第五章

第五章

小久保さんは正人君が通学していた、里村学校に行ってみた。正人君の学校生活を調べるためであった。

学校の受付によると、担任教師はなぜか休職中ということになっていて、代わりに学校の責任者である、校長が話をするという事になって、小久保さんは校長室へとおされた。校長は、革の椅子にでんと座っていた。受付が、小久保さんを応接椅子に座らせる。

小久保さんが名刺を差し出して、正人君を殺害したお母さんの弁護をしていると言うと、

「はああ。正人君のお母様の弁護を担当しているんですか。」

校長はちょっとおどろいていった。

「その、弁護士の先生が、何のようなのですか?」

「ええ、正人君の学校生活について伺いたいんです。幾つか質問をしますので、教えてください。」

小久保さんは話を切り出す。

「まず第一に、正人君は、学校で問題を起こしたりしたことは、ありませんでしたでしょうか?教えてください。例えば、学校でいじめにあったとか、其れとも逆に誰かをいじめていたとか。」

「いやあ、担任の教師の話に寄りますと、正人君はとてもいい子で、問題を起こすようなことはありませんでした。うちの学校は多かれ少なかれ、問題を起こす子は、とても多いのですが、彼はそんなことはありませんでしたね。あるとしたら、肉やさかななどを食べられないということは親御さんからきつくいわれていましたので、給食は他の子と、違う物をたべさせるようにしていました。どうしてもダメなときは、お弁当を持ってきて貰ったりとか。でも、其れについて、ほかの子から馬鹿にされたりしたこともなかったようです。」

と、校長は言った。つまり大きな問題はなかったということか。

「授業中に騒ぐとか、先生のいうことを聞かないとか、そういう事は?」

「其れもありません。担任教師の話に寄りますと、普通に授業を受けていました。」

「では、保護者が学校から呼び出されるようなことは?」

「問題を起こしたことがないので、保護者の方に伝達することもありませんでしたから、其れもありませんでした。ただ、私どもは、ほかの学校とは違い、特殊な環境にある生徒さんを多く預かっておりますので、それは考慮して、よく保護者会を開いてはおります。其れで、ほかの子の家族と同様に、正人君のご家族にも出来るだけ出席してもらうようには言っていましたが。」

と、校長はまた言った。まあそれだけは確かだろう。単に障害のある子というだけではなく、特殊な病気を抱えているとか、親が事情があってはたらけないで、生活保護などを受けている家庭の子も多い、と、小久保さんは、以前クライエントから聞いたことがある。

「その時は、お母様の梅津由香子さんが、来訪していたのですか?」

小久保さんが聞くと、校長は、

「いいえ、違いますね。」

とはっきりこたえた。

「お母さんではなくて、おばあさまが来ていらっしゃいました。お母様はお体が悪いからという事で、保護者会にも授業参観にも余り来訪したことはありませんでした。」

「ああ、おばあさまがいらしていたんですか。お母様ではなくて。」

「ええ、おばあ様の方が多かったです。うちの学校ではそのようなことは珍しい事ではありません。ご両親が離婚したり、死別したりして、おじい様おばあ様の元で暮らしている生徒は、よくいますから。ですから、保護者名がお父様やお母様ではなく、おじい様やおばあ様であることも多いのです。」

まあ、それは確かにそうだ。こういう特殊な学校なら、そういう事だって十分あり得る。なので学校側も其れで納得していたのだろう。

「そうですね。いろんな事情のある方がこちらには来訪されていますものね。中には、自宅以外の施設から通っている生徒さんもいるでしょうか。」

と、小久保さんが言うと、校長は、そうなんですよ、と言って、頷いた。

「中にはね、精神病院から通学してくる生徒も少なくありません。それは、うちの学校の特色として、どんな環境の子も教育を受ける権利があるとして、受け入れているんです。まあ、これまでそういう子が問題を起こしたことはありましたが、でも、周りの子がそれをサポートするようなことも多くありまして、私どもはそういう事情のある子ではないと、出来ないのではないかと思われます。まあ、一般的な学校にいる子では、まずできないでしょうな。」

「な。なるほど。」

「ええ、いろんな環境の子がいますから、中には、この事件に対して敏感な子も多くいます。それによって、いじめが発生してしまう可能性もある。だから、私どもは、正人君の死因を窒息死ということにしたんですよ。」

