第28話 天翼の扉はそこに

「シーグ、もういいの?」


 あの事件から三日目。

 以前の通り、ヤーデ夫人のケーキでお茶をするつもりだったわたしは、現れたシーグの姿に驚いた。

 いつもと変わらず、金糸を使った濃緑の上着といいシャツの白さといい、上質な服を着たまま、シーグはため息まじりに台所の木の椅子に座った。


 その姿を見ながらわたしは思う。

 王子様のはず、なんだよなぁと。

 余りに身近でずっと接してきたせいか、今でも実感が湧かない。服といい口調といい、確かに偉そうだしお金がかかってそうだとは思うのだが。


「ケーキ俺にもくれ」


 と言う姿など、世間一般の王子様の図とはかけ離れているのではないだろうか。

 だからケーキを切り分けてやりながら、言ってしまった。


「あれよね、シーグが一番王子様っぽかったのって、王宮で私を助けてくれて、ガイストさんに殿下呼ばわりされた時だけだったわね」

「……は?」


 シーグの、ケーキにフォークを突き刺そうとしていた手が止まる。


「あの時はさすがに驚いたからなぁ。でも驚きがなくなっちゃったら、なんか肩書きの一つみたいで実感湧かないっていうか」


 おそらく、またかしずかれている姿を見れば王子らしさを感じるのだろう。けれどシーグは、それで良いようだ。


「そうか」


 と言って楽しそうにケーキをほおばっている。

 彼のためにお茶を用意しながら、リシェは尋ねた。


「それで、あれからどうなったの?」


 聖堂でカーリンの開いた扉から出てきたものを消した後、わたしはガイストさんに事情説明をした後は、家に帰されていた。

 シーグは一度家にきてくれたが、二・三日忙しいと言うだけ言って、去ってしまった。

 おかげで誰がどうなったのかもだが、祖母や両親に関することなど、積もる話を一切していなかった。

 それでも我慢できたのは、あの時シーグがをわたしを信じて任せてくれたからだ。

 わたしもまた、シーグを信じていると伝えられたと思う。

 そうでなかったら不安が募り、祖母の形見でもある飴色の扉を、蹴りつけていたかもしれない。

 わたしの問いに、シーグはぽつりぽつりと答えていった。


「主犯が死亡しているからな……。それよりは王妃の死亡をどういう理由でごまかすかの方がやっかいだった」


 王妃は六人殺しているのだ。

 けれど犯人が王妃だったと公表するわけにはいかない。貴族からの反発で、国政が立ちゆかなくなるからだ。むやみに貴族を怯えさせて内乱でも起きたら、国民も無事では済まない。


「王妃は事故死ということになった。カーリンという娘は王妃に荷担していたことや、扉を開いて王宮内の人間を危険にさらしたということで、牢に入れた。そのうち追放処分にでもなるだろう」


 カーリンの保護監督者であるファンヌも罪に問われた。

 実は彼女も王妃の動きを知っていた。

 だが自分が断れば天翼の扉を開こうなどと考えないと思っていたらしい。が、そうはいかなかった事を知り、彼女は王妃を止められないと知ると、王妃が事件を起こしていると知られないように立ち回っていたという。


