史君。小久保さんに頼んで、あなたに法廷に出て貰えるようにしてもらいましょう。おそらく、あなたの発言が、一番効果的ではないかと思われます。」
「ちょっと待ってください。武史はまだ法廷にでられるような年齢ではないですよね。また、それでは、裁判関係者の方々に迷惑が掛かってしまうもしれない。」
ジャックさんがそういって、申し訳なさそうに武史君を牽制するが、
「いいえ、其れが一番だと思います。武史君の、二度と、遊べなくなったという言葉を、あの母親に突き付けてやることが一番効果的だと思われるのです。」
ジョチさんは、もうその気になっているらしい。すぐに持っていたスマートフォンを出して、もしもしと電話をかけ始めた。
「大丈夫ですかね。武史が誰かに迷惑をかけてしまわないでしょうか。法廷なんか行って、泣き出しでもしたら、こちらが大恥を描きますよ。」
ジャックさんは其ればかり心配している。
「いいえ、決定的なことは、子供さんの方が色々知っているものですよ。」
と、咲はとりあえずそういう事を言った。自分も、確実にそうなれるという、気持はもって居なかったけれど。
ジャックさんは、武史君が、法廷にでることを心配しておろおろするばかりだった。
「話が着きました。明日、僕が小久保さんの証人として法廷に立ちますから、その時に武史君も一緒に来てもらいます。武史君が裁判の妨げになるような発言をした場合は、僕と小久保さんで責任を取ります。」
ジョチさんが、電話を切って、その言葉を朗々と言った。
「それでは、明日、小園さんにお宅まで迎えに行くようにさせますから、一緒に裁判所に来てください。」
「わかったよ!理事長さん!」
と、武史くんが言った。
「そうよね。きっと大丈夫よね。」
咲も、そういったのだが、武史君がしっかりしゃべってくれるかどうかは、確証が持てなかった。若しかしたら、法廷の重い雰囲気で泣いてしまうかもしれなかった。
「お願いしますね、武史君。」
ジョチさんがもう一回言うと、
「はい!」
武史君は、やる気満々。でも、子どもであるから、明日そのやる気を発揮してくれるかどうか。
大人たちは、この小さな証言者が、当日ちゃんと本領発揮してくれるかどうか、心配でしょうがないという顔をして、その場は解散した。
その翌日。
小園さんのクラウンは、武史君を連れて、裁判所にいった。余りに心配な顔をしているジャックさんと咲も、すぐにバスに乗って、裁判所に向かう。
法廷は確かに重々しい雰囲気だった。それでは確かに小さな子供というか、敏感な人であれば、泣き出してしまうような気がした。
咲とジャックさんは、傍聴席に座って、大丈夫か、大丈夫かと不安そうな顔をしている。
「今日は、新しい証人を連れてまいりました。望月八重子さんが、正人君を連れて来店した店の経営者の方です。」
と、小久保さんはそう発言した。それではお願いしますというと、カーキ色の着物に黒い羽織を着たジョチさんと、証言台から、小さな頭が顔を出した。みな、おおという声をあげた。
「望月八重子さんは、正人君を連れて、一月ほど前に僕たちが経営している、焼き肉屋に来店したことがありました。その時に、正人君は焼き肉を食することが出来なかったためか、二人で肉ではなく、こんにゃく麺を食していることもうちの従業員が目撃しております。」
ジョチさんは、そう発言した。
「では、お聞きします。その時に、正人君は、どのような様子だったのでしょうか?」
小久保さんが聞くと、
「はい、僕が直接見た訳ではなく、弟から聞いた話ですが、正人君は猛烈な食欲を示していたそうです。その表情は、決して嬉しいという顔ではなかったということも聞かされました。」
とジョチさんはこたえた。弁護人がこういう証人を呼んできたというのが、とても意外で、記者たちは、興味深そうな顔をしている。
「つまり、正人君は、お母様から、何かきつい折檻をされていた、という事ですか?其れで、祖母の八重子さんが、焼き肉屋に連れてきたと?」
小久保さんがそう聞くと、
「はい。僕もそういう事だと思います。弟から聞いた話では、その食欲が尋常ではなかったということも聞きました。」
と、ジョチさんはこたえた。
「よろしいでしょう。これにてわかりますように、被告人は、被害者の正人君に対して、何かしら折檻をしていたと考えられます。其れで、彼女の実母である望月八重子さんが正人君をかばって焼き肉店に連れてきたという事です。このようなことが、日常的に、行われていたというのなら、正人君に対して、虐待を行っていたということも考えられます。どうでしょう。私たちは、正人君が障害を持っていたというだけで、表面的にしか見ることが出来ないという事態に陥っていますが、もう少し、事件深く考えて見ることも大切なのではないでしょうか!」