何だか校長に誘導されているような気がしてきた。

「でも、事実を捏造してしまうのはまずいでしょう。」

小久保さんが言うと、校長はこういった。

「いいえ、そういう訳ですから、今回の事件のことは余り話題にしないでいただけないでしょうか。ほかの生徒たちも動揺してしまいますので。いくら弁護士さんであっても、ここには小さな子どももいるのですから、配慮して貰わないと困ります。」

「そうですか。わかりました。」

小久保さんは、学校はいつの時代も余り訳には立たないなと思いながら、学校をでることにした。

でも、正人君の学校のことは、祖母の望月八重子が管理しているのだということは知った。

「確かに生徒に恐怖を与えたりしてはなりませんな。それはいけませんね。では私はこれで帰ります。」

「お願いします。」

校長は、さっきの受付に、弁護士の先生を、送っていくように言った。先ほどの受付が出てきて、正面玄関まで送って言った。

「校長先生はそんな事をいうようですけど。」

と、受付は、廊下を歩きながら、小久保さんに言った。

「うちは、いろんな家庭の子を、誰でも教育を受ける権利があると言って、預かっているんですが、実際は、子どもよりも親のほうを教育した方がいいのではないかと思う事があります。」

「どういう事ですか?」

と、小久保さんは聞いた。

「ええ、親御さんのほうが、育児に関することを全く知らないんです。誰か教えてやればいいんですけど、そういうことをするのは恥だという精神だけはしっかりしみついてしまっていて。それを、子供さんに向けて当たり散らす人が多いんです。まあ、少子化といいますが、きっと自分が子どもを持つまでは、子供さんと全く接した事がない人が多いんでしょうね。知らないのなら素直に知らないといえばいいのに。でも、それをしようとしないで、子供さんがどんどん病んでいきます。」

受付は、そんなことをいった。

「だから、今回の正人君が亡くなられたことだって、氷山の一角じゃないかと思うんです。正人君のお母さんだって、其れなりに一生懸命やったと思いますよ。でも、出来なかったんですかね。校長先生は、其れが露呈することを恐れて、ああいう言い方をしたんじゃありませんか。」

「そうですか、、、。」

小久保さんは、少し考えこんだ。先日水穂からいわれたことも頭に浮かんだ。育てられないのなら、作らないほうが良かったというあの答え。

「これからも、弁護するために必要なことがあれば、また来ますと校長に言っておいてください。」

「わかりました。」

と、受付はにこやかに言った。そこだけは形式的ににこやかにしていた。


同じころ。

「僕が正人君のお母さんをしかってやれたらいいのにな。それを出来たら、僕は怒ってやりたい。なんで正人君と箱根に行きたかったのに、ダメにしたんだって。」

そういう武史君は、そんな言い方をして、自分の寂しさを表していた。

「そう、武史君は優しいんだねエ。正人君が亡くなったの、そんなに悲しんであげられるなんて。」

と、咲はそういう。

「僕も正人君と、一緒に箱根に行きたかったもん。」

「そうかあ。」

と、咲は武史君の気持にどう沿っていいのかと考えながら言った。

「武史君、正人君は、どんな子だったの?武史君が、そんなにすきになるんだから、正人君は、素敵な子だったんだろうね。」

「ウーン。確かに体力的には弱かった。保健体育の通信簿は良くないって学校の先生は言ってた。でも、僕が見る限り、正人君はひょろひょろでよわかったけど、一生懸命授業をやってた。鉄棒も出来なかったけれど、出来る様になろうと、一生懸命逆上がりの練習もしてた。」

「そうなのね。」

と、咲は、ふっとため息をついた。

「でも、そんなことをしても、正人君の成績は悪いんだよね。其れだけで偉いとか馬鹿とか決まっちゃうんだよね。僕、正人君の家に遊びに行ったときにね、正人君がすごく怒られていたのを見たよ。だから僕は、正人君のお母さんに言ったの。正人君が、逆上がりの練習を一生懸命やってた時の事。」

武史君がそんなことを言い始めたので、咲はちょっと興味がわいて、

「もっと聞かせてくれる?正人君の成績の事。」

と、聞いてみた。武史君もそれを話したかったようで、こう話し始めた。

「あのね、夏休み前の終業式の時かな?終業式が終って、正人君の家に遊びに行った時の事だよ。僕が、正人君の家に行って、インターフォンを鳴らしてもでないので、僕はおもわず玄関のドアを開けてしまったの。だって、ドアには、カギがかかってなかったもん。ドアを開けたらね、いきなり