 彼女は早々に王宮錬金術師の任を解かれ、国外追放処分となっている。

 これに伴い、王妃の家の人間は速やかに様々な役職等を外され、その権能を奪われた。宰相位にあった王妃の父親は、様々な理由を付けて削られた領地で隠居が決まった。

 彼らも王妃がしたことを公表され、子息を殺された貴族家から報復されるよりはと、シーグ達の要求を飲んだそうだ。


 続けて、シーグはわたしを拉致したエンデ達についても教えてくれる。

 二人は強盗目的で侵入し、家人を拉致したということになった。

 捕まえたのはヤーデ夫人だ。彼女はわたしがどこへ連れ去られるかを確認し、首謀者を断定できた所で、エンデ達を捕縛。シーグに引き渡していたらしい。


「とにかく終わったな」

「うん。そうだね」


 二人でしばらく、ケーキとお茶を楽しむ。

 食べ終わってからぽつりと、シーグが呟くように言った。


「天翼の扉か。リシェも扉を開けたいとは思わなかったのか?」


 尋ねられ、しばらく考えてううーと唸る。


「な、なんだ?」

「いやそもそもわたし、あるなんて想像もしなかったっていうか」

「俺に神書を読ませた時は、あったらすごいねとか、随分無邪気なことを言ってた気がするが……」

「小さい時も、なんか本気で夢物語みたいに思ってたし。だっておとぎばなしが本当にあった話なんだ! って信じる人がいる?」


 神書の中の物語など、聖人にしろ神にしろ天使にしろ、本人達が書いたわけではない。

 だからおとぎばなしなんだよ。嘘八百で、術にも使えやしないと教えてくれたのは、お祖母ちゃんだった。


「あの人は……なんて夢がない話を子供にしてるんだ」


 ため息をつくシーグに、わたしは笑った。


「いいじゃない。おかげで両親が死んだ時も、お祖母ちゃんが死んだ時も、私はまやかしにすがったりしなくて済んだんだもの」


 変な希望を持って暗闇であがくより、哀しみ抜いて、それから自分を支えてくれる人と歩いていく方がいい。

 そうしてお茶の時間は終わった。

 わたしが食器を片付けるため立ち上がると、シーグが自分の分は俺がやると言って、カップも皿も彼女に渡さなかった。


「王子なのに……」

「今までも王子だった。それにこういう風にできるのは、悪くないと思ってる」


 シーグが食器を洗い終えて言った。


「普通の子供みたいに遊ぶことも。しがらみを考えずにいられる友達がいることも、毎日ケーキを食べて、いたずらをしたら家族に叱られて」


 わたしにとっては普通の生活を、彼はとてもいとおしそうに語る。


「そうできたのは、あの日リシェが勝手に扉を開けたからだし……」

「勝手に開けたのはわるかったけど、今さらもういいじゃない」


 昔の事を引き合いにしてからかって、とふくれたわたしは、頬に伸ばされたシーグの手に驚く。


「だから、俺にとってはクラーラの扉が『天翼の扉』で、リシェが天使だったんだ」


 のぞき込むようにして言われた言葉に、思わず硬直する。

 シーグの眼差しが熱が籠もっているように思えて、なぜか目が離せない。この感覚は、シーグが髪を結ってくれるときに似ていた。そして妙に動悸が激しくなる。


「そ、そんなわた……」


 自分の変化に慌てたわたしは、思わず活路を求めて斜めな方向へツッコミを入れる。


「天使が一人じゃ、と、扉は開かないんじゃないの?」


「あれは錬金術の神様が、俺のために特注で作ってくれた世界に一つだけの扉だから。天使は一人でいいんだ」

「な、ななな、ちょっとシーグ、それなんか随分恥ずかしい発言に聞こえるんだけど!」

「そうか?」


 言ってシーグはわたしから離れてくれる。

 動悸がいよいよ耐え難くなっていたので、深呼吸しながらほっとしつつも、心の半分くらいが残念だと思っていることにぎょっとした。

 なんで、どうしてこんな事を思うのだろう。自分は何を期待してたのか?

 自分の気持ちに焦りを感じて「今日はこれぐらいにしておくか」というシーグの声など、わたしにはほとんど聞こえていなかった。


 戸惑いつつ、王宮へ帰るというシーグを見送りがてら、わたしも自分の部屋へ戻ることにする。

 絨毯の敷かれた昔のままの廊下で、シーグが楽しげに振り返る。


「ところでリシェ。貴族には相手に服を送る事に、とても重要な意味があるんだ」

「な、何?」


 そういえば誕生日にドレスをくれたのはシーグだった。

 お祖母ちゃんに頼まれたと言っていたな、と思い出す。そして少し切なくなった。あの日は忘れられない、辛い日だったから。

 そんな風に回想に浸り始めたわたしに、シーグは爆弾を落とした。


「婚約の申し出の代わりに服を送るんだ。受け取って、着たら承諾したっていう意味になる」

「なっ……」


 シーグは笑いながら自分の住む王宮へ立ち去ってしまった。

 わたしは絶句した。

 では受け取ったわたしは、貴族の頂点であるところのシーグに婚約の申込みをされたということか? いやでも平民の自分にそんなことわかるわけがないのは知ってるはずだ、と思い直す。

 でも待て、お祖母ちゃんは王宮錬金術師だったから、貴族の慣習にも詳しかっただろう。しかもシーグにそれを頼んだのがお祖母ちゃんだったはずだ。ということはまさか、祖母公認でシーグはあの時……。


「な、何で今まで黙ってたのよ!」


 叫んでも、呆然としている間に王宮に戻ってしまったシーグに聞こえるわけがない。

 そしてすぐに、シーグが今まで黙っていた理由に思い当たる。

 お祖母ちゃんが亡くなったからだ。

 自分のせいだと思っていたシーグは、婚約の申し出をしたなら自分の身分から全てを話さなくてはならなくなり、わたしに全てを知られ、嫌われるのが恐かったのだろう。


 でも少しは文句を言わないと、腹の虫が治まらない。

 ちょっと待てと追いかけたわたしは、シーグの寝室で彼を締め上げ、そこをガイストさんに目撃されたのだった。

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錬金術師と扉の王子さま 佐槻奏多 @kanata_satuki

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