と、小久保さんは朗々と言った。
「ええ、前回、正人君が障害を持っていたせいで、寛大なる処分をと言ってしまいましたが、私は、被告人の梅津由香子さんにも十分に問題があったように思えるのです。どうでしょう、由香子さんは、確かに心神耗弱状態であり、精神的にも追い詰められていたと思いますが、それでも、正人君を殺害することは許されるとは到底思えません。」
「そうですね。それは証人である僕も同じだと思いますよ。子供さんが、障害がありいくら周りに危害を加えるような存在であっても、殺害するとなるとまた別だと思います。」
小久保さんが再びそういう事を言うと、ジョチさんも証言台からそういうことをいった。その隣で、つま先立ちでたっている武史君が、
「はい!だって僕はもう、正人君と遊べなくなったんだもん!正人君は、二度と帰ってこないんだ。僕は、正人君と二度と遊べないんだ!」
と、怒りを表す声で言った。
「僕は、正人君が大好きでした。正人君は、大事な僕の友達でした。正人君と一緒に、ご飯をたべたり、宿題をやったりして、すごくたのしかったです。今度、二人で、一緒に箱根に行こうという約束さえしていました。でも、正人君は、もう、お母さんに殺されて、ご飯をたべに行くことも、一緒に宿題をすることも、一緒に箱根に行くことも出来なくなってしまいました。僕は、正人君が居なくなると、悲しくてたまりません。もう僕は一人で宿題をやるしかないし、一人でご飯を食べに行くしかないし、一緒に箱根にもいけない!」
武史君は、一生懸命青い声でそういった。その顔から、その気持に嘘偽りもないということがわかった。大人は、心が悲しくても顔は笑っているという技術を持っている。でも、子どもには其れが出来ないので、本当に心の底から悲しみを表現しているのがわかる。
「そうですね。君の名前をまだ伺っていなかった。君の名前は何て言うのかな?」
裁判長が、そんなことをいったが、その裏では何という演出をしてくれたなという雰囲気が見て取れた。大人は感情を隠すことも出来るが、裏では何をかんがえているか当てることもできる。咲は、きっとこの裁判は、弁護側も検察側も対して争うこともなく、すぐに終ってほしいと裁判長も思っていることを感じ取った。
「僕の名前は、田沼武史。里村学校の小学部の一年生です。正人君とは同じクラスでした!」
武史君は、裁判長と格闘するようにいった。
「君は、正人君のお母さん、ここにいる梅津由香子さんに言いたいことはありますか?」
裁判長は、早く片付けてしまいたい顔で、武史君に聞いた。記者たちは、こんな小さな男の子が、なんでそんなことを朗々といえるのかとおどろいた顔をしている。普通の小学校一年生なら、こんなことを、朗々といえるはずがないからだ。小学校一年生何て、まだ、鼻水を垂らして、母親の顔を追いかけている歳であるはずである。其れがなんで、大人のするような態度を取れるのだろう?
「はい、正人君のお母さんは、正人君を僕から奪っていきました。僕の大事な友達を奪っていきました。僕の、楽しみを奪っていきました。でもいま、ここで、それは正人君が頭が悪いからと言って、もみ消されようとしています。そうじゃなくて、僕から、正人君を奪ったということはどういうことなのか、ちゃんと考えて下さい!」
小学生の男の子が、そんなことをいうなんて、信じられないというのが大人たちの反応であった。小久保さんも、検察官も、裁判長も、そのほかもろもろの人たちが、ひどく驚いて、口をあんぐりと開けているのがみえる。
「どうですか。これでも、正人君が生きていた意味というものはありませんか?其れがわかっていたのは、果たして誰なのでしょうか。それをしっかり考え直して頂きたいものですね。それをしたうえで、しっかりと、量刑を考えていただきたい。」
ジョチさんは、証人として武史君の気持を代弁するようにいった。皆さん、仕事という物は手を抜いてはいけないんですよ。武史君の顔は、そういっている。
「武史君、よくやってくれましたね。」
ジョチさんは、武史君の頭をそっと撫でた。小久保さんも、武史君の雄弁さにおどろいたようだ。咲も、武史君の父のジャックさんも、武史君のすごいところに、改めて気が付いて、開いた口がふさがらないくらいおどろいたようだ。こうなると、武史君が発達障害であることを、責めたり馬鹿にしたりする気にはなれなかった。
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