正人君が泣いている声が聞こえてきたんだ。どうしたのかなと思ったら、正人君は、お母さんに怒られていた。それも、雷見たいな、大きな声だった。よく聞いたら、保健体育の成績が悪いことをしかられていたんだ。だから僕、急いで中に入って言ったの。正人君は、悪いことはしていないって。逆上がりだってちゃんと練習していたって。」

「そうなのね。逆上がりもちゃんと練習していたのね。確かに学校の成績は数字で一とか二とかしかないからね。つまり、正人君のお母さんは、数字でしか正人君のことを見ていないんだ。」

「そうだよ。だから、正人君のお母さんに訂正したの。正人君は学校で怠けてなんかいませんって。ちゃんと逆上がりの練習もやってましたって。」

「そのあと、正人君のお母さんはどうしたの?」

と、咲は聞いた。武史君にそういわれて、さらに逆上したのではないだろうか。

「まだ続きがあるんだよ。」

と、武史君は言った。

「僕が正人君をかばった時に、隣の部屋から、綺麗な女の人が出てきてね。その人は、正人君の頭をなでて、ママはちょっと病気だから、治るまで我慢しようねって言ったの。」

「綺麗な女の人?何歳くらいにみえた?咲おばさんと同じくらいかな?」

武史君は、ちょっと首をひねった。

「分かんない。ただ、綺麗にお化粧してて、正人君のお母さんと同じくらいにみえたけど、声はちょっとかすれてたかなあ。」

と、いうことはその人が、正人君のおばあちゃんだろう。しかし、なぜ、正人君の母親と同じ年齢に見られるまで若作りしていたのだろうか。

そんな事をする必要があるのだろうか。お母さんは一人だけの筈なのに?

「で、正人くんはどうしたの?」

咲はもう一回言った。

「正人君は、にこにこして、わかったよといった。その人が、僕が来ていることに気が付いて、武史君、正人を助けてくれてありがとうねといった。そして、冷蔵庫を開けて、ケーキを出して、食べさせてくれた。」

なるほど、正人君のおばあちゃんは、冷蔵庫を開けて、ケーキを食べさせてくれたのか。

「で、正人君のおかあさんは?」

「黙って部屋を出て行った。そのあと僕は知らない。あとは、正人君の部屋に行って、正人君と二人で宿題をやった。」

なるほど、おばあちゃんがうまく取り繕ってくれたのか。そうなれば、母親の出番はないという事である。

「しかし、正人君のおばあちゃんは、正人君に対して自分が母親のようにふるまっているんだろうね。正人君のお母さんが、そんなに頼りない人だったのかしら。お父さんはどうしていたのかしら。」

「僕、正人君のお父さんはほどんど見たことない。」

と、武史君は言った。確かに、お父さんは仕事が忙しすぎて、たいへんだと聞いているが、其れでも家を開けすぎなのではないか、と思うのだが。

「そうなのね。それでは、正人君の家は、お母さんではなくて、おばあちゃんがお母さんの代理人をしていたわけか。」

咲はまたため息をついた。

「あたしも、正人君のお母さんがしっかりしていればいいのになと思うわ。学校の成績で、そんなに怒るのはちょっとやりすぎだと思う。まあ、多少子どもに期待をしたとしても、そんなに怒鳴りつけるのは、いけないでしょうよ。」

「正人君は、お母さんのことを嫌いだという感じではなかったよ。」

そりゃそうだ。どんな子どもだってお母さんのことを嫌いになる子はいない。

「でもねえ、、、。」

咲は、武史君の証言を聞いて、何だか本当に不幸な親子だなあと思ってしまったのだった。

「僕、正人君の事助けてやりたかった。なんでも、よその家の事情に突っ込むのは日本ではやめた方がいいってパパがいうけど、僕は、正人君が箱根に一緒に行ってくれるなら、正人君に声をかけたほうが、いいと思った。」

本当はそうなのだ。正人君はもう二度と帰ってこないのだ。それだけはどうしても避けなければならなかった。本当は、正人君が、箱根に行ってくれる約束を果たしてくれることが、一番しあわせな事なのに。武史君の楽しみも、奪ってしまったという事にもなる。だから、そうする前に、大人が何とかして正人君を助けなければならない。其れなのに、正人君はそれをしてくれる人に殺されてしまったのである。

「そうだね、武史君。正人君も、誰かに助けてもらえれば良かったね。おばさんも、正人君は生きるべきだと思うわ。」

右城君は、正人君が辛いのなら逝ったほうがいいと言った。でも、それは絶対にまちがっていると咲は思いたかった。

「武史君、その気持を大人になるまで忘れないでいてほしいな。おばさんも、気を付けるから、武史君も、その気持を大事に持っていてほしい。」

武史君は、ニコッと笑って、

「わかったよ。咲おばさん。僕、忘れ物はなかなかしないから、ずっと覚えていられると思うから。」

と、子どもらしく言うが、でも、いずれはそういうことをしてしまうと思う。長い年月生きていけば、大事なことを順番に忘れていくことを、咲は知っている。今出来たことも、武史君が子どもだから出来る事であって。


小久保さんは、学校から出て、次は正人君のお母さんである、由香子さんに会いに行こうと思った。いそいでタクシーを拾って、病院までタクシーを回してもらう。また30分近くかって病院にたどり着いた。

病院の正面玄関に行って、受付に、梅津由香子さんに会いたいのですがというと、梅津さんは、病状が良くないので、保護室に行ったという。ちょっと話をさせてもらえないかと行っても、今はだめだといわれた。

「どうしてもダメでしょうか。」

と、小久保さんは再度受付に言うと、ちょっと待ってくださいとだけ言われ、受付は院内電話をかけ始める。数分間またされて受付は電話を切った。

「あの、代理で影浦先生が話をすると言っています。梅津さんは、今とても話ができる状態ではないので、影浦先生と話してください。」

そういわれて、小久保さんはがっかりするが、これもしかたないかと思って、わかりましたといった。暫くここにいる様に、といわれて、小久保さんは、病院のパンフレットを読みながらそこでまった。

暫くして、影浦が、エレベーターから降りてきた。

「一体何ですか。また、梅津さんの事ですか。」

「ええ、ちょっと、学校でも話を聞いてきましたが、正人君が学校で問題を起こしたことはなかった

という事でした。」

と、小久保さんはそういった。

「本当にそうだったのでしょうか?」

「ええ、僕も、何回か、梅津さんに話したことはあるんですが。」

と、影浦も答えを出した。

「彼女は、すべて自分のせいだというんです、正人君が虚弱で、学校の成績が悪くて、学校の給食を食べられないのも。」

「はあ、でも、それはたまたまそうなってしまっただけで、お母さんのせいではありませんよね。」

小久保さんはそういったが、影浦はちょっと首をひねって、

「いや、どうでしょうかね。果たして、そうはっきり割り切れることが果たして彼女に出来るかどうか。僕も、彼女の生い立ちを調べてみましたが、彼女、子どものころから、仕事で忙しい母親に代わって、家事とか一切やっていて、周囲でも評判の良い少女だったそうですからね。」

といった。それは確かに、そとの人か見れば、何も問題はないようにみえるのだが。

「まあ周りからの評価は良かったかもしれませんが、其うなると、逆に問題が見つかりにくくなるんですよ。梅津さんも、きっと、心のそこでは、自分のやりたいことだって沢山あったでしょうに、それを無理やり押し殺して、家事一切やっていたそうですから、決して周りの人から良い評判を貰っても、よろこべなかったのではないでしょうか。」

と、影浦は続けていった。

「梅津由香子の母親は、望月八重子ですよね。今でこそ望月八重子は、正人君の第二の母のようにふるまっていますが、由香子さんを育てた時はそうではなかったというのですか?」

と、小久保さんが聞くと、

「そうですね。少なくとも梅津由香子が子供だった頃は、正人君に接しているような態度ではなかったということは証明されています。この間、看護師の話を梅津さんが立ち聞きした事で、彼女が半狂乱になり、僕がいいたいことがあるならはっきり言ってみろと言った所、彼女はそうこたえました。正人君に接するような態度を、何で自分の時にはしてくれなかったのか、と罵りました。僕はね、そういう時の言葉こそ絶対に嘘はないと思っているんです。人間、大事なことは絶対に忘れやしませんよ。そういう言葉は、そのような状態になった時しか口に出すことは出来ませんから。」

と、影浦は医師らしく言った。小久保さんは、犯行の動機はそれではないかと、ペンを持った手を握りしめた。


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